第一章 - Ⅱ

 父の帰りが遅いとのことで、母とクレインと僕の三人で食卓を囲む。僕の隣にクレイン、対面に母親。テーブル上には母の手料理。クレインはその一品一品を口に運んで咀嚼するたびに顔をほころばせていた。

「おばさま。この卵料理、とても美味しいですわ」

「まあまあ、クレインちゃんに褒めてもらえるなんて光栄だわ」

 未だに僕のワイシャツを纏ったままだというのに、既にこの環境に馴染んでしまっているクレイン。彼女の言う、人間の記憶を操る能力に他ならない。クレインは完璧に、僕の幼馴染設定を築き上げている。

「ところでクレインちゃん。明日からタカトと同じ高校に編入するのよね?」

「ぶっ!?」

 飲んでいた味噌汁を吹き出してしまいそうになる。クレインが、母の言葉に対し首を縦に振り、肯定の意を示した。

「ええ。ですので、タカトくんの家にお世話になることになったんです」

「そうそう、そうだったわね。クレインちゃんの制服、知り合いに頼んで手配しておいたわ。そろそろ届くんじゃないかしら」

 あくまでも涼し気な表情で僕の母親との会話を繰り広げるクレインだが、果たして僕の気持ちなどどうでもいいのだろうか? そもそも同じ高校に通うなんて聞いてないし、それも明日から……と、考えることが多すぎて混乱してくる。

 母の視線がクレインから僕へ向く。

「タカト、あんたいくらバイトが忙しいからって、クレインちゃんを蔑ろにしちゃ駄目よ? こっちに来たばっかりなんだし、色々と教えてあげないと」

 こっちに来たばかり、という事実だけで動かされるのは何かと納得がいかなかったが、僕が何か言うとクレインに刺されそうだ。

「わ、分かったよ。母さんももしよかったら、クレインの服とか色々揃えてあげて欲しいんだけど……」

「服? でも、クレインちゃんの好みに合うかどうか……そうだわ!」

 母は何を思ったか、膝を打っては箸と茶碗を置き、普段から使っている小さな手提げから財布を取り出すと、そこから一万円札を三枚ほど抜き出してクレインに手渡した。

「はいこれ、今月のお小遣いね。これで必要なものとか、揃えられるでしょう?」

「ありがとうございます、おばさま。明日、高校が終わった後にでもタカトくんと行ってきますわ」

「ちょ、クレイン――」

 さすがに金銭を奪うような行為は許しておけないとクレインを静止しようとしたところで、彼女の綺麗な瞳が僕を射抜く。秘められた青に、何かを訴えかけられるように。それ以上、僕は何も言えなかった。

 その後、届いたクレインの制服を二階まで運んでから、僕たちは元のように部屋へ戻った。


**********


 夕食後、いまいち納得のいかない僕に対し、クレインが説明を始めた。

「私は、タカトと私が古くからの幼馴染だったと刷り込んだだけ。この金銭は、彼女の善意なの。決して記憶を操って巻き上げたわけじゃないし、そもそもそんな行為は私たちの世界では禁じられているわ」

 僕の母が渡した三万円を、まるで扇のように広げ扇ぐクレイン。

「まあ、タカトが信じるか信じないかは別だけれどね」

 正直、全く読めない。クレインとこうしてまともに出会ったのは今日が初めてで、色々なことが起こりすぎている。無論、高校の話もそうだし今回の買い物だってそうだ。

「信じない、とは言わないけど。君の素性も全然知らないから、ちょっとね」

「なら、どうしたら信じてくれるの? 人間のコミュニケーションはよく分からないから、タカトから教えてもらわないと」

 クスっと微笑むクレイン。深い青の瞳が、僕を捉えている。これ以上彼女を疑う理由などないだろう。疑ったところで、真相は分からないのだから。

「コミュニケーション、って言われても……」

「冗談よ。とりあえず、さっきあなたが運んでくれた制服、着てみてもいいかしら? このままだとさすがにあれだから」

 本当に母親が知り合いの伝手を辿ったのかは定かではないが、部屋の隅に置いた段ボール箱からは、僕が通う高校の女子制服が現れた。クレインは僕のワイシャツの襟を摘まみつつ、首を傾げる。艶めかしいほどの足に釘付けになっていると、僕の身が保たなさそうだ。もっとも、何か変なことをすれば刺し殺されるだろうけど。

「じゃあ、ちょっと廊下に出てるね」

 同じ空間に男の僕がいるのは色々と問題だろうと部屋を後にする。ぱたん、と扉を閉めたところで、気が付いた。

 二階はここが僕の部屋、隣が両親の部屋、あとは廊下とトイレくらいしかない。一階に行けばリビングやダイニングはあるものの、ちゃんとしたベッドが置いてあるのはこの部屋だけ。

 つまり、だ。僕の部屋で鼻歌なんか口遊んでいる彼女と、同じ部屋で寝ることになるのかもしれない。

 ――まあ、そのときは僕が床で寝れば……などと、すっかりクレインの存在に慣れ切った自分が怖い。これすらもクレインによる記憶の操作なのではと疑ってしまいたくなる。

「タカト、いいわよ」

 呼ばれて再び入室すると、先程までとはがらりと雰囲気が変わったクレインがいた。

「さすが、ぴったりね」

 見慣れているはずなのに、数割増しで華やかに見える制服。男子は普通のブレザーとあまり飾り気がないが、女子はそのデザイン性も手伝って地域の中では可愛いと評判だ。濃紺のブレザーに、少し大きめの胸元のリボン。チェックが施されたスカートにも、細いリボンが付属している。靴下は黒のニーハイソックスで、これについては特に指定がないので各々好きな物を身に着けている気がする。

 元々白銀の髪と雪のような肌を持つクレイン。あのときのドレスワンピースには敵わないものの、彼女は初めて着るはずの制服を完璧に着こなしてみせた。

「似合うかしら?」

 彼女はその場で、くるりと回って見せる。スカートが揺れると共に、彼女の武器である腕輪が音を立てた。

「うん、とっても」

「もっと具体的に……と言いたいところだけど、やめておくわ。人間は本当に美しいものを見たときには言葉を忘れるって、誰かが言っていたもの」

 自負している通り、彼女は美しかった。その自信も、姿を見れば一目瞭然。クレインならどんな服でも似合うだろうな、と考えると、彼女と一緒に買い物に行くのも悪くはないかもと思ってしまう自分がいた。

 そのときはミオリも含めて、三人で行けばいい。きっと、女子同士にしか分からない会話もあるだろう。

「さ、着替えたことだし、今日は早く休もうかしら。近くにヒドゥンの反応もないし、あなたも安心して眠れるわね。まあ、私がいればあなたに傷ひとつ付けさせないけれど」

 ブレザーの上着だけを脱いで、リボンを外すクレイン。その格好で眠りにつく気なのかと疑いたくなるが、どうやら予感は当たったようだ。

「じゃあ、クレインはベッド使ってよ。僕は床で寝るから」

「何を言ってるの?」

「え?」

 当然のことを言っただけの気でいた僕は、クレインの言葉にぽかんと口を開く。

「あなたに床で寝られたら、いざというときに助けられないわ。ヒドゥンが襲ってくる可能性だってゼロではないし。なら、常にあなたと接していた方がいいと思うのだけれど」

「いやいや、ちょっと待っ……」

 僕の静止はどうやら受け入れられなかったようだ。ずいっと近づいてきたクレインの端正な顔。同時に、着ていたシャツの襟首を軽く捕まれる。

「言い訳なら聞かないわ。とにかく今は私に従いなさい」

 執行兵、と言っていたけれど、何処かの軍隊のような組織なのだろうか。下された命令に思わずたじろぐ。

「わ、分かったよ」

「それでいいの。今は私の目的の遂行のため、あなたにも多少の犠牲は払ってもらうわ」

 犠牲なのかは分からないが、ともあれクレインと同じベッドで休むことになってしまった。寝巻代わりのジャージに着替え、歯を磨いていつものように眠ろうとベッドに入る。

「思っていたより狭いわね。タカト、もう少し詰めなさい」

 と、後から入ってきたクレインがさっそく文句を投げた。同時に、彼女の柔らかな体が触れ、それが何処の部分なのかと妄想してしまう自分がいた。こちらは壁に向かって半身の体制で寝ているので、彼女の姿は見えない。でも、先程の制服姿であることは間違いない。

「しっ……仕方ないだろ、ひとり用なんだから」

「全く、本当はダブルベッドを所望したいところだけど、そこまでは求めないわ」

 もぞもぞと動かれる度、僕の理性という理性が音を立てて崩れ落ちそうになってしまう。

 そのまま方向転換したのだろう、彼女と背を合わせるような体勢になる。

「電気、消すよ?」

「ええ。おやすみなさい」

 リモコンを操作して部屋の照明を落とす。暗い部屋、いつもの僕の部屋。

 ただ、ひとりのイレギュラーを除けば。

「ん……すぅ」

 傍らのクレインは、早くも静かな寝息を奏でている。僕を助けると言った割に、彼女も疲れていたのだろうか。その寝顔を見てみたい気持ちももちろんあるが、何とか理性で抑え込んだ。

 そう。曰く、彼女は人間ではない。分かっている情報は、彼女が「執行兵」のひとりであること。装飾品を模した武器、ヴァリアヴル・ウェポンを使用して、人間界に降り立つ「ヒドゥン」を倒す存在であること。

 そして彼女は、とある執行兵を探している。その執行兵が人間界へ来ているかは分からないが、ヒドゥンを倒し続ければ出会えるかもしれない。僕はなぜか体質的にヒドゥンに襲われやすいから、誘き寄せる生餌となっているわけだ。

 大筋はこんなところだが、まだまだ謎は多い。ひとまずは明日、考えればいい。瞳を閉じると、あっさりと眠りにつくことができた。

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