うたた寝と猫耳のきみ

淡いオレンジの灯りが灯された、屋敷の一室。


いくつもの本棚に囲まれ、今は書斎となっている部屋。


中心には、木製のデスクと革張りの椅子が設置されている。


その椅子にもたれかかり、ティアはうつらうつらと微睡んでいた。

背もたれに体を預け、眼鏡もかけたまま……



静かな部屋にすぅすぅと、小さな寝息が響き続ける――。






「……えい。」


「………んむぅ。」




――そのティアの頬を、むにむにと突っつく影があった。

その感覚で目を覚まし、ティアは瞼をしばたたかせる。ぼやけた視界にうっすらと見えたのは、グレーの髪と猫耳を備えた小さな頭。

その特徴で、というかこのいたずらだけでティアは相手の正体に気づいていた。



「…ユナ、

私のほっぺで遊ばないでください…。」



寝起きのゆっくりとした声で話しかけると、ティアの頬から指がぱっと離れる。

次いでティアを覗き込むように、視界にひょっこりと現れるユナ。薄いピンクのキャミソールとショートパンツにふんわりとしたカーディガンを羽織った部屋着姿……ティアに向ける視線は、どこか呆れているようだった。



「ご主人様こそ、こんなとこで寝たら体痛くなっちゃうよ。」


「それは…ユナの言う通りですね、すみません。いつの間にか眠ってしまって…

ふあぁ…。」


「もう、

相変わらずぼんやりさんだなぁ…。」



ユナのため息を聞きながら、ティアは壁に掛かった時計に目を向ける。

晩ごはんの後から机に向かっていたので、それなりに夜も更け始めた時間になっていた。




「他のみんなは、どうしてますか?」


「もう順番にお風呂済ませてるよ。リオはフィユを寝かしつけてるし、僕ももう寝るとこ。…あ、でもクーくんはまだ下にいるみたいだけど。」


「そうですか…よかった。」



リオが皆の寝る仕度をしてくれたのだろう。

安心したように、ティアはふっと笑みを零した。

……直後、ユナは不意にティアとの距離を詰め、近づいてきた。



「………よっ、と…。」


「わっ……!」



そのまま座っているティアの太ももに登り、驚くティアをよそにユナはその上へ腰を下ろす。


…座られても負担のない軽さといい、バランスを保つ器用さといい、猫っぽいなあとティアが思ったのも一瞬。

すぐにユナが落ちないか心配になって、その腰に思わず両手を回しユナを後ろから抱きしめる姿勢になった。



「ユナ…これ、どういうことですか…?」


「ふふん。さっき言ったでしょ、僕もう寝るとこだって。

せっかくだし、このままご主人様の膝の上で寝ちゃおっかなーって。」



ティアの柔らかな胸に背を預け、困惑するティアの表情を見上げながら、ユナは悪戯っぽく笑う。

小さなユナの体を包むように組まれた腕から、背中に当たる胸部から、ティアの温かな体温を感じながら。



「えへへ。やっぱり寝起きだから、ご主人様ぽかぽかしてるね。」


「…ユナ、あまりくっつかれると………

その、まだ私お風呂に入ってないので…。」



自分の匂いを気にして、ティアは珍しく赤くなって狼狽える。

ティアご主人様の珍しい表情に、ユナはいっそう目を輝かせる。

…いたずら心に火が点いた。そう言いたげな笑みを浮かべながら。



「…ふぅん…

ご主人様、お風呂まだなんだぁ…。」



狭い太ももの上で器用に体を反転させ、ティアと顔を向かい合わせる。

至近距離で見つめられ息を呑むティアの首筋に、覆い被さるようにユナは顔を近づけた。

途端にかあっ、とティアの肌が熱を帯び、思わずぱたぱたと抵抗する。



「ひゃっ……ユナ、ほんとにかいじゃダメですからっ…!」



顔を羞恥の朱色に染めて慌てるティア。

その反応に、ユナは満足げな笑みを浮かべた。



「………ふふっ、あははっ!なんちゃって、かいでないから安心して、ご主人様?」



ぱっと顔を離して笑ってみせると、そのままティアの上から身軽に降り、デスクに手をついて寄りかかる。

からかうような笑みを見せるユナを、ティアはまだ紅潮した頬を膨らませ、拗ねた表情をしてみせる。



「ご主人様、ほんと隙だらけなんだからさ。これに懲りたら、家でも少しはシャキッとしなよー?」


「うぅ…それはそうかもしれませんけど……。さっきのユナ、ちょっと意地悪でした…。」


「あはは、ごめんごめん。」





ティアの机に手をついて話してたユナは、ふと手元のデスクの方に顔を向けた。


そこそこ上質な物であろうデスクの上は、その上質さが鳴りを潜めるほど散乱したティアの仕事道具で埋め尽くされている。

積み重ねられた辞書やインクの瓶、散らばった原稿用紙と万年筆。

その中のひとつ、縦横斜めと所狭しに単語や文章が書き記されていた原稿用紙が、ユナの目に止まった。



「ていうかご主人様、また何か書いてたの?

もう作品完成した、ってフィユに聞いたけど。」


「…ああ、これは……。」



少し恥ずかしそうに笑って、ティアはデスクの原稿を手に取った。

見られるのが恥ずかしいのか、手にした原稿を裏返してほんのり赤い頬を覆うようにしている。



「次に書くもののアイデアをメモしていたんです。…一度忘れてしまうと、簡単には思い出せなくなってしまうので。…作品は、お昼に完成させましたよ。」


「………ふーん。もう新作のこと考えてるんだ。」



軽い相槌を打ち、ユナはその原稿を見下ろす。

複雑な視線を、ティアの持つ原稿に向けている。

…どことなく不機嫌そう、そんな風にティアには思えた。



「…心配、してくれてるんですか?」


「…別に、そんな大したものじゃないよ。…ただ、そんなに間空けずに頑張らなくてもって、思っただけ。」



素っ気なくそう言って、ユナはぷい、と顔を背ける。

…我が儘を言っていると自覚しながら、ティアを心配する気持ちを止められない。

そんなもどかしさが、ユナの表情には滲んでいた。






「……ユナ」



原稿を置き、ティアは優しくその名前を呼んだ。

ユナの顔と目が合うのと同時、その頭に手を伸ばす。



「…私なら、大丈夫ですよ。ちゃんと休めるときは休んでいますし、無理もしていませんから。」



ぽんぽん、と猫耳の隙間に手を乗せ、優しくユナを撫でる。

朝、ユナに言われた言葉と心配そうな表情を思い出しながら。



「…私ができることと言ったら、執筆これくらいしかありませんから。…皆と暮らすためにできること、私がやりたいと思えること…これくらいしかないからこそ、頑張りたいんです。」



頑張りすぎないように気をつけながらですけどね、と付け加えティアは笑う。

緩く頬を綻ばせたティアの笑顔に、ユナは僅かに顔を赤らめまた視線を逸らした。



「……ならいいけどさ。」



むすっとした声が返ってきて、ティアは僅かに苦笑する。

あまりユナを心配させてしまうのも申し訳ないけれど、本当はそれが、少し嬉しくもある……そう言ったら、たぶんユナは怒ってしまうけど。



(優しい子ですからね、ユナは…。)



椅子に背を預け、ゆったりそんなことを考えていると、不意にユナが腰を上げて立ち上がった。



「…僕、そろそろ寝るよ。クーくんのこと、よろしくね。」



ティアの手から頭が離れ、ユナは足早に書斎を去ろうとする。



「………ユナ!」



その背中に、ティアは咄嗟に声をかけていた。

ユナは足を止め、僅かに首を傾けて振り返る。







「…明日は執筆をお休みしますから、今日の分も一緒に遊びましょう。」



目を細め、ティアは微笑む。

母のように、姉のように、その瞳に包み込むような優しさを湛えて。





ユナは一瞬、驚いたように目を見開いて――


すぐに笑顔を浮かべた。


いつもの悪戯っぽい、小悪魔な笑顔とは違う。

子どものように無邪気に、嬉しそうに。






――――――――――――――――――――

・ちょっぴり紹介:ティアのこと2

職業は小説家。割と幅広いジャンルで本を出しつつ、エッセイや翻訳の依頼もたまに受けている。

前回はタイプライター、今回は万年筆と執筆形態が幾つかあるのは、たまに書き方を変えると筆が進むという経験則から。気分でどちらかを選んでいる

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