第一章 - Ⅳ
屋上へと続くドアを開けると、少々強い風が頬を撫で、前髪を揺らした。辺りを見渡すと、既に待ち人がいた。
「あ、タカト」
彼女、山鳥ミオリは苺ミルクのパックを片手に、屋上の柵に手を突いていた。僕の存在を認めると共に、どこか表情を引き締めた彼女。彼女のこんな顔は、今まで見たことがなかった。
「ごめんね、呼び出しちゃって」
「ううん、大丈夫だよ。ところでミオリ、話って――」
そのときだった。ミオリが、何を思ったか手にした苺ミルクのパックをその場に投げ捨てる。まだ多少は中身が入っていたのか、トクトクとストローの先から零れ落ちた。そんな様子を気にすることもない彼女。その瞳は、まるで笑っていない。
「――タカトは、どこまで知ってるの? クーちゃんから、どこまで聞いたの?」
その言葉が示すのは当然、昨夜の話のこと。クレインは言っていた。自分の他にも、ヒドゥンを狩るために人間の世界に来ている執行兵がいると。執行兵たちは、普段は人間と同じ生活をし、僕らの日常に溶け込んでいると。
つまり。同じ高校に通い、同じバイト先で仕事をし、共に友人だと思っていた彼女は。
「ミオリ、君は――」
「答えてよ、タカト。こんな形で、タカトを問い詰めたくないんだよ」
ミオリは少々俯きながら、絞り出すような声で僕に訴えかける。昨日のクレインの話は、他言無用だったはず。誰かに言ったら、もれなくクレインに殺されてしまう。
「僕は……っ、何も、聞いてないよ」
「嘘ばっかり。どうせ、クーちゃんに口止めされてるんでしょ? そのくらい分かるよ。タカト、嘘つくとき……絶対に、服の裾を引っ張るんだもん」
無意識の内にブレザーの裾に触れてしまっていたことに気づいて、パッと離す。しかし、ミオリには全てお見通しだったようだ。
「いいよ、タカトが言わないなら……力ずくでも、言ってもらうから」
ミオリの雰囲気が、明らかに変わった。自らの首に巻いているチョーカーを摘まんで、はらりと首から解く。そこからは、昨夜も見た光景だった。
――チョーカーが光に包まれる。眩いばかりの閃光の中から現れた何か。ミオリの華奢な身体には似つかわしくない、巨大な斧。クレインの持つアマトという槍と、同じ輝きを放っている。
「な、ッ!?」
「ヴァリアヴル・ウェポン「ソレク」。もう、分かるよね? 私も執行兵。クーちゃんと同じ、ヒドゥンを狩る存在だよ」
両刃の大斧は、太陽の光を受けてきらりと瞬いた。所々に施された金色の意匠が、精巧に作られた彫刻のような美しさを持って、僕の視界へ飛び込んでくる。
でも、紹介だけのためにミオリが武器を取り出したとは思えない。僕に向けられた視線は、明らかに狩人のそれだった。
「タカトとは、ずっと友達でいたかったなぁ。本当に、残念」
「ミオリ……?」
大斧の刃を軽く触れさせただけで、屋上のコンクリートに僅かな亀裂が入った。それだけ、その武器に重量と殺傷能力があるということ。そんな様子を見せられて、冷静でいられるはずがない。彼女を呼ぶ僕の声は、酷く震えていた。
空を眺めながら、彼女はこの非現実的な空間に言葉を紡ぎ出す。
「本来なら、人間は私たちの情報は持ち得ないはず。なぜなら、私たちは人間の記憶を操作できるから。でもね、クーちゃんは特別。私たちなんか足元にも及ばないくらい、強力な記憶操作をすることができるの」
つまり、クレインに記憶を操作されている僕は、他の執行兵にいくら記憶を操作されようと彼女たちの情報を持ち得たままなのだ。
「この段階でクーちゃんは執行兵としての責務を放棄してるんだけど、まあ、起こってしまったことは変えられないから、記憶操作以外の別の手段を取るしかない。私たちやヒドゥンの存在を、口外されるわけにはいかないから」
大斧の刃が、風圧と共に僕の首へと突きつけられた。
「ッ――!?」
「私たちの情報を知っている人間は、始末する。そういう決まりなの。だから、タカト。今日でお別れだよ」
あまりの唐突さに頭が真っ白になってしまう。同時に、先程ミオリが告げた「ずっと友達で」という言葉の意味が、嫌でも分かってしまう。
――彼女は、僕を殺そうとしている。
「ミオリッ! いくらなんでも冗談が過ぎるよ、大体、どうして君まで執行兵なんて――」
「ほら、やっぱり知ってるんだ。じゃあ尚更、始末しないと、ねッ!」
渾身の力で横一文字に薙ぎ払われた大斧。そのまま僕の首を跳ね飛ばさん勢いで、刃が迫る。咄嗟の判断で後ろへ避けるも、掠った前髪が二、三本散り、その風圧で吹き飛ばされそうになる。
「避けないでよ、タカト。できるだけ苦しまずに逝かせてあげるから」
口調はあくまでも冷ややかで、普段の快活な彼女とは一線を画していた。当然だ、彼女は執行兵。人間ではないのだから。
「はぁ、ッ……! 本当に、執行兵――!」
あっという間に屋上のフェンスまで追い詰められた僕。このまま飛び降りた方が生存できる確率は高いのかもしれないと冷静さを欠くくらい、僕の頭は混乱していた。
「だからそう言ってるじゃん。往生際が悪いよ、タカト。でも……これで、終わ――」
フェンスに両手を突いた僕は、まるで蜘蛛の糸に絡めとられた獲物だ。ミオリの斧によってこのまま命を絶たれるだけの、か弱い存在。
大斧が、天高く振り上げられる。終わりだ、と目を閉じた。
そんな中、僕は自然と、クレインのことを思い出していた。
「――情けないわね、タカト。こんなところで死んだら許さないんだから」
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