第六章 - Ⅵ
とはいっても、目の前の先輩を敵だとは認識したくなかった。思い切って、僕は告げる。
「ええ、分かりました。でも、今は……今だけは、高校の先輩でいてくれませんか?」
「へ? ああ、そうですよね。人間だと思っていた存在が、いきなり人を殺すような執行兵だったなんて、人間的にはショックですよね。いいですよ。今だけは、私はタカトくんの先輩です」
一瞬驚きの表情を見せたが、それでも快諾してくれたことに胸を撫で下ろす。そこで、ちょうどよいタイミングで届いたアイスコーヒー。持ってきたのはミオリだ。
「お待たせしましたー。アイスコーヒーふたつと、ミルクレープになります」
ミオリは普段通りの接客だが、その瞳はちらちらと僕と先輩をうかがっている。よほど僕たちの会話が気になるようだ。そんなミオリの様子に気づいてか気づかずか、ササコ先輩が声を上げる。
「わぁ、美味しそうですね」
僕にとっては見慣れたアイスコーヒーとミルクレープだが、それでも先輩は目を輝かせてくれた。
「そう言ってくれると嬉しいです。店長も喜ぶと思いますよ。じゃあ……って、ミオリ?」
注文の品を出し終えたはずのミオリだが、なぜか僕の真横に陣取って動かなかった。幸い店内の客は少ないので彼女に仕事も多くはないのかもしれないが、そんなに僕とササコ先輩の会話が気になるのだろうか。
「え、あッ、な、何でもない! ごゆっくり!」
指摘を受けるなり、小さく礼をし早足で厨房へと歩き去るミオリ。首を傾げていると、先輩が早くもミルクレープとコーヒーに手を付けていた。
「んー、美味しいです。ミルクレープ、ふわふわですね。タカトくんも食べればよかったのに」
「いえ、バイト中に眠くなったりしたら大変なので」
「じゃあ、今度はバイトがないときに来ないとですね」
敢えて「今度」という言葉を使って微笑む先輩。また僕とこうしてお喋りに興じてくれるのだろうか。その可能性は、とても薄いように思える。先輩は、ディカリア。僕たちの敵なのだから。
その後も他愛のない会話は続いた。高校での話が中心だったが、クレインたちの話はしたくてもできなかった。先輩も、あえて触れないようにしていたのだと思う。アイスコーヒーを飲み終えるころには、バイトのシフトまで残り五分という段階になっていた。
*********
「あ……タカトくん、そろそろバイトのお時間ですか?」
腕時計をちらりと見るササコ先輩。着替えの時間もあるので、そろそろ失礼させてもらおうかと席を立つ。
「ですね。食器、こっちで持っていきますから大丈夫ですよ」
「今日は突然、ごめんなさい。でもこれで、はっきりしましたよね」
先輩も先輩で、僕たちのもどかしさは感じ取っていたのかもしれない。先輩が執行兵で、ディカリアの面々も揃って、僕に圧力をかけてきた。クレインがずっと追い求めてきたもの、ルーシャさんの仇の存在も、明白になった。
収穫としては出来すぎなくらいだが、こんなに息が詰まったのは久し振りだ。
「ええ。ディカリアの目的、思っていたよりもスケールが大きくて驚きました。でも……どうして、ヒドゥンも執行兵ももっと広範囲に現れないんですかね」
僕にしてみれば、不意に零れた疑問に過ぎなかった。が、その答えを淡々と告げる先輩。
「それはもちろん、タカトくんがいるからです。タカトくんのいるところに私たちも、ヒドゥンも現れるんですよ。タカトくんを始末し終えないと、万全な侵攻ができないとアミナは考えていますからね」
一瞬だけ、世界の動きが止まったように思えた。僕は確かに、ヒドゥンの弱点を見破れる。彼らは、この力を、この上なく恐れているということだ。
「僕の存在なんか気にしないで、侵攻を始めればいいのに」
「でも、タカトくんを放置してヒドゥンを倒され続けては、やがて私たちの為す術もなくなってしまいますからね。ですから、タカトくんは怯えながら生きてください。必ず私たちが殺しに行ってあげます」
生憎、殺される気はない。決意を新たに、僕は先輩と顔を合わせる。バイトの時間まであと二分。そこで、店内にベルの音が鳴り響く。
「あ――」
万人の目を引く白銀の髪と、深い海のように青く澄んだ瞳。
執行兵、クレイン。
この場で、ササコ先輩に一番合わせたくない存在だ。
彼女はすぐに立っていた僕の姿を認めると、目元を緩めながら歩み寄る。
「あら、タカト。まだ時間じゃないのかしら? 着替えてないみたいだけど」
先輩の姿はまだ確認できていないのか、その瞳に敵意はない。
「あ、ああ、クレイン。本当に来たんだね」
「来るって言ったでしょう? でも、あなたが仕事をしていないのなら――」
そこで、ピンと張られた糸が切れるような錯覚を覚える。視線と視線が、重なり合う。
「なッ……生徒会長!?」
「クレインさん、お久し振りです。あのお祭りの日は会えませんでしたからね」
「クレイン、これにはちょっとした事情が――」
シフトは既に始まっているが、今はこの状況を打開するのが先決だ。しかし、クレインは僕の言葉を一蹴して、手首のアマトへと手を伸ばそうとする。
「事情なんて知らないわ。生徒会長、武器を取りなさい。私が始末してあげる」
「随分と自信満々なんですね。でも、こんなところで戦闘に入ったら、私たちの存在がタカトくん以外の人間にも知られてしまいます。映画の撮影、ってことにできたら一番いいんですけど、そうはいかないでしょう? 文字通りの殺し合いなんですから」
粟立つ肌。先輩は本気だ。さすがのクレインもその言葉に対しての返しを紡ぐことができない。ゆっくりと手を下ろす。
「……くっ」
「というわけで、私はこれで失礼します。タカトくん、お金は私が払っておきますから心配しないでくださいね」
ササコ先輩は元の微笑みを浮かべた表情に戻って、席を立つ。武器を取れなかったクレインの横を通り、レジ担当の店長へ会計を渡すと、小さく手を振った。
「それじゃあ、タカトくん、クレインさん。近いうちにお会いしましょうね」
意味ありげな台詞を残して店を後にする先輩。振り向かないまま、クレインが小さく放つ。
「――上等だわ、生徒会長」
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