第三章 - Ⅲ
「いや~、街は賑やかだったしご飯は美味しかったし、なによりみんなとお出かけできたし本当に楽しかったよ!」
楽しい時間はあっという間だ。街での観光や買い物を終え、陽もだいぶ落ちてきたところで本日予約している旅館へと足を運んだ。チェックインを済ませ、四人で部屋へ移動する。
「そうだね、ミオリ。というかさ、ちょっと言いにくいんだけど……」
「ん、どうかした?」
現在僕らが荷物を置いているのは、八人ほどは余裕で泊まれそうな大部屋。ミオリの予約で、学生割引も含めて格安で手配したらしい。しかし。
「僕の部屋って、ここなの?」
そう。予約は一部屋だけ。本来ならば僕だけ別の部屋で泊まるべき状況のはず。にも関わらず、ミオリは思い出したかのように口元を覆った。
「あ、そういえばそうだね。タカトだから気にしなかったなー。二部屋取ると高かったし」
「ええええッ!!」
驚愕のあまりつい大声を出してしまう。視線をミオリからクレイン、そしてヒメノへと向けると、彼女たちも思い思いに発言を返した。
「その方が合理的だわ。どちらにせよタカトを護らなくてはいけないのだし、それなら別の部屋にいられるよりここで一緒の方がいいわよね」
「確かに、翌朝起きて別の部屋で食料さんが死んでいたら後味悪いですし、今後の活動にも差し支えますから」
もはや満場一致の様子だ。いくら彼女たちが人間ではないとはいえ、その姿は年頃の女子そのもの。意識しないわけにもいかない。
「まあ一日だけだし、寝ちゃったらきっとすぐに朝になるよ。だから気にしなくて大丈夫大丈夫!」
ミオリはそう言うが、なんとなく複雑な気分だ。毎日クレインと一緒の部屋で眠っている事実はあるにせよ、そこにミオリやヒメノも加わるとなると……考えれば考えるほど、緊張で心臓がうるさく響く。
「……僕、ちょっと温泉行ってくる」
今は思考の整理をしたかった。本来、男ならば喜ぶべき状況なのだろうけれど、つい気恥ずかしさが勝ってしまう。
「夕ご飯までには帰ってきてね、あとヒドゥンに気を付けて~!」
まるで母親のようなミオリの声を背中に受けつつ、僕は旅館の大浴場へと向かった。
*********
小学生の頃に来た宿とは別だったが、温泉の源泉は一緒。とろみのあるお湯は、疲労回復に効果的とのことだ。まだ時間が早いためか、男湯は貸し切り状態だった。
「ふー……」
身体を洗ってから肩までお湯に浸かると、つい声が零れてしまう。身体の芯まで温まる温泉。小学生の頃は特に興味を示さず、さっと入って出てしまっていたが、とても勿体ないことをしていたと痛感する。これは明日の朝、もう一度入りたいくらいだ。
ともあれ、こうして温泉にやってきた理由は思考の整理。一緒の部屋で休むことはもう決定事項で、今更他の部屋を取るとか別の旅館へ行くといった選択肢はなさそうなのだが、ひとりになりたかった。彼女たちといるのが嫌というわけではないが、落ち着ける環境ではない。つくづく自分の甲斐性なしを実感してしまう。
「まあ、今日はさっさと寝るのが一番なのかな……」
ミオリの言う通り、眠ってしまえばきっとすぐに朝になる。彼女たちとしたい話がないわけではないが、執行兵の世界にあまり深入りしすぎるのもどうかと思う。彼女たちはいったい何者なのか。共に敵と対峙しながらも、僕はまだ全貌を知らない。
「……」
あまり長くお湯に浸かりすぎていると、考えごとのこともあり頭に熱が籠ってしまいそうだった。一旦思考を整理するため、そして頭を物理的に冷やすため、温泉から立ち上がり手ごろな岩に腰掛けようとした。まさに、その瞬間。
「おお、広いねー! ネットで見た通り!」
薄いヒノキの板を挟んで、聞き覚えのある元気な声が響いた。間違いない。この声はミオリの物だ。石畳をペタペタと歩く足取りまで、板越しに伝わってくる。
「いくら他に人間が居ないからといって、騒ぎすぎはよくありませんよ」
これはヒメノ。一足遅れて、彼女の気配も徐々に近くなる。
「いいじゃんいいじゃん、私たちの世界ではこんなに大きなお風呂なんてなかったし! そういえばクーちゃんはまだなの?」
「そのうち来ると思いますよ。それまで、身体を洗っていましょう」
「えー、すぐにでも浸かりたいのになぁ」
壁を挟んで向こう側は、女湯。その事実が、僕の想像をより一層掻き立ててしまう。
つまり、だ。彼女たちは僕と同じように、入浴をしている。至極当然の事実なのだけど、つい先ほどまで接していた相手だからこそ意識してしまう。
ヒメノの言葉を受け、ミオリも渋々といった様子で身体を清めに入っているようだ。そこで、カラカラと引き戸が開く音が耳朶を打つ。
「待たせたわね、ミオリ、ヒメノ」
クレインだ。彼女がすぐ近くに、それも一糸纏わぬ姿で立っていると思うと、普段のことも相まって余計に緊張が走る。温泉の気持ちよさも忘れて、彼女たちの会話を盗み聞きしてしまう。クレインもミオリやヒメノと一緒に、身体を洗っているらしい。
「クーちゃん、お肌すべすべで真っ白だね~! ねえねえ、ちょっとだけ触ってもいい? ううん、触るね?」
「ん……ッ、ちょ、変なところ触らないで……!」
「せっかくいいもの持ってるのにもったいないよ~。ヒメちゃんも、意外とおっぱい大きいよね?」
「ミオリ、どこ見てるんですか。目がいやらしいですよ。他の人間に見られる可能性もあるのですから、無粋な真似は……きゃ、ッ」
「こういうときくらいスキンシップ取らなきゃだよ! んふふー!」
あちらは何やら白熱している様子だ。音や声だけしか届かない状況だからこそ、余計に想像で補填するしかなくなる。考えなければいいだけの話だけど。
「タカトがまだ入っているかもしれないのよ?」
「別にタカトは関係ないと思うんだけど、もしかしてクーちゃん、気になるのかな?」
「気になるって……別に、何も」
「自分からタカトの話を振るなんて、本当にタカトがお気に入りなんだねぇ」
クレインが、僕を? いや、それはない。あれば嬉しい……というか複雑だが、少なくとも好かれて嫌な気分になることはない。しかし、あのドライなクレインのことだ。僕はあくまでも協力者。そこになんの感情も必要ないと思っているに違いない。
「お気に入り、なんて……タカトはただのモルモット、ヒメノの言葉を借りるなら食料よ。ヒドゥンに対する餌なんだから。ただ――」
壁越しでは聞こえにくかったが、確かにクレインは小さく呟く。
「協力してもらっていることは、認めなければならないわね。普通の人間なら、慌てふためいていてもおかしくない。でも、タカトは戦おうとしてくれている。例え表面上だけだったとしても、感謝すべきだと思うの」
ここまでの経緯は、確かに普通の人間であれば混乱してもおかしくない状況かもしれない。実際僕だって、疑問に溢れながら彼女たちと共に戦っている。ヒドゥン、執行兵、クレインたちの世界。分からないことだらけだ。
それでも、今までの日々はそこそこ刺激的で、退屈しないものだった。だからこそ僕は、逃げることなく彼女たちに協力しているのだと思う。まあ、例えば警察や親に執行兵が、ヒドゥンがと言っても信じてもらえないのが関の山だろうけど。
「クレインが人間をそう評価するなんて、珍しいですね」
「実際に接してみて、初めて分かることもあるのかもしれないわね。ヒメノはどうなの? タカトのこと」
「食料さんに何か思う節があるかと言われるとほぼ皆無ですが、よく私たちに付いてきてくれていることは認めざるを得ませんね。ヒドゥンは人間を襲う、その人間の協力者ができたことは我々にとっても大きな進歩であると思います」
クレインのみならず、ヒメノからの評価もそこそこに高い様子で、思わず心の中でガッツポーズを浮かべてしまう。盗み聞きをしていることがバレたら一気に底辺まで落ちてしまうことは火を見るよりも明らかだけど。
「私は、タカトと一か月くらい一緒にいるけど、やる気なさげだったり怠そうだったりするのにやるときはやるところとか、信頼はできるよね」
「とはいえ、人間の素性は分からないことが多いです。どの人間も彼と同じように接すればいいというわけでも無さそうなので、そこは警戒すべきですね。一方的な信頼は身を滅ぼします」
「も~、ヒメちゃんは堅いなぁ」
「あなたの頭が柔らかすぎるんです、ミオリ」
会話を聞いていると、不意に自分が長く浸かってしまっていることに気が付く。相変わらず人はいないが、逆上せてしまったら大変だ。
彼女たちに音を聞かれないよう、僕はゆっくりと温泉から上がって部屋へと戻った。
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