第五章 - Ⅱ
開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだろう。それはクレインも全く同じ様子で、肩を小さく震わせつつ、疑問符の絶えない頭の中を必死に整理しようとしているように見受けられた。
クラスメイト達の反応は、いたってお約束だ。クレインのときと同じようにはしゃぐ男子生徒、その綺麗な黒髪にうっとりする女子生徒。これはもう、僕も頭を抱えるしかない。
「焔火さんの席は……ええっと、竹谷くんの隣が空いてますね」
衣替えが始まる前に行われた席替えで、僕とクレインの席は離れたが、代わりにまたもや僕の隣の席が空いた。ホノカは、そこに座ることになった。
「タカトずるいぞ!」
「鶴見さんのときといい今回といい、俺と変われ!」
全くのとばっちりだが、僕は苦笑いをするしかない。と、ホノカが僕の隣までやってきて、小さく微笑む。そして、あろうことか僕の耳元へと顔を寄せてきた。
「タカト、昼休み、屋上へ行くぞ。私もみんなと昼食を摂りたい」
「そ、そう、だね。あはは……」
確かに、あのときホノカは「絶対に高校へ行く」と言っていた。その機会が、こんなに早く訪れるとは思わなかった。これも執行兵が持つ記憶操作の賜物なのだろうか。
横目でちらりとクレインを覗う。一瞬だけ目が合ったが、彼女はすぐに僕から視線を外し、担任の話に耳を傾けた。
「焔火さんはご家庭の都合で、この時期に転校してきたそうです。明日からの夏休み、よかったらこの街の案内でもしてあげてください」
興奮冷めやらぬ様子の男子生徒が、何名か率先して手を挙げた。これはなかなか、波乱の予感だ。
ショートホームルームが終わると、すぐに終業式が始まった。体育館へ移動し、クラス単位で整列する。
校長や生徒指導担当の教諭たちが夏休みの注意事項などを話す中、僕は同じ列にいるホノカのことを考えていた。あの出来事があってからすぐに転校、さすがはホノカだ。ともあれ、もし仮にディカリアと呼ばれる執行兵たちに襲われても、クレインとホノカがいればひとまず安心だ。
「それでは次に、生徒会長のお話です。
「はい」
司会の教諭が告げると、上靴を鳴らしながら、生徒会長の哀原先輩が壇上へと上がった。
肩に滑り落ちる一房の長い髪が特徴的な、おっとりとした雰囲気の女性。いつだったか、正門で僕に微笑み掛けてくれたことは今でも忘れていない。
先輩はマイクの角度を少しだけ下げ、全校生徒を見渡すと、微笑みを浮かべた。
「皆さん、こんにちは。ここにいるほとんどの生徒が、夏休みを心待ちにしているような表情ですね。長期休暇、素敵な響きですよね。私も大好きです」
哀原先輩のキャラは独特だ。どことなく天然が入っているような、周りの人を巻き込んで振り回していきそうなタイプ。だからこそ、生徒会長を決める投票で堂々の当選を勝ち取ったのだろう。
「数日後には、我が生徒会も参加予定の夏祭りが控えています。屋台はもちろん、花火大会などラインナップが目白押しですので、皆さんぜひ参加してみてください。私、夏祭りのために浴衣を新調したので、はりきっちゃいます」
男子生徒と女子生徒、それぞれから歓声が上がる。さすが、哀原先輩人気はすごい。これには教諭陣も苦笑いだ、案外、哀原先輩のような人が一番夏休みを楽しみにしているのかもしれない。
「もちろん、他校の生徒たちも催し物を用意していると思いますので、ご都合が合えばぜひ。今からてるてる坊主を作らないと、ですね」
今日はいつに増して冴えているなぁと呑気に構えていると、突然、哀原先輩の表情が変わる。
「ですが、楽しんでばかりでもいけません。宿題をきちんと終わらせて、事故のない、有意義な夏休みにしましょう。高校生にもなって小学生みたいなことを、なーんて思った人、多いんじゃないですか? 一番大切なことだから、初等教育で習うんです。その辺りを、しっかりと弁えてくださいね。あと、最近は物騒な事件……人が忽然と行方不明になることが増えているんだそうです。自分の身は自分で守り、事故なく怪我なく新学期を迎えるようにしましょうね」
教師に言われるのと哀原先輩に言われるのは、少しレベルが違う。哀原先輩の言葉なら、とばかりに男子生徒たちは耳を傾け、女子生徒は相変わらず哀原先輩に釘付け。そんな中、クレインとホノカだけは、ジッと哀原先輩を見つめていた。
「……?」
疑問に思ったときには、すでに先輩の話は終了していた。全校生徒に一礼をすると、壇上から降りようと歩き始める。
そこで、僕は見てしまった。耳が隠れるくらいに伸ばされた髪の奥。確かに、光る何かが存在したことを。
あの違和感の正体を掴めないまま、クレインとホノカに連れられ屋上で昼食を摂ることになった。夏本番が到来してきているため屋上は照り返す暑さに満ちている。クレインとホノカは涼しそうな表情さえ浮かべているが。
「ここが噂の屋上だな。なるほど、確かに静かで誰もいない、良い場所だ」
「ホノカ、まず私に言うことがあると思うのだけど」
腕を組み溜息をつくクレイン。彼女の心中はきっと複雑だ。クレインの防衛本能が働いた結果だとはいえ、殺したいほど憎んでいた相手が目の前にいて、しかも同じ高校の同じクラスに通っているとなれば。
「お前に言うこと? ああ、昨日何発か腹に入れたが、その後は大丈夫か? まだ痛かったのなら申し訳ない」
「そうじゃなくて! あなたが来るなんて話、聞いてないわよ」
「お前には言っていないからな。でも、タカトたちには伝えたぞ。いつか、かならず一緒に高校へ行くと」
「それにしても早すぎじゃないかな……」
ぼそりと呟いた言葉は、再度放たれたクレインの溜息によって掻き消される。
「はぁ……まあ、いいわ。でも私は、まだあなたのことを完全に認めたわけじゃない。それだけ、肝に銘じておきなさい」
「分かっている。それより、早く昼食を摂ろう。あそこはどうだ?」
給水塔の影になり、ちょうど日差しを遮ることのできる場所があった。ホノカが指さす方向に、僕とクレインも向かう。微かに風が吹き始め、真夏の屋外だというのにむしろ心地よい。付近に設置されたベンチに、クレインとホノカは僕を挟み込むように座った。
「あの、クレイン、ホノカ?」
「タカト、どうかした? タカトのお母様が入れてくれたこれのおかげで、鮮度は抜群のはずだけど」
「何かあったのか? ヒドゥンの気配なら、私は感じないぞ?」
僕が問いかけたかったのは弁当の保冷材の件でも、ヒドゥンの件でもない。今この状況について、だ。
「いや、そうじゃなくて……どうして、この配置なの?」
「配置? ホノカの隣に行くくらいならあなたの隣がいいわ。なら、必然的にこういう選択肢になると思うのだけれど」
「私も、クレインの隣はどことなく落ち着かないな。タカト、君の隣が一番いい」
言っている言葉は別として、ニュアンスは大きくは違わない様子だ。まあ、それほど密着しているわけではないのでこのまま昼食は摂れる。問題自体はないものの、恥ずかしさはどうしてもつきまとうものだ。
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