第六章 - Ⅱ

 先輩に麦茶を出してから、バイト先に行くために半袖のワイシャツと七分丈のチノパンに着替えると、彼女の待つリビングへ向かった。

「あ、タカトくん。意外と早かったですね」

 相変わらずニコニコと浮かべられた笑み。いったいこの人が、何を考えているのかが分からない。ディカリア、ヒドゥンと手を組む一派であることを考えると、僕の命を狙っていることは間違いなさそうだ。神経を研ぎ澄ませたその結果、先輩が麦茶のグラスを傾ける氷の音にさえも反応してしまう自分がいた。

「ふぅ……ご両親はお仕事ですよね。そしたら、今は私とタカトくんのふたりきりですね」

「あの、先輩」

 先輩のペースに流されてはいけない。そもそも、彼女がここに来る理由なんて限られている。僕に恋心を抱いたとか、そんな可能性は皆無だ。彼女は執行兵で、ディカリアで、クレインたちの敵なのだから。

「なんでしょう、タカトくん」

 単刀直入に訊いてしまっていいものか、彼女の表情がまるで読めない。いつものような笑みを浮かべて、少しだけ首を傾げている哀原先輩。握り込んだ拳の中に、汗が浮かぶ。悩んだ末、僕は遂に切り出した。


「僕を、殺しに来たんですか?」


 先輩の顔色が明らかに変わった。少なくとも、ただにこやかなだけの先輩は、もうそこには居なかった。

「殺しに? 私が? タカトくんを?」

 生徒会室にクレイン、ホノカと乗り込んだときのような反応だ。口元に小さく張り付いたような笑みを浮かべてはいるが、目がまるで笑っていない。

「ええ。あのときは、先輩は何も分からないフリをしていた。執行兵も、ヒドゥンも、ヴァリアヴル・ウェポンのことも」

「……」

「先輩の左耳に、あるんですよね。耳飾り型の、ヴァリアヴル・ウェポンが――」

 先輩は、ここで僕を殺すことも十分にできたはずだ。その左耳の奥の武器で。しかし、彼女が動く気配はない。

「ふふ、殺すだなんて、そんな怖いことを言わないでください。言われなくても、タカトくんを殺したりはしません。殺しちゃったら、怒る人がいますからね。今日は、その人に会ってもらおうかなって思って」

 僕を殺したら、怒る人? クレインやホノカ達のほかに、そんな人物がいるのかどうかが分からない。が、今の言葉で、先輩が全く無関係という線は消えた。そもそも、夏祭りの時点で十分に怪しかった。あのヒトヨの言葉からも分かる通り、ディカリアに僕の情報を伝えているのは間違いなく先輩だ。その調査の段階で、僕の個人情報を入手した。そう考えるのが自然だ。

「その「僕を殺したら怒る人」も、執行兵なんですか?」

「さあ、どうでしょう。実際に会ってみれば分かると思いますよ。では、行きましょうか」

「行くって、どこに?」

「そうですねぇ……せっかくですし、タカトくんのアルバイト先に行ってみたいです」

 今日は僕のバイト先を訪問される日なのだろうか。しかし、そこならばむしろ好都合だ。ミオリもいるし、クレインたちも後で合流する可能性がある。少なくとも、無抵抗のまま殺されることだけはないはずだ。

「分かりました。バイトの時間まで、ですけど」

「ありがとうございます。そしたら、えっと――」

 先輩の左手が、サイドに垂れる髪を掻き分けた。そして、僕は遂に目にする。先輩のヴァリアヴル・ウェポン、耳飾り型のソレを。彼女が指で少しだけ触れると、その耳飾りがきらりと発光した。

「これでよし、と。あのときは掌の中に隠しちゃいましたけど、ようやくお披露目ですね。ですが、今見たことは他言無用です。誰かに言ったら命の保証はありませんよ?」

 似たようなことをクレインにも言われたが、そもそも僕が執行兵の存在を誰かに言ったところで信じてくれるかどうかは怪しいところだ。まさに非現実的な日常に直面していると、そのことも忘れてしまいそうだが。

 僕はこくりと頷く。そして、バイトの支度をして、先輩と一緒に家を出た。


「いらっしゃいま――おお、タカト。まだ出勤まで時間あるのに、いい心がけだな」

 開口一番に僕の行動を称えたのはこのカフェのマスター。店長だ。まだミオリは来ていないらしい。店内をぐるりと見渡すと、ちらほらと客の姿が見えるが、決して多い人数ではなかった。

「お疲れ様です。えっと、今日は別件で……」

「こんにちは、店長さん。初めてだから緊張しちゃいますけど、美味しいコーヒー、期待していますね」

 僕の背中の影からひょっこりと姿を現して、僕と店長の間に躍り出る哀原先輩。

「タカトにも遂に彼女ができたのか! でもよ、ミオリはこのこと、知ってるのか?」

「いやいやいや、そもそも彼女じゃありません。って、なんでミオリが出てくるんですか」

「いやだって、お前ら仲いいだろ? 息もピッタリ合ってるし」

 キッチンとホールでの連携はいつものことだが、店長にそこまで評価されているとは意外だった。ともあれ、バイトまでの時間、先輩の話を聞かなくては。

「店長、とりあえずバイトまでの時間、先輩と話してても大丈夫ですか?」

「おう、いいぞ。ただし、不純異性交遊は禁止だぞ。やるなら外でやれ」

 豪快に笑う店長を尻目に、先輩はさっそく席を探し始めた様子だった。が、その必要はなかったようだ。


「あ、ササコー! こっちこっち!」

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