第四章 - Ⅴ
それからほどなくして両親が玄関の鍵を開ける音が聞こえたので、ホノカを慌てて二階の自室へ案内する。当然、両親にはホノカのことを話さずに、僕が夕食を摂っている間、彼女には僕の部屋で待機してもらうことにした。
両親にもクレインの所在を訊かれたが、今日は友達の家に泊まっているということにしておいた。
明日も学校はあるものの、ホノカは基本的に両親の寝静まった夜にしか行動させることはできない。というわけで、深夜に彼女にシャワーを浴びてもらい、自室でかなり遅めの夕食を摂ってもらった。
「これは美味しいな。私たちの世界にも魚を焼いた料理はあるが、これほど美味しいのは始めてだ」
母親製の焼き魚を頬張りながら、素直な感想を漏らすホノカ。部屋の明かりを煌々と点けるわけにもいかないので、今は暗い部屋の中で緊急用のランタンを照らしている。
「お替りもあるから、足りなかったら言ってね」
「すまない」
深夜に食事をしたら色々とまずいかもと一瞬だけ考えはしたが、彼女が人間ではないことを思い出して妙な安心感を覚えていた。クレインをはじめ他の執行兵たちにも同じことが言えるが、姿形はどこからどう見ても人間なのに、不思議なものだ。
「ところで、服、大丈夫?」
今のホノカは、クレインが着ていたパジャマを身に纏っている。艶やかな黒髪がクレインとの対比を表現しているようで、彼女は今どこで何をしているのだろうと不安に駆られる自分がいた。
「問題ない。その、少し胸の辺りがきついが」
言われて、思わず視線を動かしてしまう。クレインのときもまじまじとは見なかったが、ホノカのそれは確かにパジャマに収まり切れないようだ。
「あっ……いくら暗いからとはいえ、あまり見るな」
僕の視線に気づいたのか、箸を止めたホノカが片腕で胸を覆うようにして少しばかり俯く。
「わ、悪かったよ」
斬り殺すと言われてはたまらないが、そういった様子はなかった。短く息をついたホノカは、最後に味噌汁を飲み干すと箸を置いた。
「しかし、本当にここにクレインが居たのだな。クレインの服に、クレインの私物……彼女がここまで人間らしい生活を送っているとは思わなかった」
しみじみと、回顧するように話すホノカ。その表情は、どことなく柔らかさを感じた。
クレインには直接訊けなかった、というより誰かから客観的な意見を聞きたかった質問を、僕は投げていた。
「ホノカ。君たちの世界でのクレインって、どんな執行兵だったの?」
「そうだな。まず、私たちの世代で一番の実力者だったことは間違いない。君も、クレインがヒドゥンを倒す姿は見たことがあるだろう? 芸術的なまでに繊細に狩る。それがクレインの戦闘だ」
改めて考えると、あの取り回しの悪い大きな槍を二本も同時に操り、ヒドゥンの首や目などを的確に攻める姿は、まさしく芸術と言って差し支えないと思う。目の前に居るホノカもそうだ。ヒドゥンの動きを封じるために足を斬り飛ばし、心臓を一突き。ミオリの話では執行兵が受ける最後の試験、クレインは首席でホノカは次席。ふたりの戦闘が無駄のないものなのは言うまでもない。
「当然、戦闘以外でもだ。性格が良いかと言われると少し疑問だが、ああ見えて細かいところにまで気を配れる執行兵なんだ。まあ、考えるより先に行動してしまう無鉄砲さがあるが、それも執行兵においては必要なことだと思う。今回はそれが裏目に出てしまっただけだ」
「裏目に、か……」
今更ながら、今日の帰路でクレインの話に深く切り込んだことを後悔する。その場合、僕の自宅前でホノカが倒れていても気付くことはなかったのかもしれないし、あるいは気付いて戦闘になったかもしれない。その段階で決着が付いてしまっていた可能性もありうる。
だが、覆水は盆には返らない。この状況で可能性を探ったとしても、何の解決にもならないのだ。
「どうした? そんなに思い詰めたような顔をして」
「何でもないよ。それより色々教えてくれて、ありがとう。クレインには訊けないことだったからさ」
「礼などいらない。ああ、そうだな。逆に質問しても大丈夫か?」
首を傾げる彼女。断る理由はないが、ホノカが僕に何を訊くのか気になるところだ。
「うん、大丈夫だよ」
ホノカはすぐには言わなかった。その仕草は、どこか言葉を選んでいるようにも見えた。
「君にとってのクレインは、どんな存在なんだ?」
――鋭利なもので胸を突かれたような、そんな感覚だ。今まではその核心に触れたくても、ほぼ常にクレインといたから触れられなかった。自分の中で答えを出せなかった。
その状況で、余り回っていない頭で、僕は考える。僕にとって、クレインは一体何者なのか。そして、ぽつりぽつりと、言葉にしていく。
「僕を守ってくれる存在、って言ったらそれまでなんだけど、どうしてだろう。もっと別の感情も、確かにあるんだ」
「別の感情? それは、人間にしか理解できないものなのか?」
随分と突っ込んだところまで訊いてくるあたり、ホノカとしても友人がどう思われているのか気になっている様子だ。
「いや、そうじゃないと思うよ。別の感情っていうのは、側にいて落ち着くとかそういったことだし――」
側にいて落ち着く。それは確実なことだ。でも、頭の上に疑問符を浮かべるホノカを見て、慌てて謝罪をする。
「ごっ、ごめん。君にそんなこと話しても、付いていけないよね」
「問題ない。今のクレインが君にどういう接し方をしているか、私は知らない。だが、もしも私の知っているクレインのままだったとしたら、君は特殊だな」
「特殊?」
「ああ。私の知る限り、クレインをそういう風に称した者はいなかった。それはクレインの姉、ルーシャさんであってもそうだった。クレインが誰かにそういってもらえるということは、彼女にとってみても成長している証拠なのではないか? まあ、それは私たちに知る術はないが。さて、と」
空の食器が乗ったトレイを僕に手渡しながら、ホノカは言った。
「クレインの説得、君にも手伝ってもらおう。私ひとりよりも、君が一緒の方がいい」
何かの確信を得たように、ホノカは微笑みを浮かべた。
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