翌朝はすこし肌寒く感じた。そういえば今の季節も知らないな、今何時?なんてぼんやりベッドの中で考えていると「コンコン」と控えめなノックが聞こえて慌てて返答した。

「はい」

わたくしです。アイザックです。開けてよろしいでしょうか。」

「どうぞー。」

 間の抜けた声で返事するとアイザックがそっと開けたドアの隙間から顔を出した。そんなお茶目な姿に思わず口角が上がってしまった。

「おはようございます、エマさん。」

 冴えきっていない朝の頭にすんなりと決まったばかりの名前は入ってこず、(エマ…あっ、そうか私はエマになったんだ)と一瞬考えてしまった。

「おはようございます。」

 アイザックに目を合わせると綺麗な黒い瞳にドキッとした。彼は安心したように微笑んで

「よかった、顔色も良いですし元気そうですね。よく眠れましたか?」

「はい、ベッドがふかふかで夢も見ずよく眠れました。」

「今日はエマさんの買い物と、そのついでに他の買い物もしましょう。用意できたら昨夜食事をした部屋へいらしてくださいね。」

「はい。あの、このクローゼットの服は使っていいんですか?」

「ええ、少し古くはありますが、エマさんが来た日に綺麗にしておきましたのでどうぞ。」

「何から何までありがとうございます。」

「いいえ。久しぶりの来客で私は楽しいですよ。では、あちらでお待ちしています。」

 そう言うとアイザックは扉を閉めた。実は昨晩寝る前にクローゼットを開けてみていた。そこには4、5着の女性もののしわひとつもない古めな型のワンピースが掛けられていたのだ。その時着てみたいと思った真っ白で裾にレースがあてがわれたものだ。着てみると、きれいなプリンセスラインで不思議なことにサイズは丁度よく、うれしくなってクルッと一回りしてみると追いかけるように裾がふわっと体に巻き付いた。

「アイザックさん待たせてたんだ、行かなきゃ。」

 部屋を出て考えた。左右に伸びる廊下、そして、それに垂直に伸びる目の前の廊下。昨夜は暗かったので周りが把握できなかった。さあ、困った。

「とりあえず、右に行ってみよう」

 そういえば、ここに来る前―日本にいた時も方向音痴ぎみだったな、などと独り言をつぶやきながら所々ステンドグラスと朝日に照らされている廊下を進むと左右はずっと壁と扉。そして行き止まり。

「やっぱり?」

 短くため息をついて回れ右したところで誰かにぶつかった。

「…おはよ。人の部屋の前で何してんの。」

「あっ、ラディおはよう。ちょうどよかった、昨日みんなで食事したお部屋に行きたいのだけど迷っちゃって。」

「いいよ、連れて行ってあげる。」

「ありがとう。まっすぐ?」

「んーん。そこ曲がる。」

 私の部屋の前の廊下が正解だった。

「こっち。僕はイーサン起こしてから行くから先行って。まっすぐ行けば右にある。」

 一言一言突き放すように話すラディアンだけれど、なんだかんだ丁寧に説明してくれるので彼の優しさを感じた。初めて話した時は警戒心むき出しだったが少しは心を開いてくれたのかと嬉しくなる。

 奥に進んでいくとコーヒーの良い香りが鼻先をくすぐる。香りをたどっていくと、濃いコーヒーの香りと温かい空気がもれだす部屋があった。ドアを開けるとアイザックが朝なのに綺麗な顔でコーヒーをすすっていた。こちらに気づいて顔を上げた。

「ああ、エマさん。お待ちしていましたよ。」

「少し迷ってしまって。」

「それはすみません。私がお部屋の前で待っていればよかったですね。」

「い、いえ!ラディが途中まで一緒に来てくれて。」

 それを聞くと眉をくいっと上げて、嬉しそうに

「ラディアンが案内を…それはそれは」

「イーサンを起こしてから来るそうです。」

「それならまだ来ないでしょう。私たちは朝食を食べないのでエマさんの分だけお作りしました。」

 そう言いながら出してくれた皿には綺麗に焼けたフレンチトーストが並んでいた。

「コーヒーと一緒にどうぞ。」

「ありがとうございます。いただきます。」

「ふふ、いただいてください」

「あっ、言わないとなんだか落ち着かなくて。」

 昨夜を思い出して顔が熱くなった。アイザックは目を細めたまま楽しそうな口調で話した。

「さて、そろそろ二人が来る頃ですね。エマさんが食べ終えたら町へ行きましょう。」

 そう言って二人分のコーヒーを準備しにアイザックが立ちあがると間もなく私の後ろのドアが開いた。

「もう、イーサンほんと寝起き悪い。」

「ごめんって。」

「昨日は珍しく早かったのに。」

 むすっとした顔のラディアンと困った顔のイーサンが入ってきた。イーサンはこっちを見ると”お・は・よ”と口パク挨拶してきたので笑いをこらえながら同じように返し手を振った。

「ラディ、おはよう。さっきはありがとう。」

「うん。」

「さっき?なんだなんだ?」

 イーサンが身を乗り出し食い気味にきく。

「うるさい。」

 ご機嫌斜めなラディアンに怒られてイーサンがしゅんっと小さくなってしまったので私が説明した。

「さっき、私がこの部屋に来るまでに迷ってたのをラディが助けてくれたの。」

「ほぉ、ラディが。」

 イーサンは面白いものを見つけた子のようにニヤッとした。ラディはそれを見て一層顔をしかめた。

「別に助けたっていうか途中で会ったから。」

「意外と優しいのな、ラディアン。」

 ククッと嬉しそうに笑うイーサンを横目に“サイアク”と呟く。そこに割って入るようにアイザックが慣れたように話し始める。

「エマさん、そろそろ出かけられますか?この二人は放っておいて大丈夫ですよ。」

「え、あ、行きましょう!」

 私が立ち上がるとイーサンがまたもや

「買い物か?どこ行くんだ?」

 身を乗り出す。

「町まで行きますよ。お洋服もこんな古いものではかわいそうでしょう。」

「俺も行っていいか」

 アイザックではなく私に尋ねる。小さなことだけど、彼の気遣いや優しさを垣間見た気がした。

「ええ、人数は多い方が楽しいと思う。ラディは?」

「…町はあんま好きじゃない。女が猫撫で声で話しかけてくるんだ。」

 気持ち悪いといわんばかりにため息をつく。そりゃあ、こんな美男子いたらほっとかないだろうなという言葉を飲み込んで

「そっか、いつか一緒に行けたらいいね。なにかラディに買ってくるよ!」

 俯いてコーヒーをすするラディアンに投げかけた。何も返ってはこないけれど、薄らと口角が上がっているので嫌ではないのだろう。

「イーサンはもう行けるのですか?私たちはもう行きますよ。」

「いつでもいいぞ。」

 そうは言っているが、イーサンの後頭部で一束髪がはねていた。

「イーサン、ここはねてる。」

 立ち上がってはねている髪をおさえてあげると

「俺の髪、ラディもだが、時間が経てば寝ぐせは直るんだ。ありがとな。」

「う、うらやましい。」

「女はみんな、そう言うな。」

 確かに二人ともすごく髪が綺麗だ。いままで、顔が綺麗すぎて髪まで目がいっていなかった。

「では行きましょうか。ラディ、留守をお願いしますね。」

「わかってる。早く行きなよ。」

 親と子のような会話をしてラディは伸びをした。


 屋敷を出るとそこは木漏れ日にキラキラ輝く林の中だった。上を向いてゆっくり歩いていると、横にイーサンが来た。

「おい、危ないぞ。上に何かあるのか?」

 隣で一緒に見上げるイーサン。その横顔は太陽に照らされ青い右目がより美しく光っていた。

「なんだ?まだ寝ぐせが気になるか?」

「ううん。なんでもない。」

 二人の世界に浸っているところに今まで黙って先を歩いていたアイザックが振り向いた。

「お気持ちはわかりますが、今日は買うものが多いので早めにお願いします。」

 にっこりと微笑む彼を見てイーサンは片方の眉をくいっと上げて私の手をとった。あまりにナチュラルに手をとられたのでアイザックに手元を見られ驚かれるまで二人は手をつないでいた。

「ごめんな、ここら辺は意外と足元危ない。エマは慣れていないしな。」

「ありがとう。」

 なんだか目が合わせづらい。そうこうしているうちに私たちはいつの間にか林を抜けて広い原っぱのような場所に出た。

「お前はここら辺に倒れていたんだ。」

 イーサンは先日私を拾った時を話してくれた。何より驚いたのは、ラディが私を連れて帰ろうと提案したらしい。

「さて、ここら辺ですかね。」

 原っぱを出るとまた木々が生い茂っていた。屋敷の周りと違うのは軽自動車が一台通れるくらいの幅だけ木々はなく平らになっていた。アイザックはヒュウッと口笛を吹いた。何かを呼んでいるようだ。きょろきょろしているところに大きな車輪が転がる音がしたので目を凝らすと大きな馬車が向かってくる。今まで見たことのない綺麗な白馬が引いていた。

「いい子にしていましたか?ああ、この方はエマさんです。すみません、エマさん。見慣れない人を前に少々興奮しているようで…」

 美しい白馬に私はアイザックの言葉を最後まで聞かずフラッと馬に近づいた。

「おい、危ない…!」

「大丈夫。怖がらせてごめんね、私はエマ。よろしくね。」

 そう言って鼻づらを撫でると白馬はだんだんと優しい目つきに戻っていった。

「まったく。蹴られていたらひとたまりもなかったぞ。」

「本当に。あなたもよかったですね、アロン。」

 アイザックが名前を呼ぶと答えるかのようにアロンがフンフンと鼻を鳴らした。

「さ、乗ってください。」

「えっと、御者は?」

「アロンは賢いので町までならしっかり連れて行ってくれますよ。初めて行く場所などは御者を雇うか私がやりますが。」

「アイザックさんが⁈何でもできるんですね。」

 驚きと感嘆の声を漏らす私にアイザックは片方の口角を上げ皮肉っぽく耳打ちする。

「あのお二人のお世話をするんです。そのくらいできなければ。」

「早く行くんじゃなかったか?」

 聞こえていたのかいないのか、先に乗り込んでいたイーサンが私たちを呼んだ。


 馬車を走らせること10分ほどで河とその向こうに港が見え、色とりどりの建物が建っていた。木造の建物は少なく、道路は土の所々に石が埋めてあり整備されているようだ。文字は今まで見たことのないもので少しロシア語の形に似ている。

「…すよ、エマさん、降りますよ!」

 窓に張り付いて景色を見ていたらいつの間にか着いていた。慌てて立ち上がった途端、馬車の天井に頭を打ちイーサンに笑われた。

「まったく。気を付けて。」

「はぁ~、久々にこんな笑った。大丈夫か?痛くないか?ほら、手を取れ。」

 目のふちに涙を浮かべるほど笑ったイーサンは先に降り手を貸してくれ降りるとそっと頭を撫でてくれた。

「まずエマさんのお買い物に行きましょう。」

「おっさんとこか?」

「そうですね、お洋服や雑貨はあそこでいいでしょう。」

 なにがなんだか分からないけれど、とりあえずはぐれないよう付いて行く。様々なものが売っているが、林檎や苺、見たことのある果物と野菜が見える中目を引く

 食べられるのか疑わしい色のものもある。値段表記はローマ数字なので、なんとなくわかり少し嬉しくなった。

「エマ、大丈夫か?ちゃんと付いて来いよ。」

「うん。あのすごい色の果物?野菜?が気になって。」

「帰り買って帰ろう。」

「いいの?一緒に食べよう。ラディにもお土産だね。」

「そうだな。食わせてやろう。」

 いたずらっ子のように目を光らせたイーサンに不安を覚えるが見なかったことにする。

「お二人とも、もう着きますよ。」

 アイザックが指さす方向を見れば看板のないレンガ調の建物があった。ドア横にはいくつかの裸のマネキンが放置してあり、かろうじて服屋だとわかる。日本にあったら入りにくいといわれるような不思議な雰囲気だ。ドアベルを鳴らしながら入る3人の後ろを慌てて追った。

「いらっしゃ…なんだ、お前たちか。」

「こんにちは、フェルディナンドさん。お元気ですか?」

「おっさん、久々だな。」

「アイザック、その名前で呼ぶなと言っているだろーが。まったく寒気がする。」

 3人は知り合いなんだろうか。親しげに話しているが、どこかぎこちない。

「あの、はじめまして。」

「ん?誰だこのチビ。」

 私を見て眉をひそめる。高そうなジャケットの中はワイシャツではなくTシャツなので少し胡散臭い。年齢は30代~40代で長髪を後ろでまとめている。目は、アイザックとおなじ吸い込まれそうな黒。しかし、アイザックと違って私を見るその目はギラついている。

「ああ、先日から家で預かっているエマさんです。」

「預かっている…?おい、アイザックちょっと来い。」

 二人は薄暗い店の奥に入ると、コソコソと険しい表情で話し込んだ。私のことだろうか、ちらっとそちらを見るとフェルディナンドと呼ばれた人と目が合った。

「—人間—俺たち——また—」

 聞こえてくる単語では何を話しているのかはわからない。ただ、何か嫌な予感というか不穏な空気が立ち込めていた。イーサンを見ると眉をピクピクと動かし苛ついているようだ。

「イーサン」

 空気に耐えられず隣のイーサンを見上げた。

「心配しなくていい、あのおっさん俺たちの—俺とラディの叔父なんだが…昔色々あって俺らの家とほぼ絶縁してるんだ。名前はウェルニス=フェルディナンド。フェルディナンドって呼ぶなよ、機嫌が悪いとつまみ出される。みんな、ネレって愛称で呼んでる。」

 お金持ちの家は何かとあるんだろう。私には想像もつかない何かが。そのうち、二人は店の奥から戻ってきた。

「まあいい、俺は関係ないからな。そんで今日はなんだ?」

「そうだ、俺たちが少女を預かろうがおっさんにはどうすることもできねえよ。」

 皮肉たっぷりな言い方をして鼻で笑った。

「お前はいちいち腹立つな。」

 二人は静かに火花を散らせていたところにアイザックが割り込んだ。

「いい大人が子供の前で何をしているんですか。今日は、エマさんのお洋服を2、3着見繕って頂きたく。こんな古めかしいドレスじゃかわいそうでしょう?」

「子供なんて何着たって一緒だろうよ。お前よかったな、こいつらの所に預かってもらえて。」

 グシャグシャと雑に私の頭を撫でる手からは言動とは逆にお父さんのような優しさを感じた。

「女の子なんですから、お洒落したいですよね。」

「まあ、少しは…」

 2020年の日本からしたら、今着ているドレスも十分かわいいのだがイーサン曰くこれは今どきじゃないそう。確かに町を歩いている女性たちはもう少しカジュアルなワンピースを着ていた気がする。

「子供服なんか滅多に出ねえからしまっちまったよ。待ってろ。」

 もう一度店の奥に入ると何やら落としたり崩れたりする音がし、「いってえ!」という声も聞こえてくる。

「はあ、あったあった。」

 彼が出してきた服はAラインのワンピースにマーメイド型、それに下にコルセットをつける本格的なドレスまである。

「わあ…」

 思わず感嘆の声が漏れた私にアイザックがたずねる。

「どんな色がお好きですか?今お召しになっている白いドレスもお似合いですが。」

 好きな色…常々思っているが、好きな色や食べ物はその時の気分や目に入るものでだいぶ変わるのではないだろうか。きかれると困る質問トップスリーに入る気がする。

「んー。何色が似合うと思いますか?」

「そうですね、黒や赤なども似合いそうですが大人っぽすぎる気がするので、ここは淡い色を試してみてはいかがでしょうか。」

 さすがはアイザック。すらすらと答えてくれる。それを見ていたイーサンがクックッと楽しそうに笑う。

「とりあえず全部着てみたらどうだ?」

 数十着あるのになんて提案を。このいたずらっ子のような目にはなぜだか嫌と言えない。アイザックのほうを見るとこちらも目を輝かせて私を見ている。

「時間、かかりそうですけど…」

「エマさんのためのお買い物なんですからいいんですよ!」

 これはもう何を言ってもダメそうだ。ウェルニスさんに助けを求めて目くばせしてみるも、

「あいつら、女の服見繕うのが久々ではりきってんだ。俺は奥で仕事してるから勝手にやっててくれ。」

 もうこちらに丸投げだ。私は全部試すことにした。

「フィッティングルームはどこですか?」

「あ?ああ、そこのカーテンのところだ。鏡もある。」

 カーテンを開けると少し黴臭かびくさい湿った物置になっていた。

「1着ずつ渡していくので1着脱いだら交換という形にしましょう。」

 アイザックは既に何着か両手に抱えている。短く息を吐いてカーテンを閉めドレスを脱いだ。

「1着目いきますよ。」

 カーテンの隙間からピンク色の可愛らしいレースたっぷりのドレスが差し出された。それを着てカーテンをそっと開けると鼻唄をうたうイーサンと仁王立ちのアイザックがいた。

「ど。どうですか?」

「おっ!可愛らしいじゃないか。」

「女の子らしくて素敵ですよ、エマさん!そちら買っていきましょう。」

「まだ1着目ですよ。」

「似合うものは買うべきです!」

「そうだ。全部買ってもいいくらいだ。」

 なんだか一夜明けて全員の緊張が解けたようだ。同時に私への笑顔も昨日と違って娘や妹に向ける温かいものになった。


 それから、本当に(たぶん)出ていたすべてのドレスやワンピースを試着した。今日はよく眠れそうだ。アイザックとイーサンが真剣な面持ちで買う服を厳選している。顔が整った男性二人であーでもないこうでもないと女の子の服をしかも自分のものを選んでいるのを見るのはフクザツだ。

「私は、その白いワンピースだけあればいいです。」

わたくしもこれは本当に似合っていたと思います。あとは…これと、イーサン、それも。」

「俺はこれと、そこのトパーズブラウンの。あと、最初のピンクだな。」

「決まりましたよ。この六着です。」

最初に予定していた数の倍になってしまった。嬉しい気持ちもあり、申し訳ない気持ちもありでおずおずとお礼を述べた。

「あの、ありがとうございます。でも2、3着でいいです。」

「どれも似合っていてもうこれ以上絞れない。」

イーサンはそう言って私の頭をポンポンと優しく撫でた。私はあきらめて、こんどは素直にお礼を言った。その時、ちょうどいいタイミングで奥からウェルニスさんが出てきた。

「決まったかー?って、2、3着って話はどうした。やけに多くねえか?」

眉をくいっと上げて二人が抱えてる服を見るとおもむろに2着、アイザックの腕から引き抜いた。

「この緑は形がチビが成長した時に合わなくなる。やめとけ。こっちの黒は生地が薄いから、これからの季節に不向きだ。やめとけ。」

さっきまで全く服屋らしさが感じられなかった人が真剣に服を見る。イーサン達の叔父さんなだけあってか恰好いい。

「ほら、代わりにこっちのコートにしな。どうせコートやアウターも古いんだろ。」

すべての服に合いそうなブラウンのコートを投げて寄越した。

「…おっさん、本当に服屋なんだな。初めて実感した。」

イーサンは感心したように口を開いた。

「てめぇは一言多いんだよ。」

ウェルニスさんは舌打ちしながら右の口角は上がっていた。そこに割って入るかのようにアイザックが会計をうながした。

「それではこれらを買って帰りましょう。お願いします。」

「おう。35,260ヴェラだ。どーも。」

ヴェラというのがここの通貨なようだ。初めて聞く通貨だ。

「おい、親族割引はないのか。」

「てめぇがもう少しお利口にしてりゃあったかもな。」

「は?俺は十分お利口だ。」

「てめぇがお利口なら、このチビは天使か何かか?」

その時「クウゥ…」と私のお腹がなってしまった。恥ずかしくて顔に熱が昇ってくるのを感じる。

「ふっ、ふふふ。エマさん、ナイスタイミングです。この二人はこうしていつまでも言い合いますから。」

「そういえば腹減ったな。さっさと出て食事にしよう。ほら、釣りはいらねえよ、おっさん。」

「ほー、ありがとさん。」

二人が店を出たところを慌てて追いかけようとすると、ウェルニスさんに肩をつかまれ手に何かを握らされた。開いてみるとそれはお金だった。

「えっ?受け取れません!」

「それはさっきイーサンが置いて行った釣りだ。お前の小遣いにしときな。絶対にイーサンには言うなよ。」

数枚のコインをもう一度私の手に握らせると、ほれ。と背中を軽く押された。出る直前、耳元で「ご贔屓によろしくな」と囁いた彼を振り返るとニヤッと笑っていた。


外に出ると二人が話しながら待っていたので謝ると、二人とも何もされていないか変なこと吹きこまれてないかと質問攻め。笑ってお礼をしていただけで何もないよと答えると、二人の口から同時に安堵のため息が漏れた。

「さて、何か食べたいものはありますか?」

「俺は肉だなー」

「エマさん、何かありますか?」

イーサンの肉を無視してアイザックは振り返る。

「私は、せっかく海や河があるのでお魚が食べたいです。」

私も緊張が解けて、自分の意見が言えるようになった。そんな私を見て二人は目を合わせ、あそこだと意見が一致したようだった。

「このまま真っ直ぐここを行くと、テラスがあったでしょう?あそこはお肉料理もお魚料理も美味しいですよ。」

イーサンはさっさと歩いて行ってしまっているので、頷いて追いかけようとしたところでアイザックを振り返った。

「いいんですよ。イーサンがテーブルを取っておいてくれるでしょう。ゆっくり行きましょう。あ、急ぎたいくらいお腹すいていますか?」

そう言われればと速度を緩め、先ほどもらったお金のことを思い出した。

「アイザックさん、さっき店を出る前にイーサンが払ったお金のお釣りをお小遣いにってもらったの。イーサンには内緒だって…」

「ああ、それで。彼なりの好意だと思いますよ。私もいらないのでエマさんのお小遣いにしてくださいな。」

「ありがとう!そしたら、ラディに何か買って帰りたいわ。」

「優しいですね。でもそれはそのお金ではなく、私のお財布から出しましょう。エマさんが欲しいものを買ってください。ね?」

優しすぎる。そう思いながらドレスのポケットでほんのり熱を帯びたコインを握りしめた。


 レストランで初めて見る綺麗な色の魚をペロリと平らげ、ラディへのお土産を選ぶために雑貨屋へ入った。

「こんな真剣に選んでくれるなら、俺も留守番してりゃよかった。」

あれこれ手に取る私を眺めながらイーサンがぼやいた。そんなことはほとんど聞こえていない私は、棚の上に飾られている持ち手が宇宙柄になっているナイフ、スプーン、フォークのカトラリーセットを見つけ手を伸ばした。が、やはり届かない。すると横から手が伸びてきて、カトラリーセットを取り上げた。

「あっ。」

「これかな?君が取りたかったのは。」

見上げた先には、すらっとしたイーサン、ラディに負けないくらいスタイルの良い灰色の髪に金色の瞳をした青年がほほ笑んでいた。

「は、はい!ありがとうございます。」

「いいえ、どういたしまして。どうぞ。」

もう一度お礼をと口を開きかけた時、アイザックがいつの間にか私の横にぴたりと付いた。青年を見ると、ハッとした顔をしてまたすぐににこやかな顔で私に向いた。

「綺麗なカトラリーセットですね。ラディも喜ぶこと間違いなしでしょう。さぁ、買って早く帰って渡しましょう。」

急かすように私の肩を押すので、彼に会釈して会計に向かった。出入口の横に立っていたイーサンに声をかけると、待ちくたびれた様子で一つ欠伸をした。

「買えたか?何買ったんだ?」

「秘密だよ。帰ったらラディに見せてもらって。」

「なんだよー。そんな意地悪どこで覚えたんだ。」

むくれる彼の右手には私と同じ袋が下がっている。

「イーサンもなにか買ったの?」

「ん?ああ、エマが秘密なら俺も秘密だ。帰るぞ。」

一人足早に店のドアをくぐり出て行った。彼を追いかけ私とアイザックも外に出ると、ちょうど隣が八百屋さんだったので立ち止まった。

「あー、帰り買おうって言ってたなそういや。どれがいいんだ?」

行きに気になっていた、スターフルーツのように可愛い星型でキウイのように細かい毛に覆われている真っ赤な果物を人数分手に取った。

「それでいいんだな?本当にいいんだな?」

「不味いの?」

執拗に確認を取ってくる彼に不安を覚える。

「俺は食べたことないが…ユニークな味らしい。」

なおさら興味が湧くじゃないか。しっかりと熟れていそうなものを見極めあまり乗り気ではないイーサンと会計に向かう。店のおばさんが黄色いりんごのような果物をおまけに入れてくれて、ワクワクしながら店を出て、通りの終わりでアイザックが指笛でアロンを呼んだ。

 日が傾く西日降り注ぐ中、アロンは鼻を鳴らしながら帰路を進む。河がキラキラと輝き行きとは違う景色を楽しんだ。

「エマさん、着きましたよ。」

アイザックの声で目を開けた。眠ってしまっていたらしい。荷物を持って、今度は頭上に気を付けて降りた。

「アロン、ありがとう。またね。」

アロンに挨拶して屋敷のドアを開ける。

「新しい服、しまい込まれていたようなので一度綺麗にしておきますね。」

そう言ってアイザックは早々に屋敷の中へ入っていった。イーサンはというとアロンとまるで友達かのように話していた。そんな彼の姿に少しドキッとしつつ私も中へ入る。

 一度ダイニングに果物を置いてラディの部屋の前で耳を澄ます。何も聞こえない。そっとドアを開けようとドアノブに手をかけると、ドアが勝手に開いた。

「なんだ、気配がすると思ってたらエマか。なに?エマの部屋なら向こうだよ。」

また迷ったと思われたらしく、手を引いてくれたので慌てて止めた。

「違うの、ラディにこれ買ってきたの。気に入るかわからないけれど。」

「え。ほんとに買ってきたの?絶対忘れてると思ってた。」

ラディは目を見開くと、袋からカトラリーセットを取り出す。すると、驚いたように笑った。

「なんで僕が宇宙好きなの知ってるの?アイザックにきいた?」

「んーん。私が綺麗だと思って、ラディが持ってたら映えるんじゃないかなって…よかった。」

今夜すぐ使う!とダイニングルームに向かう彼を見て思わず顔がほころんだ。

「あ。ありがとう、初めて食事が楽しみだよ。」

そんなことを振り向きざまに言われ、微笑まれたらキュンどころではない。

 部屋に戻りひと段落つき、今日1日を振り返った。いろんなものを見たし、触れたし、感じた。そこでポケットのコインを思い出し取りだしてみた。大中小大きさも違うが、8角形のコインに驚いた。真ん中にLと彫られているので50だろうか。ボーッとしていたら、ふわっと美味しそうな匂いが漂ってきた。

「しまった!手伝わないと。」

急いでキッチンへ行くと食事はほぼ完成していた。アイザックに謝るといつもの調子でなだめられてしまった。

「疲れているでしょう。歩きましたし、何よりフェルディナンドさんの相手もしたんですから。」

「アイザックさんだって同じくらい疲れているはずなのに。」

「私は毎日この屋敷を動き回っていますから。」

そうなんだけど。これは住まわせてもらっている身で心底申し訳ない。

「それでは、テーブルに運んでいただけますか。ラディが珍しく一番に座って待っていますから。」


 ——食後、買ってきた果物をみんなで食べた。真っ赤な星型の果物を口に入れた瞬間、ラディは顔をしかめイーサンは呻いた。確かに独特な甘さも苦さもあり、ツンとアルコールのような匂いもある。アイザックは、栄養があるんですよと母親のように全員に食べきらせた。恐るべし。

 何も用意を手伝えなかった分、みんなのコーヒーを淹れ食器を洗った。その後お風呂に入り、自分の部屋に戻ると、コンコンとドアをノックされた。アイザックのノックではないなと思いドアを開けると、両手を後ろに隠したイーサンが立っていた。

「悪い、寝るところだったか?」

「まだ大丈夫。どうしたの?」

「いや、あー、今日は楽しかったか?」

「うん、とても楽しかった。ありがとう。それをききに?」

「や、そうじゃなくて。」

「なぁに?」

煮え切らないイーサンを不思議に思っていると、後ろからラディがぬっと顔を出して面白がるようにニヤニヤしながら口を出す。

「なに恥ずかしがってんの?渡すものあるんでしょ。」

「おい、ラディアン!お前に言ってないのになんで…」

「後ろに袋持ってもじもじしてたら嫌でも分かるって。」

なるほど。それはラディにとって絶好のいじりチャンスだろうな。センサーでもあるんだろうか。

「あー、もう。クソッ。これ、エマに。じゃあおやすみ!」

照れ隠しのようにぶっきらぼうに袋を突き付けられた。よく見るとそれはあの雑貨屋さんの袋だ。あの時秘密にしていたのはこれか。

「開けてみようよ。」

貰った私よりウズウズしているラディを見て笑いながら箱を袋から出すと、それは可愛らしい置時計だった。

「イーサン、この部屋に時計無いこと知ってたんだね。」

「そりゃ、イーサンがこの部屋の時計壊したんだもん。」

なにそれ衝撃。二人で散々笑って話したあと、ラディは部屋に戻っていった。時計を箱からそっと出してベッドサイドに置き、眺めながらいつの間にか眠りについた。


——明日も新しいことだらけの予感。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る