第五章 - Ⅻ

 あのときはホノカも頭に血が昇っていたのだろう、クレインたちを呼ぶという選択肢が存在しなかったのかもしれない。ホノカは僅かに肩を落とす。

「あ、ああ。だが、次は必ず斬ってみせる」

「お話し中すみません。クレイン、ホノカ。あなたたちが戦ったという、鎌を持った執行兵について詳しく教えていただけませんか?」

 早くも一袋目のわたあめを食べ終えたヒメノ。りんごあめを手に取り、あの壮絶な戦いの顛末を聞きたがっている。それはミオリも同じの様子だ。

「私も知りたいな。クーちゃんとホノちゃんが束になっても苦戦したなんて、相当強い執行兵なんでしょ?」

「ええ。強かったし、狂っていたわ。ディカリア、侮れないわね。一番まずいのは、タカトの顔を見られたこと。あの女、いつタカトの首を落としに来ても可笑しくないわ」

「これから、戦いが激化しそうですね。あの生徒会長とも、刃を交えることになるのでしょうか」

「大丈夫だよ! 今までだって強いヒドゥンを倒してきたんだから!」

 こういうとき、ミオリの笑顔は本当に助けになる。正直なところ、僕も今回ばかりは本当に命の危機を感じた。ヒトヨが簡単に人間を殺す場面、ヒドゥンが人を貪り食らう場面、あんな衝撃的なものを見せられたら、誰だって恐怖する。

「そうよ。ヒドゥンとディカリアを倒して、お姉ちゃんの仇を討つわ。そのためには、タカト。あなたの力が必要よ」

「え、僕? どうして?」

 僕はあくまでも守られる側の人間。そう思っていた。

「あのグルタ型の首の後ろに、赤い光が見えるって言っていたじゃない。あなたの言い分だと私と出会った段階で既に見えていたみたいだけれど……あれは恐らく、ヒドゥンの弱点よ。執行兵の養成校で教わったわ。グルタ型は頭を狙うのがセオリーだけど、個体差があるって」

「そうだけど、あれがヒドゥンの弱点?」

 実際にホノカが苦戦したヒドゥンをいとも簡単に倒してしまったクレイン。弱点を突いたから、という仮定は正しいのかもしれない。

「ええ、恐らく。そして、ヒドゥンの弱点を見破れるのはあなただけ。これで全ての辻褄が合ったわ」

 クレインの白く細い指が、僕を差す。

「タカトがヒドゥンに襲われやすい理由。奴らは、あなたが危険人物だと本能的に認識しているのよ」

 執行兵たちの視線が、僕に集まった。それぞれの瞳で見つめられてしまうと、誰に視線を向ければ良いのか迷う。

「そういうことですか。もっと早く分かっていればよかったですね。ですが心強いです。食料さんにもついに仕事ができたということで」

「一緒に戦えるね、タカト!」

 彼女たちに守ってもらうばかりだった僕に、役割ができた。なぜだろう。両手が両足が、身体のあちこちが、震えている。これからも戦い続ける事へのプレッシャーか、それとも溢れる高揚感か。

「ヒドゥンの弱点が見えても、あの鎌女や生徒会長には通じない。そこだけは注意しなさい。私たちはある程度は頑丈だけど、人間のあなたは一発もらったらお終いなんだから」

「うん、分かった」

 僕はあくまでも後方支援に徹しよう。そう決意したとき。窓ガラス越しの空で何かが弾け、眩い光を帯びた。即座に反応したのはミオリだ。

「おお! ねえねえ見て見て、花火だよ!」

「これが花火ですか、噂に違わず綺麗です」

「二階の方がよく見えるかしらね。タカト、行きましょう?」

 クレインに手を引かれる。頷きを返し、早くも階段を上るミオリとヒメノを目で追いながら、残ったホノカに声を掛けた。

「ホノカも行く?」

「ああ。せっかくの機会だからな」

 クレインに引かれていない方の手に、ホノカの温もりが伝わる。

「ちょっとホノカ、近すぎじゃないかしら」

 クレイン側に引っ張られると、今度はホノカが引っ張り返す。

「お前こそ人のことを言えるのか? 全く……そうだ、タカト。先ほどの、ヒドゥンの弱点が見えるその瞳の話だが」

 ホノカは神妙な面持ちで、次の言葉を紡ぎ出す。

「君はもう、私たちのことをどんな人間よりもよく知っている。ここから先、何があっても元の生活には戻れないかもしれない。それでもいいのか?」

 それは、最後の決意表明をするように言われているような気がした。確かに、彼女たちと触れ合って、共に戦って、もう彼女たちのいない生活は考えられないくらい、日常に浸透してきている。

 ホノカが心配してくれているのは、よく伝わってきた。しかし。

「ありがとう、ホノカ。大丈夫。クレインに会ったときから、覚悟はできてるつもりだよ。でも――」

 クレインは最初、人間を殺すことも厭わないと言った。僕も、戦闘に巻き込まれて死んでもそのときは仕方がないと諦めかけてさえいた。しかし、今は違う。

「君たちのことを見届けられる人間は、僕しかいないと思って。なら、まだ死ぬわけにはいかないよね。役に立てるところは立ちたいんだ」

「そうだな。君の決意が固いことは分かった。私たちも、最善を尽くして君を守る。クレインも、それでいいな」

「もちろん。最初からそのつもりよ。タカトには生きてもらわないと。私たちも、まだまだ人間の世界に来て日が浅いんだから、あなたがいないと色々、教えてもらえないわ」

 クレインの教えて欲しい「色々」が具体的に何を指すのか、何日か前の口付けを不意に思い出してしまう僕がいた。

 そんな僕を他所に、ホノカは頷いて微笑む。

「よし、そうと決まれば今は花火だ。タカト、行くぞ」

「ちょ、ホノカっ! 近すぎだって言ってるじゃない!」

 ふたりの香りに挟まれながら、半ば強制的に階段を上る僕。でも、この瞬間がとても楽しかったのは覚えている。



 ――あの日のディカリアとの邂逅が、長い戦いの序の口だったことも知らずに。

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