第五章 - Ⅵ

 生徒会役員たちのブースでは、高校の生徒が授業で作成した芸術品などを展示しているほか、ちょっとした菓子類を売っていた。他の屋台と比較すると、どうしても見劣りしてしまう。生徒会役員たちは何名かいたが、そこに哀原先輩の姿はなかった。

「な、君たちはこの前の失礼な後輩たちだな!」

 そこで、ずかずかと躍り出てきた生徒会副会長の男子生徒。彼が着ていたのは夏祭り用に注文したであろうTシャツ。文化祭のクラスTシャツのごとく、黄色で統一されたそれが眩しい。

「あの、哀原先輩はいませんか?」

 クレインやホノカに任せるとまた一悶着起きそうなので、僕はあくまでも低姿勢に彼に話しかける。不満げな表情を浮かべつつも、彼は渋々と教えてくれた。

「会長なら他校の生徒に用事があるらしい。夏祭りにブースを出しているのはうちの生徒だけじゃないからな。ほら、あそこに舞台があるだろう? 何をするか分からないが、ライブでも始まりそうな雰囲気だよな。それにしても……」

 僕が遠方に設置されていた舞台を見つめていると、あろうことか、副会長はずいっと顔を寄せてきた。反射的に後ずさりしてしまう。

「随分と会長に付き纏っているようだが、まさかストーカーじゃないだろうな」

「えええッ!?」

「いくら会長が聡明で美人で優しい大和撫子だからといって、ストーカーは見過ごせんな。さ、ちょっとこっちへ――」

 僕の手首を掴みかけた副会長の手は、逆に真っ白な手に阻まれた。

 クレインが、僕と副会長の間に割って入ったのだ。

「な、君はッ」

「タカトにこれ以上手を出すなら、容赦はしないわよ」

 細身の指に似合わず、その力は人間を容易く凌駕する。

「痛ッ……!! くそ、会長に報告させてもらうからなッ」

 クレインの手を振りほどいた副会長は、そのままブース奥へと引っ込んでしまった。後には、僕たちの方を見て見ぬふりをする生徒会役員たちの姿だけが残る。

「私から提案しておいてアレだけど、完全に無駄足だったわね」

「いや、そうとも限らない。生徒会長が交流を持っているという「他校」も、十分に怪しいからな」

 確かにホノカの言うことはもっともだ。第一、哀原先輩が持ち場を離れることなどあるだろうか。もし仮に教員がブースに来たとき、状況を説明できる人間は絶対に必要。そう考えると、哀原先輩の行動は不自然だ。

「ともあれ、生徒会長を探すのが先決のようね。ホノカ、私はタカトと一緒に行くから、あなたは別の場所を探してくれないかしら。何かあったらアマトで連絡するから、あなたもサトラで常に連絡が取れるようにしておいて」

「あっ、ああ、分かった」

 何か言いたそうな様子のホノカを後に、僕はクレインと共にその場を後にした。


 夕焼けが空を覆い、だんだんと夜の雰囲気が近づいてくる時刻。午後五時半過ぎ、僕とクレインは神社の本殿へと続く参道を歩いていた。所狭しと並んだ色とりどりの屋台たちが視界に飛び込んでくるも、目の前のクレインの姿にどうしても霞んでしまう。

「タカト」

 ふと、クレインが僕の手首を引っ張る。手を引かれるままになる僕だったが、その意図はすぐに分かった。

「あれが食べたいわ。ええっと、たこ焼きといったかしら」

 そう。彼女が指したのは先程ホノカも食べたいと話していたたこ焼きの屋台。夕食には早いが、そこそこ空腹だった僕はホノカに悪いなと思いつつもたこ焼きを購入した。

 それから鎮守の森から少し離れた小高い丘の上まで歩き、そこにあるベンチにクレインとふたりで腰掛ける。この場所は人通りが少ないばかりか、花火を一番いい眺めで見ることのできる特等席。僕の秘密の場所だった。

「静かでいい場所ね、ここ」

「そ、そうだね」

 いつも一緒にいるはずなのに、こういうときだけ意識してしまって、なんと言葉をかけてよいのか分からなくなる。風に揺れる彼女の髪、ほんのりと香る花の匂い、彼女の横顔。

 夕暮れに浮かび上がるその姿は、いつか見た天使のようだ。

「ねえ、タカト? それを食べる前に、言っておきたいことがあるのだけど」

 たこ焼きのパックを開けようとしたとき、クレインが口を開いた。

「うん、いいけど……どうしたの?」

 その青い瞳が、何かを訴えかけるようで。思わず頷いてしまう。何か深刻そうな話でないとも限らない。が、なぜか彼女は、少しだけ頬を膨らませた。


「――ホノカのことよ。学校でも、今日も、タカトはずっとホノカばっかり見てたでしょう? 私は別に、その……構わないけれど、あまり露骨にされると私も困るの。私はまだ、ホノカのことを完全に認めたわけじゃないんだから」


 自分の中では、まるで意識していなかった問題だ。そもそも問題という認識すらなかったのかもしれない。でも、クレインがそう感じているということは紛れもない事実。いくら彼女の防衛機制が働いた結果だとはいえ、一度は殺したいほど憎んだ相手。味方となった今ではこの上なく心強い存在のホノカ。だが、味方だというのは僕の勝手な思い込みに過ぎないのかもしれない。

 だからクレインは、敢えてホノカと別行動をしたのだ。その理由が、やっと分かった。

「ごめん、クレイン。僕はそういうつもりじゃなかったんだけど、君がそう感じたのなら謝るよ」

「別に、構わないって言っているでしょう。けれど、私と一緒にいるときくらい、私のことを見てくれたって罰は当たらないわ。それとも、家で見慣れているから、今更何の感情も湧かないのかしら?」

「そそそ、そんなことないって! 今日だってその、クレインはいつもと違うし……」

 今日のクレインは本気で見惚れてしまうほど綺麗だ。その言葉を直接伝えるのは恥ずかしくてはばかられたものの、彼女には真意が伝わったのか伝わらなかったのかは分からない。

「そう、いつもと違う、ね。もし、あなたが本気でそう感じてくれたのなら、この浴衣にも感謝しないといけないのかもね。冷める前に食べましょうか」

 たこ焼きのパックを開けるよう促された僕は、中身が零れないよう、ゆっくりとそれを開く。仄かな湯気と美味しそうな香りが食欲をそそった。

 付属の爪楊枝を彼女に渡すと、僕も同じようにそれを持つ。

「なるほど、これで突き刺して食べるのね。じゃあ、いただきます」

 片手で袖を押さえ、たこ焼きをひとつ口に運ぶクレイン。僕も倣ってひとつ食べる。程よい温かさと旨味が、口の中に広がる。

「は、ふっ……ん、美味しい」

 出来立てではなかったのが逆に功を奏したようで、クレインも熱がることなく満足気に頬張っている。こうしてみると、普段はまるで意識していなかった彼女の物を食べる姿にすらも、胸の鼓動を抑えられない。

「それはよかった。まだあるから、ゆっくり食べていいよ」

「ええ。そうさせてもらうわ」

 そこで、最初にたこ焼きを食べたいと言っていたのはホノカだったことを思い出した。今は別行動中のホノカ、彼女とクレインが同じ行動に出るなんて想像もできなかった。ホノカが今どうしているかも気にはなるが、とりあえずここで花火の時間まで待とう。他の三人とは、その後に合流できれば――。

 僕が考えを巡らせていたそのとき。

 クレインが、何個目かのたこ焼きを口に運ぼうとした。しかしそれは彼女の口に入ることなく、ぽとりと地面に落ちた。

「クレイン?」

 彼女は深刻そうな面持ちで、ベンチから立ち上がった。

「ヒドゥンの気配がするわ。ここでもし奴らに出て来られたら、夏祭りに参加している人間が根こそぎ食らわれる可能性がある。幸いまだこの近くの山林に潜伏しているようね。行きましょう、タカト」

 彼女から差し出された手を取る。まさかこんな状況でヒドゥンが現れるなんて思ってもみなかった。他の人たちへの被害を最小限にすべく、僕が引き付けてクレインがとどめを刺す。 

 残ったたこ焼きのパックを、気にしている余裕はなかった。

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