第四章 - XIII

「え――」

 言葉に詰まる僕。どうして彼女に知られているのか分からなかった。

「なんで、って顔してるわね。理由は簡単。ベッドから、ホノカの匂いがするからよ」

「匂い? ええっと……特に何も、感じないけど」

「私とホノカは、小さい頃からずっと一緒だった。そのくらい、分かって当然よ。別にホノカを泊めたことを咎めるつもりはないわ。ホノカにだって事情があったのでしょうし」

 そう言うクレインの表情は、何処となく面白くなさそうな、不満がありそうな、複雑なものだった。彼女に対して「ホノカは家の前に空腹で倒れていた」と話しても多分信じてもらえない。出かかった言葉を堪える。

「んー……まあ、ホノカもクレインに会いたがってたからね。多分、誤解を解きたかったんだと思うけど」

「まあいいわ。ホノカが私たちに協力してくれるなら、これ以上の味方はいない。実質、最終試験は彼女がトップだったようなものだし」

「そうなの?」

 確か首席がクレイン、ホノカは次席と聞いたはずだ。実質ということは、ふたりの間で何かしらの葛藤があったのだろうか。

「詳しくは伏せるけど、簡単に言えば、ホノカは敢えて私に勝ちを譲ったということよ。それに対して、彼女が何かメリットを得られたとも思わないけど。そういう態度も、私を逆撫でしたわ。だから、姉を殺した犯人をホノカに仕立て上げたかったのかもしれない。私なりの逃げ、なのかしらね。こんなこと、ミオリやヒメノには言えないけれど」

 そういうことか、と妙に納得してしまう自分がいた。執行兵の試験中、ふたりの間に何があったかは知る術もない。ホノカも、その理由を教えてくれる日がくるのだろうか。

「タカト、これから戦いは間違いなく激化するわ。ホノカが睨んでいた、私たちの一期上の執行兵たち。姉と同期の彼女たちが、ディカリアに関与している可能性は十分にある。ということは、彼女たちとも戦うことになるかもしれない。もしかすると、あなたの命も狙われるかもしれない。それでも……」

 クレインが、その細く柔らかい指で、僕の手を取る。微かに込められた、控えめな力。

「一緒に、戦ってくれる?」

 カーテンの僅かな隙間から月明かりが零れ、クレインを照らす。光を浴びた彼女の髪が煌めき、その顔もよく見える。

 僕の答えは、既に決まっていた。

「もちろん、僕も戦う。君たちみたいに戦闘はできないけど、僕が居た方がヒドゥン探しにも役に立つし、邪魔にはならないと思うんだ。ちょっと情けないけど、君たちには守ってもらわないとだけど」

「ええ。あなたのことは全力で守るわ。えっと、じゃあ……目を、閉じてくれる?」

「目を? いいけど……」

 言われた通りに両眼を閉じる。クレインが何をしたいのかさっぱりだったが、そこでふわりと甘い香りが漂ったかと思うと、僕の唇に冷たく、それでいて温かい感覚が触れる。触れて、一瞬で離れていく。

「え――?」

 間違いない。クレインが、僕に唇を重ねたのだ。

 慌てて目を開く。ほんのりと頬を染めたクレインが、真っ直ぐに僕を見つめていた。

「人間の世界では、キスは契約みたいなものなのでしょう? 実際、私が寝泊まりした深夜の公園でも、若い男女がこうしていたし」

「け、契約? ええっと……」

「違うの?」

 僕だって今のが初めてのキスだ。その深い意味など、知る由もない。とはいえ、契約というのは少し語弊がありそうだ。

「契約とは、ちょっと違うんじゃないかな?」

「じゃあ、どうして人間の男女はキスをするの?」

 深い意味は分からないが、それが示すことはひとつだけ。彼女に面と向かって言うのは、正直恥ずかしい。

「それは……相手のことが好きだから、とか?」

 クレインの瞳が、少しばかり開かれる。何か言葉を、と懸命な彼女。しかし、その口はなかなか言葉を発しない。

「クレイン?」

「に、人間の、だから。あくまでも人間がキスをする理由、だわ。私には関係ない……」

 そう、彼女はあくまでも執行兵。人間のする行為に何を感じるわけでもなさそうだ。とはいえ、目を泳がせてしどろもどろになるクレインも珍しい。もしかすると、僕同様に恥ずかしがっているのかもしれない。親近感が湧いた。

「な、何がおかしいのかしら? 別に動揺してるとか、そういうわけじゃないわ。ただ……もし、タカトが嫌だったなら、ごめんなさい」

 とんでもない。真逆の感情は抱くにせよ、嫌なんて微塵も思わない。

「そんなこと、ないよ。むしろクレインだったら、嬉しいかも」

「な――」

 我ながらストレートに表現してしまったと反省したときにはもう、クレインは寝返りを打つように僕に背を向けてしまっていた。

「はっ……話は、これで終わりよ。明日も学校だし、もう休むわ」

 照れ隠しといってしまえばそれまでだが、深くは突っ込まずに僕も彼女に背を向ける。

「うん、おやすみ」

 しかし、まだ僕の胸は高鳴っていた。正直、今日はもう眠れそうにない。

 本当に、クレインと出会ってから刺激的なことばかりだ。この日々がいつまで続くのか、僕には見当もつかない。もしかすると、クレインが話した戦闘の激化は避けられないかもしれない。

 しかし。クレインが側にいてくれれば、何も心配することはない。僕は、心の底からそう思っていた。

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