第三章「温泉旅行」

第三章 - Ⅰ

 あの日から何週間かが過ぎた。季節は初夏へと差し掛かろうとしている。夏本番になり屋上で昼食を摂れなくなるのも時間の問題かもしれない。

 あれから何体かのヒドゥンと戦闘を経験したが、クレインの探し人は現れなかった。派遣が遅れているのか、それともヒメノの情報が間違っているのかは分からない。あのヒメノが情報の正確さを欠くとは思えないし、とクレインも話していたので、恐らく前者なのだろう。

 屋上で昼食の準備をしつつ物思いに耽る僕の耳に、聞き慣れた声が飛び込んできた。


「あー、タカト発見!」

「食料さん、こんなところにいたのですか」


 ミオリとヒメノだ。ふたりとも紙袋を抱えつつ、歩み寄ってくる。

「ごめん、探してくれてた?」

「いいえ。たまたまミオリとここにきたらあなたが居ただけです。さ、早く食べましょう」

 あくまでも涼しい表情で、菓子パンの袋を探るヒメノ。傍らのミオリは既にメロンパンを準備して食事の体制に入っている。

「タカト、そういえばクーちゃんは?」

「日直だから先生に呼ばれてたけど、そろそろ来るんじゃないかな」

 クレインからすれば僕をひとりにしておきたくないだろう。でも、今は協力者としてミオリもヒメノもいるし、ヒドゥンの活動は主に夜だ。こうして過ごす分には、普段と何も変わらない。

「そっかー、今日はタカトとクーちゃんにとっておきの話があったんだけどなぁ」

「とっておき?」

「ええ、ミオリのとっておきです。最初聞いたときは思わず訊き返してしまいましたが」

 早くも一個目の菓子パンを食べ終わったヒメノ。彼女的にはそうとっておきでもないのかもしれない。

「タカトも知りたいでしょ? 特別に教えてあげるね。えーっと……」

 ミオリが口を開いたところで、屋上の扉が開け放たれる。小さな手提げを携えたクレインが、こちらに向け歩み寄ってきた。

「ここだと思ったわ。日直の仕事、意外と疲れるものね」

 弁当箱を開けると、僕とほぼ同じ内容のおかずが姿を現す。小さく手を合わせると、さっそく食べ始めようとした。

「クーちゃん!」

「ッ、な、何よミオリ」

 突然の大声に箸を落としそうになってしまうクレイン。そんなことはお構いなしにミオリは続けた。


「今度の連休、みんなでお出かけしようよ!」


 ミオリのいう「とっておき」の答えがようやく分かったが、それにしてもいきなりだ。

「お出かけ? 私たちで?」

「うんうん、クーちゃんと、ヒメちゃんと、タカトと私で!」

 手にしたメロンパンを高々と掲げ、満面の笑みを浮かべるミオリ。行きたくて仕方がない、遠足前の小学生のような顔だ。

「研修生のときって、遠出はしたけど大変なことが多かったよね。だから、人間の世界では精一杯楽しみたいの!」

「ミオリは謳歌しているほうだと思いますが。ひとり暮らし、バイト、高校生活と何の不自由もないではありませんか。ですが……」

 二個目の菓子パンを食べ終わり包装を丁寧に畳んだヒメノ。ミオリ同様に立ち上がって、人差し指を顎へと当てた。

「私たちの世界にはないものが多いですから、そういった面では遠方への外出も完全に否定されるべきではないのかもしれません。ヒドゥンの調査にもなりますし」

「なるほどね」

 一旦箸を置いて、僕へと視線を投げるクレイン。まるで僕の意見も求められているようだ。

「ええっと……まあ、いいんじゃないかな。こういう機会、今までなかったし」

 そういえば当初、クレインと出会ったばかりの頃に、電車にでも乗ってどこかへ出かけたいという話をしていた気がする。それを叶えるチャンスかもしれない。

「そういうわけだから、ね、クーちゃん?」

「そうね。ホノカの手がかりを見つけられるかもしれないし、ミオリに賛同するわ。場所とか、詳しいところは任せてもいいのかしら」

「もちろんだよっ! あー、楽しみだなぁ」

 全員の意見が一致し、彼女たちとの初めての遠出をすることになった。ヒドゥンが心配ではあるものの、彼女たちが付いていれば大丈夫だ。

 特にクレイン。彼女も焦っている。ホノカの手がかりを、何としても掴みたい意思が伝わってきた。

 ともあれ、約束の日はすぐに訪れた。


「んー……っ、晴れてよかったわね、タカト」

 支度を終えて家を出ると、クレインが大きく伸びをした。今日の彼女はいつものワンピース姿や制服姿ではない。駅前で買った空色のシフォンブラウスに純白のロングスカート。何処となく大人の女性の雰囲気を醸すその姿に、僕は釘付けになっていた。

「そうだね。それにしても、直前まで行先を知らせてくれないなんて」

「サプライズ好きのミオリらしいわ。想像ができないのも、それはそれで楽しいけどね」

 ころころと笑うクレインの横顔。さらり、と風に靡く白銀の髪。彼女と毎晩同じベッドで寝ているなんて到底思えない。意識をし出すと、僕のありとあらゆる理性に働きかけてくる。

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