第一章「執行兵」

第一章 - Ⅰ

 共働きの両親は午後七時を過ぎても帰ってきておらず、我が家にはクレインと僕のふたりきり。すぐに浴室に向かった彼女を他所に、僕はこの上なくあくせくしていた。

 女の子を、それもクレインのような完璧な美少女を家に招き入れた経験はもちろんない。

 こんな状況で、彼女がシャワーでも浴びていようものなら、緊張しないわけがなかった。

 訊きたいことは山ほどある。優先すべきは、クレインとあの得体の知れない何かの存在について。彼女は奴らを「ヒドゥン」と呼んでいた。それと、どうして戦う必要があるのだろう。

 クレインが倒してくれなかったら今ごろどうなっていただろうと考えると恐ろしいが、それも結果論にすぎない。

 そのときだった。

「上がったわよ。シャワー、ありがとう」

 目の覚めるような白銀の髪を揺らし、その水滴をバスタオルで拭き取りながら、クレインが姿を現した。僅かに上気した顔を僕に向ける。服は、僕のものである長袖のワイシャツを着ている。丈がそこそこ長いとはいえ、何も身に着けていない真っ白な素足が眩しい。

「それにしても、もう少しマトモな衣服を所望するわ。ないよりはマシ、だけど」

「しっ、仕方ないじゃないか。母親のを着させるわけにはいかないし」

「まあいいわ。こうして屋根があるだけ野外よりもいい環境。仕方なく甘んじてあげる」

 言い方が妙に色っぽく、ドギマギとした気持ちを隠せない僕がいた。

 躊躇いなくベッドの淵に腰掛けたクレイン。戦闘で疲れたのか、腕を伸ばして小さく唸っている。先ほどまで武器として携えられていた一対の槍は、元の腕輪のようなものに戻っていた。奏でられる軽やかな音。思わず一瞥を投げてしまう。

「タカト、だったかしら」

「え、僕?」

「あなた以外に誰がいるのよ。じゃあタカト、単刀直入に言うけれど、ここに住んでもいいかしら?」

 一瞬、思考が追い付かなかった。

「クレインが? 僕の家に?」

「そう。さっき言ったわよね、私には戻るところはない。戻れないと言った方が正しいのかもしれないけれど」

 当然、クレインを外で生活させ続けるわけにはいかない。クレインは確かに強いが、犯罪に巻き込まれる可能性だってゼロではないのだから。

 しかし、だ。

「いや、うちには両親だっているし」

「もちろん、それも想定済み。今に見てなさい」

 ちょうど、そこで玄関のドアが開かれた。僕のワイシャツを身に纏ったままの状態で玄関に向かおうとしているクレイン。さすがに、僕は静止を求める。

「ちょ、クレイン!」

 でも彼女はまるでお構いなし。仕方がないので僕も後を追った。

「ただいま、タカト……あら?」

 スーツを着てスーパーのビニール袋を提げた母親が、玄関に佇むクレインを凝視している。終わった、と頭を抱えた。そんな中、当事者であるクレインは、僕を物ともせずに母に向かって微笑みかけてみせた。

「こんばんは、おばさま。クレインです。ここに来るのは何年ぶりかしら」

 彼女の言葉は驚くほど流暢で、まるで本当に昔ここに来たことがあるようだった。でも、母が嘘に踊らされるはずはない。そう、信じていた。

 本当に瞬間的に、母の時間が止まったような錯覚。身体の動きはもとより、瞬きすら忘れてしまったように。そして。

「ま、まぁ~! クレインちゃんじゃないの! 大きくなったわねぇ。もう、おばさん身長抜かれちゃったかしら!」

「ふふ、そうかもしれませんね。お荷物、お持ちいたしますわ」

「助かるわ。ほらタカト、あんたもクレインちゃんを見習いなさい」

「えええっ!?」

 母がエチュードに興じるとは思えない。が、俄かに信じられない出来事だ。今度は僕の方が、口を開いて呆けてしまう。

 ビニール袋を携えたクレインが、靴を脱ぐ母を尻目に僕に向かって薄く微笑んだ。続けて母には聞こえないくらいの声で囁く。

「言ったでしょう、想定済みだって」

「でも、だからって――」

「タカト、何ボーっとしてるの? 重いんだから持ってあげなさい」

「……はぁい」

 色々と不可解なことは尽きないが、ここは大人しく従うのが吉だ。キッチンに食材を運んだあと、夕食を作るという母を残し僕とクレインは部屋へ戻った。


*********


「クレイン、どういうことなの?」

 部屋につくなり再びベッドに腰を下ろしたクレインに問いかけを投げた。こんな状況なのに、彼女の白く細い脚に目が行ってしまう。

「ねえ、タカト。あなたが最近、ヒドゥン……いいえ、あの怪物に襲われたのは何回?」

「一回だよ。今日が初めて……あれ?」

「はずれ。正解は二回目。じゃあ、最初の一回目はどこで何をしていたと思う?」

 クレインの瞳は笑っておらず、ジッと僕を覗き込んでいる。とはいえ、全くと言っていいほど記憶がなかった僕は、思い出すことすらできなかった。

「ごめん、分からない」

「そうよね。まあそもそも、どうして私がそれを知っているのか、だけど。一回目の遭遇も、あの細い路地。あなたは「ヒドゥン」の「グルタ型」に襲われていた。そこで私が介入し、ヒドゥンを殲滅。そして、あなたの記憶を操作した。あの出来事は、あなたの中で「夢」として片づけられた」

 クレインの話が、少しも理解できなかった。「ヒドゥン」は、彼女が時折口にする単語。でも「グルタ型」とは一体何だろう。そもそも、僕の記憶をクレインが操作した? そのことの方が衝撃的だ。

「確かに、昨日は変な夢を見たけど……あれは、クレインが見せていたってこと?」

「端的に言えばそうね。人間の記憶を操って、私たちの存在を知られないようにすることなんて造作もない。だから、あなたの母親もああなった。説明、つくかしら?」

「説明というか、理解が追い付かないよ」

「無理もないわ。本来ならば、今日の記憶も操らないといけないけれど……タカト、あなたにはヒドゥンを引き寄せる何かがある。ああ、そもそもヒドゥンと私たちの説明をしないとね。よく聞いて?」

 ごくりと唾を飲み込んだ。クレインが纏う雰囲気が、明らかに変わる。一瞬の瞬きの後に青い瞳が開かれると同時に、彼女は説明を始めた。

「――「ヒドゥン」。私たちの世界に突如現れた未知の存在。初めは危害を加えることはなかったけれど、次第に私たちを襲うようになった。そして、その行動範囲が、人間の世界にまで及んだの」

 クレインは続ける。

「一説によると、人間の肉を求めてこっちの世界に来るらしいわ。私たちの世界と人間の世界には何らかのゲート……時空の歪みのようなものがあって、そこを介して現れる。こっちに来ている個体数はそこまで多くはないし、なぜか現状はこの街にしか現れないようだけれど、人間ではまず勝ち目はないでしょうね」

 つまり、クレインが助けてくれなければ、僕は今ごろヒドゥンの胃の中で溶かされていたということ。ぞわりと肌が粟立った。

「私たちの世界でも、人間の世界に現れるヒドゥンたちに対しての措置を講じる必要があった。そこで、奴らと同じくゲートを通じて人間の世界に降り立って、ヒドゥンを狩る存在……私たち、「執行兵」の部隊が結成されたの」

「執行兵……」

 またもや初めて聞く単語。頭の中が混乱してくる。が、ようやくクレインの立場が判明して、彼女の存在が少しずつクリアになりつつある。

「人間の世界に降り立ち、あなたたちと同じように生活しながら、ヒドゥンを狩ることが私たちの任務。そのために人間の言語、文化、歴史、その他諸々を研修生時代に叩き込まれたけれど、私たちは人間との共存は端から望んではいない。そこは、理解して欲しいわ」

「つまり、またああいう戦いに巻き込まれたら、執行兵に殺される可能性だってあるってこと?」

「そうよ。物分かりのいいモルモットね」

 クレインは、そこで彼女の両腕につけられたままの腕輪を外した。先ほど、槍へと変わったモノ。蛍光灯の明かりを受けて、鈍い銀色に光っている。

「これが私たちの武器。執行兵はひとりにひとつ、この「ヴァリアヴル・ウェポン」が配られる。私たちの世界で、ヒドゥンに対抗するために作られた武器よ。私のは「アマト」。さっきの通り、細い槍状の武器に変化するわ。もちろん、他の執行兵は別の形状の武器を持っているのだけど……」

「ねえ、クレイン。この世界に、君以外にも執行兵はいるんだよね?」

「ええ、そのはずよ。執行兵の部隊は私たちが二代目、初代の先輩たちは既にこっちに来ているわ。そして私の同期も。一緒には来なかったけれど、近いうちに会えるんじゃないかしら。そうなれば私の「目的」も達成できるのだけど」

 クレインの言う「目的」の詳細が気になったが、口を挟む余裕はなかった。

「人間の世界では、あなたたちと同じ生活を送ることが義務付けられているわ。何日かは外で過ごしたけれど、ちょうどいい住処も見つかったわけだし」

 住処云々はこの際置いておくとして、要するに彼女たち執行兵は、人間の世界に溶け込み、人間の装飾品を模した武器を携行し、ある意味では人間に擬態して暮らしているといっても過言ではないのだ。

 再びクレインの美しい髪と顔、しなやかな四肢に目を向ける。どこからどう見ても人間のそれにしか見えない。もしかすると、向こうの世界では別の姿なのかもしれない。

 視線に気づいたのか、クレインは足をきゅっと閉じるような仕草を見せた。

「何よ、ジロジロ見て」

「いや、何でも……というかさ、ここに住むっていったって、僕の方には何のメリットもないよね?」

「メリット? いつヒドゥンに襲われるかビクビクしないで済むのが、メリットではないの?」

 僕がヒドゥンに襲われたのは二回目。もしかすると、それ以前からあるのかもしれない。その都度、クレインのような執行兵に助けられていたのかもしれない。

「確かに、否定はできないかな」

「でしょう? 私は私で、あなたのヒドゥンを引き寄せる体質を利用して、ヒドゥン狩りに励むことができる。これをwin-winの関係っていうのかしらね」

 そう。真実を知ってしまった以上、クレインに協力せざるを得ないのだ。クレインもクレインで、あえて僕の記憶を消さずにいる。他の執行兵に消されてしまう可能性だってあるが、これからはなるべくクレインの傍にいるべきだ。

 質問はキリがないが、最後と思って問いかけた。

「クレイン、もうひとつだけいいかな? 執行兵は、何をすれば元の世界に戻れるの?」

 すると、彼女の表情に暗雲が立ち込めた。腕輪を指先で弄りながら、どこか言葉を選んでいるようにも見受けられた。

 そして。声のトーンを落としつつ、彼女は語った。

「――さあ、どうかしら。私にもよく分からないわ。派遣される前は特に何も聞かされなかったし……もしかしたら、死ぬまで戻れないかもしれない」

 一呼吸置いて、「でもね」とクレインは言葉を繋いだ。

「さっきも少し話したけれど、私には目的がある。とある執行兵を探しているのよ。こっちに来ているかどうかは分からないし、賭けにも近いわ。それならば、少しでもヒドゥンとの戦闘を継続して、会える機会を増やすしかない。タカト、あなたはそのために生かしているといっても過言ではないわ」

 クレインの訴えは、必死だった。彼女の立場も立場で、なおかつ探している執行兵がいる。それに、僕の体質が役立つならば、多少は協力をしても罰は当たらないだろう。

 命を救ってくれた、せめてものお礼。

「分かった。君には助けてもらったし、僕でよければ協力するよ」

「ありがとう。恩に着るわ」

 クレインの柔らかな笑みに、思わず心臓が跳ねた。これでよかった。命を危険に晒そうとも、クレインが助けてくれる。

「タカト、クレインちゃん、ご飯よー」

 そのとき、下の階から僕とクレインを呼ぶ母親の声が聞こえた。

「夕食ね。私もご一緒させてもらうわ。これからは一緒に食べることになるんだし」

 そう立ち上がったクレインに手首を引かれる形で、ダイニングへと向かった。

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