第二章「忍び寄るディカリア」

第二章 - Ⅰ

「おはようございます。クレイン、食料さん」

 朝。高校への道を歩いていた僕とクレインに投げられたのは、昨日の夕方に聞いた覚えのある声だった。

「ヒメノじゃない、おはよう。そういえば、あなたも私たちと同じ高校に通っているのね」

「はい、どうにか制服を手に入れて、親戚の伝手で入学した「設定」にしておきました」

 何処となく眠そうにも見える瞳を微動だにさせず、ヒメノは僕とクレインを見据えている。昨日のことがあったからか、僕は彼女と目を合わせることができない。とはいえ、訊いておきたいことがひとつだけあった。

「えっと、ヒメノ、さん?」

「ヒメノで構いません。こちらの世界では亜白あじろヒメノと名乗っておりますのでお見知りおきを。それで、何でしょう」

「その、「食料さん」っていうのは何かな?」

 いくら僕がヒドゥンに襲われやすい体質を持っているからといって、そう簡単に食料にされたら堪らない。それでも、ヒメノは表情を変えずに答えた。

「文字通りの意味です。クレインも昨日言っていた通り、あなたはヒドゥンを誘き寄せるための生餌……食料さんですよね。そう呼称することに、何の問題がありますか?」

 問題はひとつ、周囲の視線だ。事情を知らない人からすれば、僕とヒメノがコントを興じているだけに見えるだろう。しかしヒメノの言葉に言い返せる余裕もなく、僕は食い下がってしまう。

「わ、分かったよ。問題はないけど、なるべく控えてもらえると助かるかな」

「了解しました、食料さん」

 控えて、という言葉など存在しなかったかのように、涼し気な表情でヒメノは僕を呼ぶ。そのとき、ヒメノの右手の小指に嵌められた小さな指輪が、きらりと光った。クレインの腕輪、ミオリのチョーカーと同じ、ヴァリアヴル・ウェポンであることは一目瞭然だ。

「まあ、タカトがどう呼ばれようと関係ないわ。ヒメノの言う通り、タカトはヒドゥンを誘き寄せるための存在。感謝すべきは家を貸してもらっていることくらいかしら」

「クレインと食料さんはそういう関係なのですね」

「いやいやいや、違うって! ただ、同じ家で同じ部屋で過ごしているだけっていうか……」

 言って、自分が一番恐れていた周りの視線が、僕に注がれていることに気が付く。なんだかとても気まずい。自分が下手を打ってしまったような感覚。

「まあいいわ。それよりヒメノ、あなたにも協力してほしいのだけど」

 協力の内容を聞いたら、ヒメノはどういう反応を示すだろう。少しばかり興味はあったものの、満足のいく答えが返って来るとは思えなかった。

 しかし。

「協力の内容にもよりますが、あなたと協力した方がより多くのヒドゥンを倒せそうですし。優先順位も守れますし、それのリターンとしてあなたが何かを所望するのなら、考えないことはありません」

 思ったよりもずっと協力的なヒメノの発言に、呆気に取られる僕。そんな僕を他所に、僅かな言い淀みを交えながらクレインが言う。

「話が早いわね。もう少し詳しく話したいところだけど、授業が始まってしまうわ。ヒメノ、昼休み、屋上に来てくれないかしら? 今後の作戦会議、しましょう」

「了解しました。それでは、また昼休みに」

 小さく腰を折ったヒメノは、僕たちを追い越すように歩き去った。


 二時間目の数学が終わった後、僕はひとりでとある教室の前に来ていた。クレインも誘おうかと思ったが、転校二日目ということもあって未だにクラスメイトからは好奇の視線を向けられていたし、休み時間の質問攻めも止みそうにない。クレインには悪いが、またしても僕はそろりと教室を抜け出したのだった。

「移動教室とかじゃないといいけど……」

 お目当ての人物は見つかるだろうか、と待っていると、ちょうどその人物が姿を現した。

「あれー? タカトじゃん! ひとりでどうしたの? クーちゃんは?」

 今度は僕が、彼女に質問攻めをされる番だった。彼女……ミオリの手には、特に教科書類はない。ただ何となく、廊下に出てきただけなのかもしれない。相変わらずの笑顔で話しかけるミオリに、僕に対する殺意は感じない。昨日とは違う様子だ。

「クレインなら昨日と同じ、質問攻めに逢ってるよ」

「へぇ~、さっすが転校生だね。で、私に何か用かな?」

 僕がミオリに会いに来た理由はひとつ。昼休みの作戦会議についてだ。ヒメノのことも、ミオリに話さなければいけない。

「実は色々あって、今日の昼休みに作戦会議をすることになったんだ。僕と、クレインと、ミオリと、もうひとりで」

「もうひとり?」

「うん。ヒメノ、っていうんだけど、知ってる?」

「ヒメちゃん!? ヒメちゃん、こっちに来てるの?」

 数オクターブ高くなったミオリの声。周りの生徒が、一斉にこちらを振り向く。少々気まずくなった雰囲気を、僕たちは苦笑いで乗り切ろうと必死だった。

「ミオリ、声が大きいよ」

「ごごご、ごめんっ。でも、さ……そっかぁ、ヒメちゃん、来てるんだ」

 ミオリが浮かべたのは微笑み。バイト中でも、恐らくクレインや僕に対しても見せないであろう表情だった。

「ヒメノのこと、知ってるんだね」

「もちろんだよー! 私やクーちゃんの同期で、すっごく優秀だったんだから。それにしても久し振りだなぁ。会うのが楽しみ」

 回顧するような言葉を紡ぐミオリだったが、三時間目の予鈴に遮られた。

「あ、ごめんねタカト。じゃあ、またあとでー!」

「うん、屋上で待ってるね」

 以前の僕なら、例え相手がミオリであっても学校内で親しく話すことはなかった気がする。執行兵と、ヒドゥン。彼女たちに関わって、戦いに巻き込まれていって。今がその結果なことは確かだが、その先に何があるのかを、僕は知らない。

 でも、たったひとつの予感。クレインがいれば、何が起きても大丈夫だ。

 無意識のうちに、彼女を信頼している自分がいた。


 昼休み。僕とクレイン、そしてミオリは、既に屋上で待機していた。僕はクレインと母親お手製の弁当を広げて、ミオリはメロンパンと苺ミルクを頬張りながら。

「ヒメちゃん、遅いねー」

「授業が長引いているのかしら。というかタカト、いつの間にミオリに話したのよ」

 色鮮やかな卵焼きを箸で摘まんだクレインが、ミオリを一瞥しつつ呟く。先ほどの授業の間の休み時間、僕が教室からいなかったのはバレていたようだ。何処となく面白くなさそうな視線で射抜かれると、なんだか質問攻めに逢っていたクレインが不憫に思える。

「休み時間に話したんだよ。ミオリも協力者なんだし、一緒に居た方が心強いかなって。余計なことしたかな?」

「はぁ……あなた、昨日ここでミオリに殺されかかったこと、忘れてないでしょうね」

 忘れるはずがない。バイト先の仲間に呼び出され、いきなり大斧を突き付けられた衝撃的にもほどがある経験は、金輪際忘れたくても忘れられないだろう。

「確かにそうだけど……君が、守ってくれたから。それに、ミオリは僕を殺せないんだよね? それなら安心じゃないかな」

「っ……私の言ったこと、全部鵜呑みにすると後悔するかもしれないわよ」

「そのときはクレインに守ってもらうよ。クレインだって、僕が死んだら困るだろうし」

「ねーねーねー、何話してるの?」

 屋上への入口へと目を向けていたミオリは、僕たちの会話にようやく気が付いたらしい。半分ほど食べ終えたメロンパンを片手に、首を傾げる。つい、クレインとの会話に夢中になってしまった感は否めない。当のクレインは、僕からフイと視線を外してしまった。

「なんでもないわ。それよりミオリ、タカトからはどこまで聞いたの?」

 敢えてミオリに訊くあたり、なんだか複雑だ。

「んー、ヒメちゃんがこっちに来てることくらいしか聞いてないよ。もしかして、それ以外にもあるとか?」

「まあ、ね。あなたには話していなかったけど、私が追っている執行兵は――」

 そのとき。クレインの言葉を遮るように、金属の扉が開け放たれた。扉の影からひょっこりと姿を現したのは、今朝も出会ったヒメノ。茶色の紙袋を抱えて、僕たちの姿を探しているようだ。

 最初に反応したのは、何を隠そうミオリだった。

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