第一章 - Ⅸ

 色々なことがあった今日も終わった。思えば、クレインの初登校にして衝撃的な事実が判明しすぎた。

 ミオリは執行兵だし、僕の記憶はクレイン以外操作できないし、新たな執行兵が姿を現すしで、ある意味では刺激的だが、俄かに信じがたい日だった。

 ヒドゥンから放たれた酸はクレインの衣服を溶かしたが、直前にアマトで防御していたおかげもあってクレイン自体にダメージはなかった。夕食を摂ってからシャワーを浴びた彼女。纏うのは、今日駅前で買った真っ白なパジャマ。余計な装飾のないところが彼女らしかった。

 洗面を済ませた僕らは、今日も同じベッドで眠る。僕が先に入って、次にするりとベッドへと入り込むクレイン。初めてではないとはいえ、心臓の鼓動はうるさいくらいに鳴り響いている。

「タカト、電気消して」

「うん。今日はお疲れ、クレイン。おやすみ……」

 背中合わせでぴたりとくっつくと、クレインの温もりを微かに感じた。部屋の照明を落とし、瞳を閉じる。

 昨日とは違い、今日はクレインの寝息が聞こえなかった。まだ起きているのだろうか、と少しだけ心配になる。そこからどれだけ時間が経ったのか、不意に、暗闇からクレインが囁いた。

「――ねえ、起きてる?」

 ビクッと肩が跳ねる。どこか弱々しささえ感じる口調のクレインに、動揺が隠せない。

「う、うん。起きてるよ」

「そう。今日のヒメノとの会話は覚えているかしら」

「……うん」

 ディカリアという単語と、とある人物の名前。

 それが何を意味するのか。クレインが探している、執行兵の正体なのだろうか。

 その答えは、彼女の口から零れた。

「ホノカ、私が探している執行兵は、彼女よ。まだこっちの世界には来ていないみたいだけど、絶対に探し出して殺してみせるわ」

 背中越しに感じる確かな感情。それは「殺意」。クレインが、どんな表情をしているのかは分からない。顔を合わせていない分、余計に疑問が募る。

「クレイン、答えにくい質問だったらごめん。その、ホノカさんって……」

 答えてくれないかとも思ったが、彼女は静かに背を丸めると、ぽつりと言葉を落とす。

「その質問に答える前に、話しておくことがあるわ」

 一呼吸置いて、虚空を撫でるようなクレインの声が、耳の奥に木霊する。


「私には、姉がひとりいたの。姉はこっちの世界に来たことこそなかったけれど、私たちの世界では優秀な執行兵だった。昨日も話した、初代執行兵のひとりよ」


 クレインの家族。知りも、知ろうともしなかったこと。思えば、僕は彼女のことをほとんど何も知らない。まだ出会ってそれほど経っていない、と言ってしまえばそれまでの話だが。それより、彼女が過去形を使ったことが、何処か引っ掛かりを覚えた。

「いた、ってことは、もう」

「そう。姉は死んだ……いいえ、殺されたのよ。私が正式に執行兵になった、その夜にね」

 殺された、と話すクレインの言葉は、どことなく悲愴に満ちていた。彼女の姉が何者かに、それも彼女の探している執行兵に殺されたであろうことは、安易に想像がついた。

「発見されたとき、姉は既に死んでいた。ヴァリアヴル・ウェポンも何者かに持ち去られて、身体には鎖骨から脇腹までを斬り裂かれた痕があった。それは執行兵の……鋭い刃のヴァリアヴル・ウェポンを持つホノカが、付けた傷に違いないわ」

 僕は何も話すことができなかった。自分の肉親を殺されたことがないから、彼女が抱く憎悪も共有するのは難しい。

「まだ発見されたのが私たちの世界でよかったわ。こっちで死ねば、私たちは跡形もなく消えてしまうでしょうし。それこそ、ヒドゥンみたいにね」

 重い雰囲気を払拭するため、僕は改めて質問を投げた。

「えっと、それで……クレインとホノカさんは、元々どういう関係だったの?」

 彼女の肩がぴくりと揺れた。クレインの琴線に触れることが明白であっても、邂逅する可能性が高いホノカという存在のことは、できるだけ知っておきたかった。

 それでも、クレインは少しの言い淀みを交え、放つ。

「そう、ね。人間でいえば、親友という関係だったのかもしれないわ」

 いつもよりも小さく、低めの声色。

 かつての親友に殺意を向けるのは、どれほどの勇気が必要で、どれほどの不安が付き纏うのだろう。僕に知る術はない。

「そっか……」

「今となっては殺すべき対象よ。彼女に、殺意以外の感情は必要ない。じゃあ、そろそろ休むわ。おやすみなさい」

「うん、おやすみ」

 暗闇の中、僕は再び目を閉じる。ほどなくして、クレインの微かな寝息が聞こえた。

 人間だと疑わなかったミオリが執行兵だったという衝撃、ヒメノとの出会い。更にクレインの姉の存在。そして、その姉がもうこの世にいない事実。クレインが追っている執行兵、ホノカ。日に日にクレインの素性を知ることができている反面、自分に迫る危険がだんだんと明白になっていることに危機感を覚えている。例えば、今日出会ったヒドゥン。奴の吐く酸をまともに受けたら、きっと骨まで溶かされてしまう。そうではなくても、ミオリを始めとしたクレイン以外の執行兵が僕を狙う可能性も否定できない。ミオリは協力関係に、ヒメノは優先順位的に僕を殺さないが、他の執行兵が存在する可能性もあるのだ。

 でも、今はクレインを信じよう。

 彼女に倣って、僕も目を閉じる。そのまま、気づけば深い眠りに落ちていた。

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