第四章 - Ⅶ
その日、クレインは当然のように学校を休んだ。このまま担任から僕の親に連絡が行く可能性も否めないので、この一件は早く終わらせるに限る。とはいえ、クレインの所在が分からない以上、これ以上何もできることはない。
「……」
とある授業中、窓の外をボーっと眺めていた。ここに、クレインが舞い戻ってきてくれたら。そして、ホノカとも戦わずに和解してくれれば。そんな儚い願いは、叶うことはないのだろうか。
放課後は文字通りあっという間にやってきた。今日はバイトもないので、ミオリ、ヒメノと校門で合流し、ホノカの様子を見に行くことになった。
「ホノカ、ちゃんと待ってるかな。ひとりでクレインを探しに行き出しそうだけど」
「んー、ホノちゃんは確かに強引なところがあるけど、言ったことはちゃんと守ってくれるよ? 私たちが最終試験を受けてるときも――」
「ミオリ。それ以上の口外は禁止です。大体、言ったところで食料さんには伝わりません」
「あはは、そうだよね。というわけでタカト、話す機会が来たら話すね」
何となく不完全燃焼だが、これも執行兵の掟ならば仕方がない。ただ、僕は片足どころか両足を突っ込んだ上に腰まで埋まってしまいそうなほど執行兵と触れ合っている。もはや後戻りはできないのだから、教えてくれてもとは思う。
そうこうしているうちに、ミオリの家に到着した。特に戦闘のあったような形跡はない。つまりまだクレインは、ここには姿を現していないということになる。
ミオリの手によって開かれた扉。それを開け放つと同時に、ミオリとヒメノが感嘆の声を漏らした。
「こ、これって……!?」
「む……ホノカ、さすがマメな性格ですね」
「ど、どうしたの?」
気になってふたりの背後から玄関を覗き込む。玄関のフローリングが、これでもかというくらい鏡のように磨き上げられている。決して比喩ではなく、あらゆるものが映し出されてしまいそうなほどだ。靴箱や柱なども丁寧に拭かれており、埃ひとつ見当たらない。
と、そのとき。
「ん、ああ、お帰り。あまりにも手持無沙汰だったので、勝手ながら掃除をさせてもらった。迷惑でなければいいが」
手にフローリング用のクロスを携えたホノカが、首元のネックレスを揺らしながら現れる。そんな彼女に、パタパタと駆け寄るミオリ。
「迷惑なんてとんでもないよ~! さっすがホノちゃん、ピカピカだね!」
「最近掃除が滞っていたので、素直に感謝します。ありがとうございます」
「そんな……匿ってもらっている以上、私にできることは全てやるつもりだ。遠慮なく言ってくれ」
胸を張る姿は、どことなく頼もしい。この調子でクレインとも和解してくれれば、どんなに楽なことだろう。クレインの様子だと、こちらがいくら歩み寄ろうとしても聞く耳を持たなそうだけど。
「ありがと。ちょっと早いけどご飯の支度しよっか。タカトも食べてく?」
くるりと振り向いたミオリに笑顔を向けられる。今日も両親は仕事で遅いはず、ミオリの言葉に甘えることにした。後で母親に連絡を入れておけばいい。
「うん。よかったら僕も手伝うよ」
「まーまー、タカトとホノちゃんはお茶でも飲んでてよ。タカト、ホールの方が多いでしょ?」
「う……」
そこを突かれると痛い。バイト先のカフェで、ミオリはホールもキッチンも一通りこなすのに対し僕は圧倒的にホールの比率が高い。理由は単純で、料理が壊滅的にできないからだ。デザートの飾り付けくらいならば、というレベルで。
「ミオリがそう言ってくれるのならば、言葉に甘えよう。タカト、ちょうど君と話したいこともある」
「僕と?」
「そうだ。お茶を淹れるから、少し待っていてくれ」
ホノカに促されるままにソファへと腰掛ける。しばらくすると、ふたり分の緑茶を持ったホノカが、僕の隣に座った。
手を伸ばせば届くような距離。クレインのおかげで多少は耐性が付いてきたとはいえ、未だに慣れない。
「待たせたな。それで、話のことなのだが」
緑茶の入った湯飲みを両手で包み込むように持ったホノカ。いつもならばスパッと言い切ってしまいそうなところだが、今回は歯切れが悪かった。
そこで、目星をつけるように僕からも口を開く。
「クレインのこと、かな?」
「ああ。君には、全てお見通しだな」
小さく苦笑を浮かべ、ホノカは緑茶を一口だけ飲んだ。そして。
「クレインと会って、クレインと話したい気持ちに偽りはない。ただ、いざ彼女を目の前にしたとき、私の言葉で本当に分かってもらえるかが不安なんだ。君の力も借りるとはいえ、説得し切れるかどうか……それを考えてしまうと、その、とても怖い」
彼女が恐怖を口にするなんて意外だった。確かに昨日の夜、僕はホノカに協力することを決めた。このままクレインが復讐に駆られていては、収拾がつかなそうだからだ。
ただ、僕がどんなにクレインを宥めても、結局最後はクレインとホノカ、ふたりの問題だ。彼女たち自身で終止符を打たなくては意味がない。だから僕は、アドバイスになるかは分からないが、ホノカに精一杯の言葉を伝えた。
「ホノカ。怖い気持ちは、よく分かるよ。僕だって、本当に君の力になれるかどうか不安だし、正直、クレインに何を伝えればいいかもあやふやだし」
「そう、なのか?」
「うん。だからこそ、自分が思ったことを、そのままクレインに伝えるしかないんじゃないかな。答えのないことだし、クレインに伝わるかどうかも分からないけど……何もしないよりは、格段に有効だと思う」
ヒメノに言わせれば非効率的だと笑われてしまうかもしれない。でも、方法は限られている。力でクレインを抑え込むのも手といえば手だが、それができるような状況でもなさそうだ。
「自分が思ったこと、か。そうだな。クレインに、ありのままを伝えるしかないのかもな。案外、それが一番近道だったりするのかもしれない……ありがとう、タカト。少しだけ気が楽になった」
「どういたしまして。あんまり答えになってなかったけど、ホノカがそう言ってくれるなら」
緑茶の湯飲みは程よい温かさになっていて、一口含むと、仄かな苦みと甘みを感じることができた。ホノカとの話がひと段落したところで、キッチンにはよい香りが漂い始めていた。
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