第二章 - Ⅴ
「落ちなさいッ!!」
アマトの先端が、鋏の付け根に吸い込まれるように。鋏は貫かれ、そのまま地面に落ちる……と、そういう算段だったのかもしれない。だが、現実は甘くはなかった。
ヒドゥンは鋏の付け根を隠すように、甲殻へと閉じこもる。
「なッ――!?」
だが、空中で勢いを付けたクレインの攻撃は止まらない。そのまま、無防備な体勢になってしまう。それを見逃さないヒドゥンではなかった。唯一、甲殻へと隠さなかった部分……尻尾を、クレインに叩きつける。
「ッ……きゃぁぁっ!」
「クレインっ!」
吹き飛ばされたクレインは、近くの大樹の幹へと背中を強打して、地面へと倒れ伏してしまう。
「く、うう……ッ、意外と手強いわね。まあ、正面切って勝てるとは思っていないけれど」
「何か、策があるのですか?」
「策、ね。私たちの武器が効かない以上、頼るしかないわ……ミオリッ!!」
ヒドゥンの左側面に回り込んでいたはずのミオリは、いつしかその背後を取っていた。
「言われなくても、私のソレクが一番有効なのは分かってるっ! たぁぁっ!!」
大斧、ソレクが描く黄金の軌跡は、ミオリの性格に似合わず寸分の狂いもない。その持ち前の重量と切れ味で、ヒドゥンの尻尾を跳ね飛ばした。
尻尾の切断面から吹き出した毒成分と思しき紫色の液体が、辺りに飛散する。公園の芝生に降りかかっては、その大地を不毛の地に変えていく。
ミオリは斧の刃で器用に毒を避け、第二波に転じようとしていた。
「やぁっ!」
ソレクの刃と、ヒドゥンの鋏が交錯し、火花を散らす。重量がある分、ミオリの方が有利な様子だ。
「あの子、なかなかやるじゃない。私たちも負けていられないわ」
「武器の相性というものもあるでしょうから、無策な突撃は逆効果かと」
「そうね……ミオリが甲殻を破壊するのを待った方が得策かもしれないわ」
クレインとヒメノの意見が一致したようだ。ふたりの思考通り、ミオリはヒドゥンの背中の甲殻を破壊しようとソレクを振るうが、強固な鋏に阻まれそれは叶わない。
「く、ッ……!」
対するヒドゥンは尻尾を切り落とされたダメージが深刻な様子で、明らかに動きが鈍っている。だが、このままではジリ貧だ。
何か策はないか、と戦闘を凝視していた僕は、今まで見当たらなかったヒドゥン特有の赤い光が、尻尾の切断面に見えていることに気が付いた。あの箇所は、きっと装甲もなく有効打が与えられる。
「……クレイン」
「どうしたの?」
「ちょっと思いついたことがあるんだけど、いいかな?」
僕は切り落とされたヒドゥンの尻尾に視線を向けつつ、クレインにそっと耳打ちした。最初は半信半疑な様子のクレインも、僕の策を聞いて何度か頷いてくれた。
「なるほど。効くかどうかは賭けだけど、やってみる価値はあるわね。なら、さっそく――!」
アマトを握り直し、右足で大地を蹴って駆け出すクレイン。彼女の視界が捉えるのは、当然、この策の要であるヒドゥンの尻尾だ。
「……食料さん、クレインに何を吹き込んだのですか?」
ヒメノは首を傾げながらクレインの行動を見据えた。無策な突撃は、と警告したばかりなのに、即座に駆け出すクレインが信じられなかったのかもしれない。
「まあ、見ててよ。上手くいくかは分からないけど――」
作戦の成功を祈り、思わず拳を力強く握ってしまう。
作戦通り、クレインは切断されたヒドゥンの尻尾の前まで歩み寄ると、戦闘の様子を覗いながら、毒成分と思しき紫色の液体をアマトの先端に塗り込んだ。そこで、ヒメノも感づいたようにハッと息を呑む。
「……っ! まさか、あの毒でヒドゥンを?」
「そうだよ。同じ体内で生成された毒が通用するとは限らないけど、少しでも動きを止められればと思って」
「通常の神経ならばまず考えない作戦です、が……」
どんなに僅かな可能性でもいい。この戦況を打開できれば、それで。
「ミオリっ、一旦引きなさい!」
「クーちゃん!?」
先端に毒が塗られたアマトを構えつつ、ヒドゥンに向け突進するクレイン。ミオリは突然の出来事に目を丸くするが、意図を理解したかしていないか、後方へと飛び退いた。
同時にヒドゥンも、先程と同じ防御態勢に入る。しかし、先程と致命的に違う点が、ひとつだけあった。
「そこ、よッ!!」
ヒドゥンに共通して見られた赤い光が見える、ミオリに切り落とされた尻尾の切り口。そこに、針孔に糸を通すような正確さで、アマトの先端が突き刺さる。
「――キシィッ!!?」
ヒドゥンの様子が明らかに変わった。あれほど固めていた防御が、徐々に解かれていく。身体の自由が利かなくなっている、という表現が適しているように思われた。
「今よッ!」
クレインが声を飛ばしたのは、もちろん後方へ控えたミオリ。ソレクをもう一度握り直し、ヒドゥンに飛び掛かる。
狙うは頭部。毒によって身体が硬直している、今が絶好のチャンスだった。目を凝らすと、奴の頭部にも、ほんの僅かに赤い光がちらついている。
「これで、終わり――ッ!!」
ソレクの刃が、ヒドゥンの頭部を両断する瞬間を、僕はこの瞳で確かに捉えた。
さらさらとした光の粒となり、消え行くヒドゥン。着地したミオリは少々よろけながらも、ソレクを杖代わりに立って安堵の声を漏らす。
「お、終わったぁ……ありがと、クーちゃん」
「どういたしまして。ミオリ、確かに見ていたわ」
「ええ。私とクレインと、食料さんが証人です」
何はともあれ、ミオリの疑いはこれで晴れたということだ。ミオリがヒドゥンと手を組む、ディカリアの構成員ではないことの証明ができた。
「もー、だから最初から言ってるじゃん! 確かに最近はヒドゥンも少なかったからちょっと人間界に溶け込みそうだったけど……私、頑張るから!」
ミオリの満面の笑みから放たれた頼もしい言葉に、ヒメノも頷いた。
「現状では息を潜めていても、今後ディカリアの動きが活性化することは十分に考えられます。ですので、これからはクレインに手を貸すことにします。いいですよね、クレイン」
「もちろんよ。ホノカを殺して、ついでにディカリアも殲滅するわ。これでホノカがディカリアの一員だったら、一石二鳥なんだけどね」
新たな協力者を得たクレイン。その微笑みは、少しばかり照れ臭そうだった。
それにしても、ヒドゥンたちのあの赤い光はいったい何なのだろう。妙な違和感の正体を拭えず、クレインたちにも訊けないまま帰路へつく。
未だに全貌の見えないディカリア。そして、クレインが頑ななまでの殺意を抱いているホノカ。
そのふたつの存在と相まみえるまでには、もうしばらくの時間が必要だった。
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