第五章「夏祭り」
第五章 - Ⅰ
――知らない場所で、誰かと誰かが戦っている。
ひとりは身の丈程もありそうな巨大な剣。ひとりは右手の槍と、左手の大盾。お互いに一歩も譲らない。激しい火花を散らしながら、戦闘は続いていく。
これは夢だ。僕がそこにいるという実感がまるでない。戦いの行方は、どうなるのか。全くの第三者である僕が、息を呑んで顛末を見守っている。
勝負は、やがて終焉を迎える。大盾の隙を掻い潜り、巨大な剣を持つ誰かが刃を振るう。そのまま、槍と大盾を装備した誰かは、袈裟斬りを受けて倒れ伏す。
一体、誰なのだろう。どうして僕は、こんな夢を――。
「ん……」
その日の目覚めは、いつも通りだった。ベッドから起き上がり、カーテンを開けて部屋の中に朝日を差し込む。いよいよ夏本番、そろそろエアコンが手放せなくなる季節だ。同時に、明日から高校は夏休みに入る。「彼女たち」と過ごす、初めての夏休み。僕の胸はちょうどいいバランスの期待と不安で満たされていた。
そのとき。
「――おはよう、タカト。相変わらず早いのね」
ベッドの上で上半身を起こした彼女……クレインは、まだ眠そうな青い瞳を擦りながら小さく欠伸をした。いつ見ても美しい、艶やかな白銀の髪が肩から零れ落ちる。そんな様に、思わず目を奪われてしまう。
「おはよう、クレイン。よく眠れた?」
「眠れた、けれど……なぜかしら、不思議な夢を見たわ。でも、その夢の内容が思い出せないの。まあ、私にとってはその程度の夢だったってことよね」
思えば、僕も変な夢を見た。誰かと誰かが戦闘を繰り広げているような、そんな夢。でも、クレインと同じように内容は全く覚えていない。案外同じ夢を見ていたかもしれないと想像してみるが、果たして彼女たちが人間と同じ夢を見るのだろうか。
そう。彼女たちは「執行兵」。僕たち人間の世界に蔓延る「ヒドゥン」を狩る存在だ。普段はこうして人間に擬態し生活している。ヒドゥンの動きが活発になる夜になると、彼女たちは本来の任務である狩りを行い、ヒドゥンを葬ることで過ごしている。特に報酬がもらえるわけでも、元いた世界に帰れるわけでもない。孤独な闘いだ。
「そっか。君たちも夢は見るんだね」
「当たり前でしょう。さ、今日も高校、行くわよ」
ベッドから起きた後の彼女の行動は早い。僕が見ている前でパジャマの前ボタンを外そうと指をかける。
「ちょ、クレイン! 僕が廊下に出るまで待っててよ!」
慌てて廊下に飛び出す僕。ドア越しに、クレインの悪びれる様子のない声が聞こえた。
「ああ、そうだったわね」
相変わらず、僕は男として見られていないらしい。昨晩、あんなことをしてしまったのに。唇に残る柔らかな感覚。思い出しただけで胸が高鳴り始める。執行兵の彼女には確かに関係のない話かもしれないが、唇と唇を重ねる行為の意味くらいは、分かって欲しかった。
これから毎日、眠る際に意識してしまったら。ふとそんな懸念が、脳裏を過る。しかし、彼女に手を出そうとすれば間違いなくあの世行きだ。いくら隣で眠っているからとはいえ、邪な事は考えない方がいい。
「おまたせ、タカト」
そこで、部屋の扉がガチャリと開いた。高校指定の制服に身を包んだクレイン。衣替えが終わって何週間か経つと、すっかり夏服も板についてくる。
「そんなにジロジロ見て、どうしたの?」
「いっ、いや、何でもないよ。僕も着替えてこようかな」
クレインのしなやかなに伸びる腕や足を見つめていた僕は、彼女からの指摘に思わず言葉を詰まらせてしまった。恥ずかしさを誤魔化すように部屋へと入る。彼女との生活にも慣れた気はしていたが、未だにこういう部分は拭えない。いったいこれから、どれほど長い時間、彼女と接することになるのだろう。その答えは、いくら自問を繰り返しても出なかった。
「今日も可愛いなぁ鶴見さん」
「ほんと、タカトが羨ましいわ。あいつ毎日一緒に登校してきてるし」
「夏休みは楽しみだけど、しばらく鶴見さんを見れなくなるのは寂しいなぁ」
クレインと共に登校し、席についたとき。そんな男子生徒の声が聞こえてくる。あくまでも僕に聞こえるか聞こえないかのギリギリの声だ。クレインが転校扱いになって同じクラスになってからは慢性的に聞こえてくるが、まあ僕に面と向かって話して来ないうちはそっとしておこうと思う。
と、そこで担任がやってきた。出席簿を持って教壇に立つ。
「おはようございます。皆さん、いよいよ明日から夏休みです。一か月を超える長期休暇で羽根を伸ばしたくなる気持ちも十分に分かります。ですが、高校生としての節度を守って規律正しい生活を――」
お決まりの台詞がつらつらと弾き出される。正直眠い。実際にもう何名かウトウトし始めているクラスメイトもいた。
「というわけで、今日は終業式と、昼休みを挟んでホームルームでおしまいです。終業式はこれから始まりますが、その前に、皆さんに転校生を紹介したいと思います」
転校生? 担任の頭が暑さで狂ったりしていなければ、確かに今「転校生」と言ったはず。それに伴って眠っていたクラスメイトたちが一斉に目を覚ます。皆、不自然な時期の転校生に興味津々だ。
「焔火さん、どうぞ」
ガラリ、とドアが開く。黒曜石のような黒髪が、さらりと揺れる。同時に、首から掛けられたネックレスも、転校生が歩く度に微かな音を立てた。
思わず、クレインの方を見つめてしまう。彼女も全く同じ気持ちだった様子で、目を見開いている。クレインのこんなに驚いた表情は、正直初めてだった。
転校生は担任と同じように教壇に立つと、白いチョークで黒板に丁寧に名を綴り、くるりと振り返る。深紅の瞳が、クラス全体を、クレインを、そして僕を見つめた。
「――
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