幸せと犬耳のきみ

寝室へ戻ってゆくユナを見送って。

仕事道具の散乱したデスクを片付けてから、

ティアも書斎を後にした。

皆が寝静まった静かな廊下を、音を立てないように歩いてゆく。

そのまま階段を下り一階へ……と、不意にティアの足が止まった。


廊下にある扉、

その一つが開いたままになっていた。



(ここは…リオの部屋…?)



そっと扉を開き、部屋の中を見回す。


落ち着いた色で統一された壁紙とカーペット。

少ない所持品を収納したキャビネットとクローゼット、そしてベッドが配置されただけのシンプルな装いの部屋。

ある意味リオらしい部屋だが、そのベッドに当のリオの姿が見られない。


…ユナの話では、確かクート以外は皆寝ていたはず。

首を傾げるティアだったが、やがてもしかしたら、と何かを思いついた。

そのままリオの部屋の扉を閉め、代わりに隣室の扉を静かに開く――。




「…やっぱり、こっちでしたか。」



僅かに開けた扉の隙間から中を覗いて、ティアはくすりと微笑む。

淡いペールトーンカラーで統一された、リオの部屋とは対照的な優しい雰囲気の部屋。

家具の配置はおおよそ同じだが、

所々に動物のぬいぐるみが飾られているこの部屋は、フィユの寝室だった。


部屋の隅には、羽毛の掛け布団がふわりとかかった白いベッドが置かれている。

フィユの体格には少し大きめのそのベッドの中に、今は二人の人影があった。


枕に頭を沈ませ、ぐっすりと眠るフィユ。

…その隣には、片手を腕枕にしもう片方の手をフィユに乗せたまま、静かに眠るリオの姿。

ユナの話の通りなら、おそらくフィユを寝かしつけている間に、リオの方も眠くなってしまったのだろう。

微笑ましい光景に、ティアの頬も思わず緩む。



(でも、

このままにしてもおけないですね……。)



フィユ一人には少し大きいサイズのベッドとはいえ、リオも入って眠るのは少々窮屈そうで…。

やはり一度、リオを起こしたほうがいいだろうか…そんなことをティアが考えているときだった。


不意に、フィユが僅かに寝返りをうった。

そのままリオの胸にぴとっとくっつき、収まる形になる。

暖かなリオの体温が気持ち良かったのか、フィユの寝顔がふにゃっと綻んだ。

リオの方も特に気にした様子はなく、規則的な寝息が途切れることなく続いている。

……ただ、ほんの少しフィユに乗せた手を引き寄せ、無意識にフィユを抱くようにしながら。



お互いの体温で暖まりながら、気持ちよさそうに眠るフィユとリオ。

その光景に、ティアはリオに伸ばしかけていた手を止め、代わりに捲れた掛け布団をそっとふたりにかけ直した。



「…今夜も冷えますからね。このままの方が暖かくて、いいかもしれませんね。」



ティアの言葉に、すぅすぅと二人の寝息だけが返ってくる。

ふっと目を細めて、眠る二人を見下ろしながら――



「ふたりとも、おやすみなさい。」



――囁くような声でそう告げて、ティアは静かに部屋を後にした。




ーーーーー

ーーー



廊下から続く階段を下り、キッチンを抜けてリビングへ――――

灯りの消えた一階を静かに歩きながら、ティアはゆっくり部屋を見まわして。



「…ここにいたんですね、クート。」



…探していた相手の背中にそっと、その名を呼び掛けた。



リビングの窓辺。

外には灯りの消えた街の黒と、降り積もった雪の白、二色だけの世界が広がっている。


青白い月明かりが微かに照らすその場所に、クートは膝を抱えてしゃがみ込んでいた。

小さく背を丸め、窓の外をぼうっと眺めていたクート。…けれどティアの声が届いた途端、頭の犬耳がぴくりと反応し、嬉しさと驚きが入り混じったような表情がティアの方へ振り向かれた。



「ご主人…!まだ寝てなかったの?」


「えっ、ええ……これから寝るところですよ。」



…正確には、少し寝落ちしてしまっていたけれど。

もごもごと誤魔化しながら、ティアはそっとクートの隣、窓際のカーペットの上に腰を下ろした。

背の離れた二人、獣耳のある頭とない頭。

柔らかな月光が、並んだ影をそっと照らす。



「…クートこそ、

こんな時間までどうし…て………」



白い肌に月明かりを浴びながら、クートの横顔に話しかけたティア。

…その言葉が、中途半端なところで止まる。


……ティアの隣で、膝を抱えて座りながら。

クートは、自分の尻尾をぎゅっと抱きしめていた。

腰から伸びた、ふわふわの尻尾。それが拠り所であるみたいに、細い腕で包み込むように…。


…ああ、そうだったのか。

何かを合点したようにティアは一瞬目を細めると、そっとクートに近寄って…自分の肩をクートの肩と触れ合わせた。

何かを促すような仕草。

寄り添われたティアの肩に、クートはやがてこつん、と頭を預けて…

そのまま嬉しそうに、すりすりと頬擦りをした。



「えへへ…。」



待ち遠しかった、と言いたげにクートは口元を緩めてふにゃっと笑う。



「…ご主人、今日忙しそうだったからさ…オレもご主人にぎゅーってしたい気持ちとか、我慢しなくちゃって思って………でも、本当はずっとこうしたかったんだ…。」



そう言って、クートはまた笑顔でティアの肩に頬擦りをする。


…やっぱり、寂しがっていたのだなとティアは感じていた。

クートが自分の尻尾を抱きしめる時。…それは寂しい気持ちを紛れさせるために、昔から無意識でしている癖だから…。


預けられた頭に、ふわふわの犬耳にそっと指を通し、ティアは優しくその頭を撫でる。

自分のために感じさせてしまった寂しさを、少しでも忘れさせてあげたくて…。

気持ちよさそうな声を上げるクートに、ティアも少し頭を傾けて寄り添った。



「今日は、構ってあげられなくてごめんなさい。

明日は一日、仕事をお休みするつもりです。…我慢させてしまったぶん、クートや皆と一緒の時間を過ごせたらなって。」


「ほんとっ!?」



ティアの言葉に、クートのくりくりとした瞳がいっそう輝く。

栗色セミロングの髪と犬耳を左右に振りながら、その言葉を噛みしめるように笑顔を浮かべる。

寂しげだった表情から一転、いつも通りの太陽のような笑顔を、クートは輝かせていた。



「明日……明日か…。……えへへ」



…その言葉を、何故だかクートは気に入ったように繰り返していた。

不思議そうにきょとんとするティアに、クートはにっ、と笑いかけて言う。



「なんか好きなんだ…明日は何しようって考えたり、予定立てたりするの。…明日もきっと、今日みたいな幸せが続くんだな、って思えてさ。」



そう言うとクートは、そっとティアの肩から頭を離す。

…代わりに顔を傾け、真っ直ぐにティアと向き合った。

透き通った瞳が、月の光で宝石のように煌めく。




「…ねぇ、ご主人。…オレさ、毎日が楽しいよ。」



胸にそっと手を当てて、一言一言をゆっくりと、愛しそうに紡いでゆく。



「今日が終わっちゃうのが少しだけ寂しくて、でも明日がくるのがすごく楽しみで……毎日をこんな風に思えるようになるなんて、ご主人に会うまで信じられなかった。」



右胸を押さえるクートの表情に、一瞬何かを思い出したように影が差す。

ぽつぽつと紡ぐ言葉が、一瞬途切れる。

……月明かりの下に、静寂が広がって。





「だから…ありがとう。オレたちに、幸せを教えてくれて。」




……もう一度、太陽のような笑顔が咲いた。



「オレだけじゃない。ユナもフィユも、リオもきっと、そう思ってる。…ご主人とここで、もう一度生きていけること…みんなが、幸せに思ってるよ。」



…言い終わると同時、クートの笑顔は少しずつ照れ笑いに変わってきて…。

ちょっと恥ずかしそうに赤くなりながら、またティアに寄り添う形に戻る。今度は頬擦りの代わりに、ぎゅっとティアの腕を抱きしめてきた。


…スキンシップは大好きなクートだけど。

こうして真っ直ぐに言葉を伝えることには、まだ慣れていないみたいで。

それでも言葉にしてくれた気持ちが、たまらなく嬉しくて……ティアはそっと、頭を撫でる手で応えていた。



「ありがとう、クート。…私も、同じ気持ちです。」



クートが、ユナが、フィユが、リオが……

バラバラに生きてきた皆が、この場所で一緒に笑い合えること。それはティア自身が、何より願っていることで。

同時にティアもまた、彼らが居る毎日に救われているのだから。




「…明日は、たくさん遊びましょうね。」


「うんっ!雪だるまの続き、ご主人も一緒に作ろ!」




元気に歯を見せて笑うクートに、ティアの口からも微笑みが零れる。

明日が楽しみ…。いつからか自分も、そう思うようになっていたのだなと、ティアは静かに感じていた。


…と、不意にティアがあることに気づく。

視線の先には、ちょこんと座るクートの姿。ティアの視線に気づいて、小さく首を傾げている。


その服装は、昼間にコートの下に着せた格好のまま。

…そういえば、クートだけは着替えが済んでいない。



「…クート、お風呂入ってないのですか?」


「…あ、そういえば…。ユナに次入っていいよって言われてたの、すっかり忘れてたや。」


「じゃあ、一緒に入りましょうか。…ゆっくり暖まって、それからお布団に行きましょう。」


「うんっ!…えへへ、ご主人とお風呂だぁ…!」




ティアは腰を上げ、手を差し伸べる。

その手を取りながら、クートは軽やかにジャンプして立ち上がる。



「ほらほらご主人、早く入ろ!」


「わっ…もう、いきなり元気になるんですから…」



尻尾をぱたぱたと振り、ティアの手を引くクート。

引っ張られ、呆れながらも楽しげなティア。

そっくりの笑顔で、楽しそうに笑う二人を、月だけが静かに見守っていた。





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