第五章 - Ⅴ

 夏祭り当日の夕方。一旦ミオリ邸に集合という話にした僕とクレインは、夏祭りの準備をすることにした。と言っても、クレインが浴衣を着るだけで終了なのだが。着付けは先日、ミオリに教えてもらったらしい。

「ねえ、タカト。ちょっと見てくれる?」

 ドアの向こう側から声がする。既に着終えたらしいクレインが、僕を呼ぶ声。

「うん、分かった」

 廊下で待っていた僕はドアノブを回し、中の様子を覗った。

 ――思わず、目を見開いてしまう。綺麗だ、とか、陳腐な言葉しか出てこないのが本当に悔しい。

 白く柔らかそうな生地の浴衣は彼女の魅力を引き出すのに十分な役割を持っており、それに施された薄桃色の花の模様と腰に巻かれた群青色の帯がアクセントになっている。また、今日の彼女は髪をハーフアップでまとめており、普段とは違った雰囲気を纏っている。

 僕の姿を認めたクレインは、一瞬だけ視線を外し、それから横目でジッとこちらを見つめる。その頬は、ほんのりと赤く染まっているようにも感じた。

「変じゃない、かしら?」

 心臓が、跳ね上がって家の天井を突き抜けてしまうくらいの感覚だった。何か答えを返さなくては、と何度か首を振りながら言う。

「へ、変なんてとんでもないよ。むしろ、すごく似合ってる」

「そ、そう? ならよかった。服装も髪型も普段と違うから、なんだか緊張するわね」

 クレインの細い指が前髪を正すと、浴衣の裾から覗いた銀色の腕輪が光った。こういうときくらい、とは思うも、もしも仮にヒドゥンが出現したら、彼女は戦わなくてはいけない。無論、先輩たちと戦うことにもなるかもしれない。僕が、少しでも力になれたらと本気で思う。

「タカトは浴衣、着ないの?」

「うん。そもそも持ってないし、このままで行くよ」

 僕は動きやすいようにTシャツにチノパンという楽な格好。ミオリが店長の奥さんからもらってきたのは全て女性用だったというから必然的だ。

「ふうん。ちょっと不公平な気もするけど、温泉でも見たからいいわ。行きましょう?」

 クレインに手を引かれるまま、ミオリ邸へと足を運んだ。


「クーちゃん、タカト、こっちこっち!」

 ミオリ邸の前では、既に浴衣に着替えた執行兵たちが待機していた。その色とりどりの姿に、思わずどこに視線を向けていいか分からなくなる。

 ミオリはその快活さを示す黄色の浴衣。ヒメノは何処となくミステリアスさを感じさせる紫の浴衣。温泉旅行で見た物とは、華やかさの度合いが桁違いだ。そして。


「タカト、その、恥ずかしいからあまり見ないでくれ」


 どうしても気になってしまうのがホノカ。彼女の瞳と同じ、深い赤の浴衣だ。ホノカもまた、普段とは違い髪を結い上げて簪でまとめている。そこから覗く項が、どうしても色っぽく見えてしまって、目を逸らそうにも逸らせない。

「あー、タカトがホノちゃんの浴衣ばっかり見てる!」

「私たちのことは眼中になしですか。まあホノカが似合っているのは認めますが、もう少し注目してくださっても罰は当たりませんよ」

「いや、ホノカばっかり見てるつもりじゃなかったんだけど……その、もし嫌だったならごめん」

 すかさずホノカがぶんぶんと首を振った。

「い、嫌じゃない! だが、あまり慣れていないものでな。その、少し恥ずかしいんだ」

 やはり普段とは纏っている雰囲気が違うからか、注視してみたくなるのは必然なのかもしれない。と、そこで。背後からの鋭い視線を、ようやく感じた。

「……ふん。ミオリ、ヒメノ。このふたりは放っておいて、さっさと行くわよ」

「ええっ、待ってよクーちゃん!」

「別にお祭りは逃げませんよ、クレイン」

 言いながらも下駄を鳴らして歩いて行ってしまうクレインたち。少し離れたところで、僕とホノカも徐々に歩き出す。

「君も大変だな。クレインと一緒に生活するというのも」

「えっ、いきなりどうしたの?」

 不意に投げられた言葉に、どう反応したらよいのか分からずに訊き返してしまう。

「いや、なんでもない。それよりも、早くしないと置いて行かれてしまうぞ?」

 ホノカも少々足早にクレインたちを追い始める。道なりに歩いていくと、夏祭りが開催される神社はもうすぐそこだ。


 毎年のことで新鮮味は薄かったが、彼女たち執行兵と一緒という事実が、例年とは雰囲気を変えてきている。神社の鎮守の森を囲うように屋台が設置され、老若男女問わず様々な人がそこに居た。

「わぁ! ねえねえヒメちゃん、わたあめ食べようよ!」

「わたあめ? ああ、あの雲のようなものですか。美味しいのならばぜひ食べたいところです」

 到着するやいなや、ミオリとヒメノは屋台へと走っていった。後には僕とクレイン、ホノカだけが残る。

「タカト、私たちはどうする? 本来の目的は生徒会長の監視だが、まずは祭りの雰囲気を楽しんでもいいかもしれないな」

「ちょっと、ホノカ。任務を忘れたわけじゃないでしょうね?」

「当たり前だ。ただ、こうしたイベントは初めてだからな。それにこれだけ人間がいる場で、生徒会長が派手な行動に出るとも思えない」

「それには同感だけど、ひとまずは生徒会長の様子を見るのが先決じゃないかしら。ねえ、タカト」

 確かにクレインの言う通り、まずは哀原先輩の様子を確認して、何か不審な行動を取っていないかどうか確かめたほうがよさそうだ。裏で怪しいことをしていないとも限らない。

「じゃあ、僕たちは生徒会のブースに行こうか。ホノカ、付いてきてくれる?」

「構わない。だが、終わったらあのたこ焼きという丸い物を一緒に食べよう」

 夕食時ということもあってかたこ焼きや焼きそばといった祭りの定番の屋台には行列ができていた。こういう場所で食べると美味しさが増すことを彼女たちにも知って欲しいとふと考える。

「うん、分かった。クレインも一緒に食べようか」

「私も? ええ、いいけれど……その」

 クレインにしては珍しく言いよどむ。首を傾げながら訊こうとしたが、そうと決まれば行動の早いホノカに手を引かれるまま、僕たちはその場から移動した。

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