第四章「ホノカ」

第四章 - Ⅰ

 旅行から数日。ホノカとの邂逅を経て、僕たちはいつもの生活に戻っていた。

 クレインの口数が少しだけ減ったことを除けば、何も変わらないいつもの日常。相変わらずクレインとは一緒に暮らしているが、あれからヒドゥンの姿も見なかった。

 そして。例に漏れず、今日も授業を終えて帰宅する。僕のバイトが無い日はこうして並んで、一緒に帰るのが通例だ。いつもならばクラスであった出来事を話してくれるクレインだったが、ここ数日はずっと口を開かない。

「ねえ、クレイン?」

「何?」

 ようやく聞けたクレインの声は、鋭い刃物のように僕に向けられる。ここでホノカの話題を出すのは厳禁だ。言い淀んだ僕に、クレインは続けた。

「用がないなら話しかけないで。ヒドゥンが出てきたらどうするの?」

「それは、そうだけど」

 君は囚われすぎている、と言っても、彼女は聴く耳を持ってはくれないだろう。第一、彼女たち執行兵はそれが仕事なのだから。それでも。

 反論をされることを承知で、放った。

「あんまり、根を詰めすぎない方がいいと思うよ。もし倒れでもしたら――」

 言い終わる前に、彼女が言葉を遮る。


「ホノカの糸口をようやく掴んだのよ? なのに、そこで意識を切らすのは愚か者の所業だわ」


 思えば、温泉旅行の際も似たようなことを言った。でも、あのときとは真逆の対応だ。

 言うなり、クレインはもう僕には興味を示していないように、スタスタと歩いて行ってしまう。

「ま、待ってよ!」

「しつこいわね、串刺しにするわよ」

 彼女の言葉は僕を委縮させるには十分すぎるほど。それでも、伝えなければならないと思った。

「ホノカと話したこと、この前話したけど……まだ、君に伝えていないことがあるんだ」

 ホノカ、と名前を出しただけで、クレインの眉がピクリと動いた。

「どういうこと? まさか、ホノカに口封じでもされているの? 本当に機密事項なら、ホノカはあなたを生かしておかないでしょうけど」

「そうなんだ。僕の記憶が消せなかった時点で、ミオリと同じように、ホノカも僕を斬ろうとするんだと思ってた。でも、違った。ホノカは「ヒドゥン以外の存在を斬るのは気が進まない」って言ったんだ」

 一瞬だけ、信じられないように目を見開いたクレインだったが、すぐに正面を向き直った。

「それで? ホノカが私の姉を斬っていないとでも言いたいの?」

 さすがはクレインだ。今の言葉だけで、僕の言いたいことを完璧に当てた。

「状況を見てないから何とも言えないけど、少なくとも僕はそう思う」

 本当に斬ったとしても、斬らなければいけない理由があった。そんな予感を、僕は抱いていた。クレインの表情が、曇っていく。

「……随分あの子に肩入れするのね」

「肩入れなんてしてないよ、僕は、ただ――」

「あなたは所詮、私たちの事情も知らないただの人間。憶測で物を言うのはやめなさい」

 あの旅行での出来事が、よほど尾を引いているに違いない。クレインは明らかに普段とは違う態度を取っていた。

 いつもの僕ならばここで引いていただろう。でも、ホノカの言葉がどうしても頭にこびりついて離れない僕は、何としてもクレインに分かって欲しかった。

「憶測じゃない。ホノカが言ったんだから、事実だよ」

「っ――」

 僕の譲らない態度は、クレインの機嫌を損ねるだけだった。彼女はその場でバッと向き直ると、青い瞳で僕を睨んで、声を上げる。

 冷ややかだが、はっきりと芯の通った声で。


「好きにしなさい。ホノカとでも誰とでも組めばいいわ。でも、あなたがホノカと組むのなら容赦はしない。あなたごと串刺しにして、あの世に送ってあげる。それまで、せいぜいヒドゥンに殺されないことね」


 言うなり、クレインは踵を返して僕の家とは反対方向へと歩き去った。僕はただ、伝えたかっただけ。クレインの気持ちを考えていなかったのは事実だが、あそこまで怒るようなことだろうか。

「……分かんないな、ほんと」

 とはいえ、悠長に立っている場合ではない。クレインともう一度会話をするのが先決だが、彼女の姿は夜の帳が落ちかけた闇の中、どこにもなかった。

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