第三章 - Ⅴ

 銀の一閃と、真紅の光。風のように通り抜けたその影。

「え、っ……」

 目と口を開いたまま、閉じることができない。次の瞬間、どっしりと地に付いていたはずのヒドゥンの右足が、血飛沫と共に跳ね飛ばされた。

「グ、ギャッ!!?」

 絶叫を上げつつバランスを崩すヒドゥン。何が起こったのかさっぱり分からない。すると。

「浅いな。心の臓まで斬り込んだつもりだったが」

 僕とヒドゥンの間に躍り出た少女。背格好はクレインとほとんど同じ、暗闇に溶けるような艶やかな黒髪と、同じく黒い布を外套のように纏っている。手にしているのは、鈍く光を放つ一振りの日本刀のような得物。ある種の確信が、頭を駆け巡り、気付いた時には声を発していた。

「し、執行、兵……!?」

 その声にぴくりと肩を揺らした少女が、こちらに向き直る。燃えるような真紅の瞳が僕を捉えた。

「今、執行兵と言ったか?」

「え、あ、その……うん」

「なぜ君がその名を知っているか問い正したいところだが、話は後だ。殺されたくなかったら、この場から離れろ」

 低めだが、確かに少女だと分かる声。未だに呻き声を上げるヒドゥンに対峙する。


「覚悟しろ、ヒドゥン。貴様の相手はこの私だ」


 一歩、二歩と後ずさった僕は、逃げずにその戦闘をジッと見据えていた。

 刀を両手で携え、中段に構えた少女。足を斬り落とされて不安定な体勢のヒドゥンに向け、刀身の切っ先を突き付け、地面を蹴る。

「はぁぁぁッ!!」

 既に一太刀を浴びせられたヒドゥンの動きは鈍い。更に、相手は肉質の柔らかいグルタ型。先のマンニット型のように、その甲殻に弾かれる心配もない。しかしヒドゥンは、最後の抵抗としてその鋭い牙で彼女へ食らいつこうと試みた。

「――愚かな行動だ。足を失ってなお、抵抗するその意志は称賛に値するが」

 ヒドゥンの牙が彼女に届くことはなかった。一直線に突進していた少女は急ブレーキをかけるように動きを止め、ヒドゥンの攻撃をバックステップで回避しながら、刀を構える。

 当然のように前のめりになり、更にバランスを崩すヒドゥンを、彼女は見逃さなかった。次の瞬間、少女が構えた刀の切っ先は寸分の狂いもなく、ヒドゥンの心臓に吸い込まれる。

「ガ、ッ……――」

 大きく目を見開いたヒドゥン。すかさず、心臓より刀を抜き放ち、距離を取る少女。引き抜かれた刃からヒドゥンの血液が飛び、それは怪物の息が長くないことを示しているようだった。

 それでも、少女の無慈悲な剣戟は止まらない。体勢を崩したヒドゥンの脳天を目掛け、刃を振り下ろす。その一瞬一瞬が、僕の目にはまるでスローモーションのように映る。

「これで……終わりだッ!」

 一閃の光が、目に焼き付いて離れない。頭部を兜割に寸断されたヒドゥン。少女が刀身を振るい付着した血液を落としつつ腰の鞘に納めると同時に、ヒドゥンは半身に倒れ、いつも通りの光の粒となり果てる。当然、僕は身動きひとつ取ることができなかった。


 戦闘が終わって一息つく少女に、ようやく我に返った僕は自然と駆け寄っていた。

「あ、ありがとう。助かっ……――」

 お礼を言おうとしたところで、ピシャリと言葉を遮られる。

「驚かないのか?」

 そういえば感覚が麻痺していたが、少し前の僕ならば腰を抜かしていたところだ。けれど、クレインをはじめとした執行兵の少女たちの影響で、今はヒドゥン側を冷静に分析できるくらいにはなっている。もっとも、ひとりで対峙しようものならば先程のように震えるばかりだっただろうけど。

「ちょっと諸事情あって、逆に驚けなくなったんだ」

「諸事情? 人間の世界にも情報が迷い込んでいるということか。まあいい。どうせ意味はなくなるのだから」

 少女が手にした刀を胸の辺りに当てると、眩い光を放ったそれが、一瞬にして銀色のネックレスとなって彼女の手に収まった。

「君の記憶は、全て抹消させてもらう。ここで起こったことは、全て闇の――なっ!?」

 僕の記憶を消すこと、それは不可能だ。ミオリからも教えてもらったことだが、クレインが僕に施した記憶操作は、とても強力なもの。他の執行兵は介入できない。

「なぜ、記憶が消えないのだ? まさか――」

 それに気づいたらしい少女はずいっと僕に詰め寄ると、僕の右肩に手を置き、顔を更に近づけてきた。右目の下の泣きぼくろが特徴的な、端正な顔立ち。しかしその瞳は一ミリも笑っていない。

「え、な、何?」

「知っていたらでいいが、教えてもらおう。クレインという名に聞き覚えはないか? 私と同じヒドゥンを狩る者、執行兵のクレインだ」

 脳裏に浮かんだ、純白の天使。僕を守ってくれている存在の姿が、浮かんでは消える。

 嘘をつけば容赦なく斬り殺される可能性も否定はできない。クレインの名を出すのはどことなく憚られた。

 視線はそのままに、僕は答える。

「し、知らないよ」

「ふむ……そうなると、私たちの一期上の執行兵か。彼女たちにクレイン並みの能力があるのかどうかは把握できていないが、先輩たちが付いていれば大丈夫か」

 ひとり納得した少女は、黒い外套を翻してその場を去ろうとする。ミオリもそうだったが、執行兵は人間に情報を知られてはいけないとの掟がある。彼女は僕を斬り殺さず、放置しようとしている?

「ちょ、ちょっと待って」

「どうした?」

 再びの鋭い視線。しかし、先程の刀を生成する雰囲気はなかった。

「ええっと、こういうのって僕に知られるのはまずいんじゃないの?」

 自ら進んで殺されに行くようなものだ、と自分の愚かさに気が付く。でも、彼女は少しだけ顔を伏せ、言葉を落とす。

「本来ならば、君も殺さねばならないだろう。だが、他の執行兵が付いているのは事実、君がヒドゥンに食われる心配もない。何より――」

 右手に納められたネックレスが、月の光を受けて輝きを放った。

「あまりヒドゥン以外の存在を斬るのは気が進まない。執行兵の掟には反するが、君が他の人間に口外しなければいいだけの話だ。仮に口外したところで、他の人間は誰も信じないだろうがな」

 ともあれ命を繋がれた僕は気が抜けて、思わず大きな息をついてしまった。

「今日のことは誰にも話さないよ。その方が君たちの為になるだろうし」

「それがいい。では、私は――」

 最後に、黒髪の少女は笑ったような気がした。しかし、その姿が完全に消える瞬間、地面を蹴る足音が響く。振り向くと、僕のよく知る存在が、息を切らしながら佇んでいた。

「タカトっ! よかった、無事――」

 彼女、クレインは、先程のヒドゥンとの遭遇を察知し駆け付けたのだろう。だが、そこで。

 

 ――目の前の黒髪の少女と、クレイン。互いの赤と青の瞳が、闇夜で交わる。


「――ホノカ?」


「……!!」


 大きく瞳を見開いた両者は、いったいどれほどの時間、視線を交わしただろう。

 それは果てしなく長い時間にも、ほんの僅かな刹那にも感じられた。

 次に気が付いたときには、黒髪の少女の姿は闇に溶け、辺りには再び静寂が訪れていた。

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