第四章 - Ⅱ

『はーい、どちら様で……』

 インターホン越しに聞こえた声に、僕は安堵すら覚えていた。彼女の家は、以前バイトの帰りに寄ったことがあった。といっても外観を眺めただけだったので、中には入ったことはない。

 彼女にクレインのことを相談するか、かなり迷った。しかし、協力関係にある以上、話さない訳にはいかなかった。

「ミオリ? 僕、タカトだよ」

『えええッ、タカト!? どうしてタカトがここに?』

「ちょっと色々あってさ」

 インターホンの声はそこで途切れた。代わりに、トタトタと快活な足音が響く。

「わ、本当にタカトだ」

 口に手を当てて驚いたようなポーズを見せるミオリ。僕は苦笑いを見せながら言う。

「僕じゃなかったら誰になるのか気になるけど、僕だよ」

 きょろきょろと忙しなく視線を動かすミオリ。何かを探している様子で、その正体は火を見るよりも明らかだった。

「クーちゃんは?」

「ええっと、そのことで話があるんだ」

「ふーん。まあいいや、とりあえず上がってよ」

 女の子を家に上げるのもそうだったが、女の子の家に上がるのにも慣れていない僕。しかし今は事情が違う。話さなければならないことを頭の中でもう一度整理し、ミオリの家へ上がった。


 一人暮らしにしては広いダイニングに通されると、またもや見知った顔が現れた。

「食料さんではないですか。クレインのみならず、ミオリにまで手を出しに来たのですか?」

「違うよ。第一クレインにも手を出してないし……って、どうしてヒメノがここに?」

「ヒメちゃん、今は私と一緒に住んでるんだよー。人間でいうシェアハウスってやつかな? ちょっと違う?」

 ミオリがマグカップを三つトレイに乗せて、テーブルに持ってくる。中には淹れたてのコーヒーが入っていて、ほかほかと湯気を立てていた。

「はい、タカト」

「ありがとう。早速なんだけどさ、実はクレインが……」

 ふたりを前に、つい先程あった事の顛末を話す。自分の言動がしつこすぎたのか、それともクレインの対応に問題があるのか、第三者の視点から判断して欲しかった。

 話を終えたところで、唐突にヒメノが口を開く。

「平たく言えば、喧嘩をしたということですね。クレインがホノカに固執しすぎているという事実も確かにありますが、今回は食料さんのデリカシーがなさすぎると思います」

「んー、私もヒメちゃんに同じく、かなぁ。喧嘩したなら仲直りしなくちゃだけど、肝心のクーちゃんが何処かへ行っちゃったんだからどうしようもないね」

 喧嘩という言葉で片づけられたら、どんなに楽だっただろうか。明らかにそれ以上のことをしてしまった自覚は確かにある。僕の言葉が、クレインの琴線に触れたのは事実だから。

「どうしようもない、か……」

「私たち執行兵は、人間の世界の極限下でも生存できるよう訓練されています。クレインも死にはしないでしょうが、食料さんの家のように快適な空間にはいないでしょう。案外、すぐに帰ってくるかもしれませんし」

「そうだね、今はクーちゃんの帰りを待つしかないよ。私たちも、ヴァリアヴル・ウェポンで交信してみる。何かあったら、連絡するね」

 人間の世界に馴染みすぎているミオリは、手にしたスマートフォンをちらつかせた。バイトのシフト交代など、彼女と連絡を取ることは少なくない。そんな様子をジッと見ていたヒメノが、コーヒーに砂糖とミルクを入れながら呟く。

「私も「すまーとふぉん」という物を所持した方がいいのでしょうか」

 椅子が倒れんばかりの勢いで反応したのはミオリだった。その瞳は既にキラキラと輝いている。

「え、ヒメちゃんが!? いーよいーよ、今度のお休みのときに買いに行こう? お金は私が払うし、タカトとも連絡できた方が便利だし!」

「確かに、人間の世界に慣れるために持った方がいいかもね」

「ミオリはともかく、食料さんがそう言うのでしたら。人間の機械にも触れておきたい気がしますし」

 柔らかいヒメノの笑み。思わず、心臓が跳ねてしまう。いつもならばミオリにからかわれているところだが、当の本人はスマートフォンのカタログを開いて鼻歌を口ずさんでいる。

「ヒメちゃん何色がいいかなぁ、やっぱりピンク? せっかくだから可愛い色がいいよね」

「無難に白や黒で結構です。目立ちたくないので」

「えー、駄目だよぅ。ほら見て、パッションピンクだって! 可愛いよ~!」

「ピンク色なのはミオリの頭の中かもですが、まあいいです。それより食料さん」

 ころころと表情を変えるミオリを尻目に、ヒメノは眉ひとつ動かさない。

「どうしたの?」

「あなたはもう少し、クレインのことを考えてあげるべきでした。それは理解していますね。彼女にホノカを庇うような発言は厳禁です。殺したいほど憎んでいる相手を擁護されれば、誰だって腹が立ちますよね」

 諭されるような口調で、それでいて確実に僕を追い詰めるヒメノ。彼女は、僕がホノカから聞いた言葉をどう受け止めるのだろうか。

「そうだけど、僕は本当のことを伝えたかったんだ。ホノカは、簡単にヒドゥン以外の存在を斬るような執行兵じゃないって」

「例えホノカがそう言っても、それを証明する手段はどこにもありません。まして、クレインにそんなことを言おうものなら激昂するに決まっています」

 確かに、頭を冷やして考えるとヒメノの意見はもっともだった。あくまでも僕が感じたという主観的な感覚だけで決めつけるのは愚の骨頂だ。そして、クレインのことを考えられなかったのは自分。非はありすぎるほどあった。

「そう、だね……」

 ヒメノは僕の反応を一瞥すると、コーヒーを一口だけ含んでから続ける。

「ですが、食料さんの言っていることも一理あります。私も、ホノカが他の執行兵を、ましてや親友の姉を斬るとは思えません。確証がない以上、ホノカを犯人と決めつけるのは早計な気がしています」

 ヒメノも僕と同じように、ホノカのあの瞳を信じているのだろうか。執行兵の同僚として間近で見てきた彼女の意見の信憑性は高かった。

「ヒメノ……」

「まあ、私が何をどう考察したところで状況は好転しないと思いますが。私とミオリは、ヴァリアヴル・ウェポンを使ってクレインと交信を図ってみます。食料さんは、お心当たりのある場所を探してみるのが先決では? 原始的な方法ですが、これが一番の近道かもしれません」

「そうだね、クーちゃんがお腹空かせてたらかわいそうだし……もし見つかったら、すぐにタカトに連絡するね」

 ミオリとヒメノの協力を仰ぐことのできた僕は、小さく、それでいて力強く頷いた。

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