第三章 - Ⅳ
その日の夜。食事を摂り、緑茶を飲みつつ四人でまったりと過ごしていると、いつの間にか別の和室には布団が敷かれていた。
温泉から上がり浴衣を羽織った僕たち。クレインたち女性はピンク色の浴衣姿。彼女たちには何を着せても似合うようだ。
敷かれた布団を見据えながら、クレインが呟いた。
「なんだか兵舎を思い出すわね。こういう感じで、鮨詰めで寝るのは」
「あんまり思い出したくないけどなぁ……まあ、終わったことだし」
「ですが、あの頃と比べると環境は段違いに良いです。衛生的ですし、何より身体に掛けるものがありますし」
彼女たちも彼女たちで、壮絶な環境での訓練をしてきたというわけだ。
「じゃあ、僕はこの辺で」
四つ引いてある布団のひとつ、一番出入り口に近い布団を見定め、歩み寄る。と、クレインも僕に寄り添うように同じ布団へと目を向け、その視線をミオリとヒメノへと移した。
「私はタカトと一緒に眠るわ。窓際からヒドゥンが侵入しても対応できるように、ミオリとヒメノは位置を考えて就寝しなさい」
「えええええッ!?」
さらっととんでもないことを、しかもミオリとヒメノがいる前で発言するクレイン。空いた口が塞がらない、とはまさにこのことだろうと痛感する。
「おー、クーちゃん大胆だね!」
「そういう関係なのは結構ですが、私たちのことも少しは考えていただきたいですね」
「ちょっと、勘違いしないで。私はあくまでも目的を果たすためにやってるにすぎないんだから。ほら、タカトも何か言って」
完全否定の上急に話を振られるとなかなか来るものがある。が、ジーっとこちらを見るミオリとヒメノの瞳に耐えきれず、口を開いた。
「ええっと……て、手だけは出さないよ。本当に」
「まー、クーちゃんに手を出したら瞬殺だよねぇ」
「そもそも食料さんにそんな度胸はないですよね。逆に安心しています」
苦笑いしながら放つミオリと無表情のまま淡々と話すヒメノに挟まれ、行き場を無くす。
「そういうことだから、今日はもう休むわよ。さ、タカト」
クレインに促されるまま布団へと潜る。少し遅れてクレインも布団に入ると、いつもの調子でぴったりと背中を付けた。
「おやすみ……」
明かりが落とされ、部屋の中は静寂に包まれる。成り行きでこうなってしまったが、今日という今日はさすがに意識せざるを得ない。
クレインは浴衣姿ということもあり、いつもよりも生地が薄いため彼女の体温がより感じられてしまう。体温よりも、その柔らかさと漂う香りに頭がくらくらとしてくる。
当の本人はそんなこともお構いなしに、疲れたのかすでに規則正しい寝息を立てているが、これでは僕の方が保たなそうだ。幸い、ミオリとヒメノは窓に近い場所に布団を敷いているため、一番廊下に近いのは僕ということになる。
――少しくらいならば、外に出ても大丈夫かもしれない。
こっそりと布団を押し上げて廊下へと足を向けようとしたところで、僕の左手に何かが触れた。
「タカト、どこ行くの?」
クレインだ。寝息を立てていたとは思えないほどの反応。ちょっと外の風を、では彼女も付いてきかねない。そこで、頭をなんとか回転させて理由を創造する。
「ええっと、ちょっとトイレに」
「分かったわ。すぐに戻ってきて」
言うと、クレインは元のように布団へと身を委ねた。安堵の息を小さくつくと共に、今度こそ廊下へと抜け出す。そのまま襖を閉めると、抜き足差し足で旅館を出て、夜の帳が降りきった屋外へと向かった。
初夏とはいえ真夜中にもなると、身を切る風が冷たい。ましてや僕は浴衣姿、湯冷めをしないように気を付けなければいけない。ただでさえクレインに早く帰って来るよう言われているのだから、あまり長時間の散歩はできなさそうだ。でも。
「うわ、すごいな」
旅館の裏手に回って、小高い丘になっている場所へ向かうと、街の明かりを一望することができた。あれほどの盛況を見せていた温泉街も、今は疎らな明かりがちらほらと見えるだけ。それはそれで、夜空に輝く月と星々がよく見えた。
夜、こうしてひとりになるのは実に久し振りだった。常にクレインが側にいる安心感も当然あるが、自由という面では限りなく制限されている環境だった日々。それだけ、クレインの意志が固いということだ。ホノカという執行兵を探して、殺そうという意志が。
ミオリやヒメノはホノカのことを知っている素振りを見せていたが、彼女たちがすんなりと教えてくれるとも限らない。とはいえ、放置していい問題でもなさそうだ。
――ホノカとは、いったい何者なのだろう。
クレインたちと同期の執行兵で、鋭い刃のヴァリアヴル・ウェポンを持つ。理由は分からないが、クレインの姉を殺した。また、ディカリアとの関与が疑われていないわけではない。今持ち得る情報を整理してみても、ホノカの人物像は現れない。クレインとホノカが出会ったら、まず間違いなく戦闘になる。ヒドゥンはまだいいが、僕らと同じ人間の形をした存在をクレインが殺す姿を、果たして直視できるだろうか。
「いっそのこと、現れなければいいのにな……」
ヒドゥンもホノカも、人間の世界に現れなければ。クレインの復讐は果たせないが、今と同じ生活を続けることができる。いつも通りの、少し刺激的な生活を。
もうすっかり彼女たちの存在に慣れきってしまい、安心感を覚えていた僕。そろそろ帰らないとクレインが心配して見に来る可能性も否定できない。旅館へと帰って、明日の朝も温泉に浸かるためにもう休もう。小さく頷いた刹那、僕の真横を強風が通り抜けた。
「……!? うわっ!」
気を抜けば吹き飛ばされてしまうほどの風と同時に、首筋に感じる悪寒。今まで倒してきた数々のヒドゥンが現れる際と、同じだ。
――振り返ると、黒々とした毛に覆われた巨大な狼か熊のような怪物が、佇んでいた。
「ひ、ヒドゥン――!」
クレインと始めて会ったあの路地に出現したものと同じ型、グルタ型だ。溢れんばかりと吐息と涎、暗闇でも輝く煌々とした瞳。そして頭部に灯る特徴的な赤い光。直感的に、クレインたちの事を思い出す。
しかし。執行兵同士はヴァリアヴル・ウェポンで連絡を取り合うことはできても、僕には不可能だ。頼みの綱であったスマホも忘れてきてしまったため、ミオリと連絡を取ることもできない。
「グ、ウ……ッ!」
ヒドゥンは早くも臨戦態勢を取り、僕へ襲い掛からんとばかりにその鋭い爪と牙を光らせる。辺りは広い高原、だが起伏が激しく逃げるのには向かない。
「とりあえず、旅館まで走るしか……!」
どうしてだろう。ヒドゥンは見慣れているはずなのに、恐怖が先行してしまう。足が思うように動かない。それもそのはず、僕はヒドゥンにひとりで立ち向かっていたわけではない。常に共にいた執行兵の少女たちが、今はいない。
「くそ、動け、動けよッ!」
額に浮かんだ嫌な汗。ヒドゥンの影が、近づく。逃げる気配がないと確信しているのか、ゆっくりと僕を見定めるように、ぎろりと瞳を動かす。
「あ、ぁ……」
殺される。クレインたちの忠告を守らなかったせいで、こんな最期を迎えてしまうなんて。恐怖に負けてしまった自分を悔やみつつ、僕は目を閉じた――。
しかし、ヒドゥンの爪も、牙も、僕に届くことはなかった。
「――やはり現れたな、ヒドゥン。気配を追って正解だった」
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