第四章 - Ⅵ

 翌日、目覚ましの音で目を覚ます。時計はまだ午前六時を指していた。傍らのホノカは、僕のベッドの上ですやすやと眠っている。ちなみに僕は別に用意した布団で眠っているので、クレインのように同じベッドで眠っているわけではない。

 あえてこの時間を設定したのは、ミオリと連絡を取るためだ。早めに家を出て、ホノカをミオリの家に預ける。僕の家に居ては、いつクレインが戻ってくるか分からないからだ。

 早速、スマートフォンを操作してミオリに電話をかけた。コール音が四回ほど鳴ったところで、電話が繋がる。

「もしもし、ミオリ? 朝早くにごめん」

『誰かと思えば食料さんですか。残念ながらヒメノです』

「ヒメノ!? どうしてヒメノが出てるの?」

『この時間にミオリが起きている確率はほぼゼロです。それより、何か御用ですか? 私に話せる内容でしたら、代わりに聞きますが』

 確かにミオリよりもヒメノの方が今回の件を伝えるのに適していそうだ。ホノカが起床していないことを確認すると、再び電話越しに口を開く。

「今、僕の家にホノカがいる」

『ホノカが? 間違いなく、ホノカがいるのですか?』

「うん。クレインはまだ戻ってないから、今のところは何とかなってるけど……クレインがいつ戻ってくるか分からない以上、ずっとここに居てもらうわけにはいかないと思って」

『それで、場所を変えようというわけですね。食料さんの家から、ミオリの家に』

「話が早くて助かるよ。大丈夫そうかな?」

 電話越しの声が何秒か聞こえなくなる。ヒメノは思考を巡らせているのだろうか。そういえば、クレインは置いておくとして、ミオリやヒメノとホノカの関係はどうなのだろう。ヒメノはホノカがクレインの姉を斬ったとは考えにくいと言っていたが、それ以上の情報はない。

 そんな静寂を破るように、声が聞こえた。

『私ひとりの判断では何とも言えませんね。まだホームルームの予鈴まで時間がありますし、一度ホノカをここに連れてきていただくことは可能ですか? こちらもミオリを起こしておきますので』

「言われなくてもそのつもりだったよ。今から支度するから、待ってて」

 電話はそこで切れる。僕はスマートフォンをポケットにしまうと、ベッドの上のホノカに歩み寄り、肩を軽く揺すった。

「ホノカ、おはよう」

「ん……君か、人間は随分と早く起床するのだな」

 ホノカは一度寝返りを打って僕の方へ向くと、ぱちりと赤い瞳を開けた。朝が弱いのは執行兵共通なのだろうか。とはいえ、今は状況を説明しなければいけない。

「とりあえず起きられるかな? 今から、ミオリとヒメノに会いに行くから」

「ミオリとヒメノ? あの、執行兵のミオリとヒメノか?」

「うん。クレインと同じく、こっちの世界に来てるんだ」

「それは知っていたが、この街で活動しているとは驚いたな。私も彼女たちに会っておきたい。すぐに準備をしよう。少し、後ろを向いていてもらえるか?」

 すかさずベッドから起き上がってパジャマのボタンを外し始めるホノカ。反射的に目を逸らして、背を向けた。僕も僕で、準備をしなくてはいけない。

 衣擦れの音が響く中、ホノカが柔らかな口調で放った。

「しかし、懐かしいな。クレイン、ミオリ、ヒメノ、そして私。この四人で、執行兵となるために日々鍛錬を重ねてきた。無事に執行兵になれたと思ったらミオリが人間界に行き、そしてクレインとヒメノも……また共に戦えると思うと、嬉しいものだ」

 彼女たち四人が、ホノカの言う「同期」なのだろう。そして同期でも一斉に派遣されたわけではなく、それぞれバラバラにこちらの世界に来た。そういう認識で間違いなさそうだ。

「その前に、まずクレインを説得しないとね」

「そうだな。もし仮に巻き込んでしまったときのために、今のうちに謝っておこう。すまない」

 なんだか僕が死ぬ前提のようだ。彼女たちの戦闘に割って入ろうものなら、跡形もなく消されてしまう可能性も否定はできないが。

「よし、こちらは準備完了だ。君は?」

 昨夜中に洗濯と乾燥を終わらせておいた、リボン付きのワイシャツにスキニー。全身が闇に落とされたような服装の中、彼女の赤い瞳とネックレスが煌々と輝いている。彼女が着替えている際、僕も制服への着替えを完了し、少し早い登校準備を整えた。

「うん、大丈夫」

「その服、人間界の制服か。ということは、これから学校に行くのだな」

「そうだよ。ミオリもヒメノも、同じ高校に通ってるんだ」

 意外そうに頷くホノカと共に家を出る。何処からか聞こえてきた蝉の声が、朝の始まりを告げているようだった。


「いらっしゃい、ホノちゃん!」

「うわ、驚かせるなミオリ。ヒメノも、突然押しかけてすまないな」

「構いません。むしろ、今の獰猛な獣のようなクレインに襲われたらひとたまりもありませんから。とりあえず中へ入ってください。食料さんも」

 玄関前で繰り広げられた会話。ミオリは既に起床しており、眩しい笑顔を覗かせた。ヒメノは相変わらず淡々としているが、特に何事もなく彼女たちの家の中へ通される。ヒメノが放った「食料さん」という呼称に、ホノカだけが首を傾げていたが。

 二日連続で訪れたミオリ宅は、相変わらず丁寧に整理整頓されている。これもヒメノの家事スキルを覗わせるようで、一体彼女の死角は何処にあるのかと疑いたくなる。

「これでクーちゃんもいれば、同期が勢揃いなんだけどなぁ」

「そうですね。クレインがいないとはいえ、またあの面子が揃うとは思いもしませんでした。てっきり、人間の世界では孤独な戦いを強いられるのかと」

 ミオリもヒメノも、既に制服への着替えを済ませていた。ヒメノが淹れてくれたコーヒーの湯気が立つのをジッと眺めていたホノカ。が、彼女の口は唐突に開いた。

「ミオリ、ヒメノ。私が、本当にルーシャさんを斬ったと思っているか?」

 核心を突く質問だ。ミオリは瞳を見開き真ん丸に、ヒメノは表情こそ変えないが肩を少々揺らめかせた。

「うわぁ……開口一番で単刀直入とはまさにこのことだね」

「本当ですね。話が意味もなく長い方よりは好感を持てますが、それにしても何の前置きもなしとは」

「すまない。だが、どうしても君たちに誤解されたくはないんだ。当然、クレインにも――」

 ホノカの訴えは痛いほど伝わってきた。執行兵になるため、執行兵になった後も、共に過ごしてきた仲間に疑惑の目を向けられては、誰だって誤解を解きたくなる。

 ただ、事情を知っているからこそ、ミオリもヒメノもあまり良い反応は示せないようだ。

 互いに顔を突き合わせたふたり。先に口火を切ったのはヒメノだった。

「ホノカ、クレインの説得はかなり難航するかもしれません。未だかつてあんなに怒りと憎しみを露にしたクレインを見たことがありませんので」

「そうか……戦うしか、ないのか」

「あなたの姿を見れば、クレインは間違いなく襲い掛かってくるでしょう。そうしたらあなたも武器を構えるしかない。ですが……」

 一呼吸の後、左手の小指に嵌められた指輪に触れながら、ヒメノは続けた。

「私個人としては、執行兵同士で争っていても何の得にもならないと思います。それに、ホノカがルーシャさんを殺す理由が分かりません。食料さんから話を聞いて、実際にホノカに会うまでは判断しないようにしようとしていましたが、やはり、あなたの言うことは正しいと私は考えています」

「私も、ヒメちゃんと同じ意見。ホノちゃんがルーシャさんを斬るなんてありえないと思う。何より、クーちゃんとホノちゃんが戦うところなんて見たくない。入隊したときから、最終試験も、その後だって、私たちずっと一緒だったのに。そんなの、悲しすぎるよ」

「ヒメノ、ミオリ……ありがとう。タカトも協力してくれるというし、ともかくクレインの説得が先決だな。では、君たちはそろそろ学校に行くのか?」

 ホノカが指を指したのは時計。時刻は、午前七時半を回っていた。

「そうだね。もう出ないと遅刻するかも」

「ホノちゃん、何かあったらヴァリアヴル・ウェポンで連絡してね。特に、クーちゃんが現れたとか」

「分かった。その、私も一緒に学校へ行ければいいのだが」

 自らが纏うワイシャツの裾をキュッと掴みながら、ホノカは俯いた。そういう話に目がないのがミオリだ。瞳を輝かせながら、ホノカにずいっと近寄る。

「な、ミオリ……っ?」

「私も、ホノちゃんと一緒に高校行きたい! 今はクーちゃんのゴタゴタがあるから難しいかもだけど、いつか絶対、行こうね?」

「ええ。高校も決して安全な場所とは言い切れませんので、執行兵の戦力は多いに越したことはありません。それに、この一件が片付けばクレインとホノカが揃うことになります。並のヒドゥンならばあなたたちの敵ではないでしょう」

 それだけ実力を買われているということだ。ミオリの家に来てからずっと浮かない顔だったホノカ。そこで、初めてにっこりと笑った。

「ああ、私も必ず共に行く。約束だ!」

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