第一章 - Ⅵ
「タカト、帰りましょう?」
放課後。授業を全て終えた僕は、教科書を鞄にしまっているところでクレインに声を掛けられた。クラスメイト達からの鋭い視線はひとまず無視するとして、僕の母が彼女に握らせたお金の件を思い出す。そういえば、今日の放課後はクレインが生活していくうえで必要な物を買い出しに行く日だった。
「うん。クレイン、ちょっと駅前に寄っていこうか。君の服とか、色々見ないといけないし」
最後の台詞は完全に蛇足だったが、それでもクレインは小さく頷いて、顔をこちらに寄せた。心なしか、ふわりと甘い香りが立ち上ったような感覚に包まれた。
「そうだったわね。なら、ミオリも誘っていいかしら。彼女と今後についての話し合いをしたいのよ」
今後についての話し合い……クレインが探している執行兵の存在も、分かるのかもしれない。もっとも、名前を聞いたところでどんな執行兵なのかは分からないが。
頷いて、クレインを教室の外へと連れ出そうとすると、クレインと一緒に放課後を過ごしたかったであろう男女は、揃って僕を睨みつつ悔しそうな顔を見せた。彼らには悪いが、僕は明日登校するまでクレインと同じ屋根の下で過ごす。今更、本当に良いのかと疑問が生まれてきた。
「ミオリはどこにいるの?」
「隣の教室だよ。さっそくだけど、行こうか」
ここにいてはクラスメイトの視線が痛い。本気で刺されるんじゃないかと思うが、クレインもいるしなんとかなるだろう。ヒドゥンよりも強い一般人は恐らくいないはずだ。
教室を抜け出して隣のクラスへ行くと、扉の前でミオリが立っていた。僕らを待っていてくれたのか、そのポニーテールの先端をくるくると弄びながら、腕時計を気にしている。
「ミオリ?」
「あ、タカト、クーちゃん、待ってたよ! 一緒に帰ってもいいかな?」
屋上での戦闘が嘘のように、もうすっかりいつものミオリだ。そんな彼女に対し、クレインもにこりと微笑んだ。
「もちろん。でも、少しだけ私とタカトに付き合ってもらうわよ。駅まで」
「駅? うん、いいけど……」
訝し気に首を傾げるミオリ。彼女は、僕らが一緒に暮らしていることに気づいているのだろうか。考える暇もなく、クレインが口を開く。
「私も人間界に来て浅いから、何も知らないのよ。もちろん生活に必要な物だって持ち合わせていないわ。だから、タカトのお母様から、服でも買ってきなさいって言われたの」
瞬間、ミオリの体がぴたりと固まった。同時に、溢れんばかりの思いを僕にぶつけるようにミオリが放つ。
「タカトの……お母さん? ね、ねえ、それってどういうこと!?」
「当然、そういうこと。ミオリなら気づいているでしょう? どうしてタカトと私が一緒に登校してきたと思うの?」
「ッ~……!!」
僕の存在をまるで無視するかのようなクレインの発言は、ミオリを動揺させるには十分すぎる内容だったようだ。そして、ミオリに呼応するように、周りの生徒たちも僕たちに瞳を向けてくる。さすがにばつが悪い。
「あら、私たち目立ってるわね」
クレインは涼しそうな顔で言うが、僕の額は既に冷や汗でいっぱいだ。とにかく早くこの場を離れたい。僕だけが責められているようなこの場を。
「じっ……じゃあ、とにかく行こうか?」
有無を言わさず歩き出そうとしたところで、ミオリに肩を掴まれた。
「タカト、後で聞かせてもらうからね?」
口調こそいつもの彼女の物だが、その瞳は恐ろしいほど笑っていなかった。これはクレインが言ってしまう前に、僕から話を付けた方がいい気がする。もう、手遅れ感が否めないけれど。
**********
「これが、人間の世界の「駅」なのね」
駅前へと辿り着いた僕たち三人。大規模なショッピングモールが併設されている駅舎を眺めつつ、クレインがしみじみと放つ。彼女はこちらに来て日が浅い。駅舎のみならず、往来する電車や人の流れにも目を留めている。
「私たちの世界の駅はこんなに人はいないし、こんなにたくさんのお店もないから、クーちゃんの気持ちも分かるかな」
そんなミオリはといえば、高校へ入学したころから考えると一か月はこの世界にいることになる。クレインよりは慣れていて当然だ。
「それにしてもあの箱。いくら効率的な移動手段とはいえ、あれに詰められるなんてまるで牢獄にでもいる感じだわ。あ、棺桶の方が正しいかしら。圧死しそうだから」
「いやいや、電車乗ったくらいじゃ死なないから」
「そうだよ、クーちゃんも一度乗ってみれば分かるって。今度、みんなで遠くにも遊びに行きたいね、タカト?」
こうしてミオリが微笑む姿は、老若男女を虜にする力があると思う。当然、僕もだ。だから今でもミオリは、バイト先が同じでなかったら関わり合うことのなかった相手。そうでなかったとしたら彼女が執行兵であることも知らずに、特に会話もなく過ごしていたに違いない。
「みんなで、遠くへ……人間の世界の旅ね。執行兵としての活動域を広げるのは有意義なことだわ。私も同行させてもらおうかしら」
「もー。そういう趣旨じゃないの! 全く……あ、クーちゃん、どこから回ろっか?」
軽快なやり取りをしつつ僕の前を歩くふたり。執行兵とはいえ、こうして見ると普通の女の子と同じだ。ミオリの問い掛けに、クレインは腕を軽く組んで考え始めた。
「そうね、まずは服が売っているところかしら。あまり数も持っていないし」
「だねっ! せっかくだし、可愛いのたくさん選ぼ?」
「べっ、別に、可愛くなくてもいいわ。ほ、ほらタカトも何か言いなさい!」
ほんのりと顔を赤らめるクレインに言われるも、僕は何も言わずに彼女たちを眺めていた。本当に、あの屋上での戦闘が嘘のような雰囲気。ミオリが仲間になってくれたのならば、心強い。
クレインの手を引くミオリ。一瞬だけ、僕と視線が交差した。普段ならば笑いかけてくれるはずだが、彼女はどこか悪戯っぽいような、不思議な眼差しを向ける。
「そうだ! タカトにも一緒に選んでもらえばいいんじゃないかな? クーちゃんが一番長く接する男の子なわけだし」
「そっ……それは、そうだけど」
クレインの俯いて仄かに赤らんだ頬を見てしまうと、彼女と一緒のベッドで眠ったことを思い出してしまう。あれが毎日、果たして理性が保つだろうか。
「僕にはちょっと抵抗があるかな……」
「えー、せっかく来たんだしいいじゃん! ほら、入ろ入ろ!」
ミオリに背中を押される形で、僕らは店内へと入った。
「いやー、いっぱい買ったね!」
両手に大きな袋を抱えたミオリが満面の笑みで僕とクレインに振り返った。対するクレインも、あのお金を使って必要な物は購入したらしい。本来ならクレインの服を一緒に選ぶ予定だったのだが、途中で気まずくなってメンズコーナーを覗いていた。彼女がどんな服を買ったのか、僕は何も知らない。
「賑わっていたわね。まあ、服はなくてはならないものだから当然よね」
「うん、クーちゃんも早くタカトに見せてあげたら? っと、じゃ、私はここで」
「ミオリの家はこの辺りなの?」
「そうだよ。庭付き一戸建て、ひとりで住んでるんだ。親戚の空き家に住まわせてもらってるっていう「設定」で。今度、遊びに来てよ」
「ええ、もちろん……そうだわ、ミオリの方でも何か進展があったら教えて。ヒドゥンが今夜現れるかは別として」
ミオリの視線が、明らかに鋭くなった。屋上で僕たちと戦った際の、執行者としてのミオリ。
「分かった。クーちゃんも、気を付けてね」
クレインの腕輪とミオリのチョーカーが、共鳴したかのように微かに揺らめいた。
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