休憩と狼耳のきみ
「ふぅ…。」
玄関で四人の支度を手伝い終えて、ティアは一人息をついた。
クートには暖かなブラウンのケープ付きコートと、レースアップのブーツ。
ユナには腰丈ほどのコートにショートパンツとタイツを合わせ、さらに口元と耳元を覆うマフラーを。
フィユにはふわりとしたポンチョコートとミトンの手袋、リオにはフードにファーの付いた黒のダッフルコートをそれぞれ身につけさせ、玄関から見送った。
ついでにパジャマ姿では気持ちが切り替えられないので、ティア自身も着替えを済ませる。暖炉のおかげで屋敷内は温かいので、タートルネックのセーターとスキニーパンツというシンプルな恰好で十分だった。
「…そろそろやりましょうか。」
小さく呟き、窓辺のテーブルに部屋から持ち出したタイプライターを設置する。
静まり返った部屋に、パチパチとタイプの音だけが響き渡る。
「…ここは、良く書けた気がしますね。」
時折文章を見直し、またタイプする。
「んぅ……はぁ。」
時折伸びをして息をつき、またタイプする。
「…間に合いますかね、これ…。」
時折不安を抱きながら、またタイプする。
…
………
……………
「……静かですね…。」
タイプを止め、ティアは天井に向かって呟いていた。
あまり賑やかでも集中できないとはいえ、自分一人しかいないというのも何か違う。屋敷全体が、元気を失くしてしまったようだった。
「昔は、これが普通だったはずなんですけどね…。」
そんなことを自分自身に言ってみるが、あまり意味も無い。
なんとはなしに窓辺を覗く。バルコニーにも雪が積もり、一面は白銀に覆われている。…見ているだけで寒さを感じそうな景色だが、人の姿は見えなかった。
……ひとりぼっち。
不意にその言葉が過って、胸に毛羽立つような震えを覚える。
屋敷に、世界に、自分一人取り残されたような錯覚。
とても暖かい光の中から、突然寒くて真っ暗な場所へ放り出されたような不安感……。
ああ、とティアはその感覚に懐かしさを感じる。
「寂しい…」
口から零れた、感情の正体。
一度気づいてしまった孤独感は、雨雲のように広がって胸を覆い、そればかりしか考えられなくなってゆく。
空白だらけの原稿を見つめても、何も思いつくことが出来ない。
天井に、弱音混じりのため息を吐いた。
「こんな調子では、いい文章も書けそうにないですね…。」
「行き詰まったなら、ちゃんと休憩とれ。」
不意に、声が届いた。
驚くティアの銀髪に、細い指先が遠慮がちに触れ、不器用そうに頭を撫でてくる。
指の方向を見上げると、見知ったつり目がティアを見下ろしていた。
「リオ……!」
「まったく…珍しくユナがまともなこと言ってたんだから、気をつけとけよな…。」
少し怒ったような声、けれど頭を撫でる手つきは優しく。主を気遣うリオの姿に、思わずティアは瞳が潤むのを感じていた。
「ごめんなさい…つい色々と考えてしまって。」
しゅん、と俯くティアを見て、リオは僅かに言葉に迷う。
"色々"……
屋敷の中でリオが一番、ティアと過ごした時間が浅いから。
――それでも、とリオは思う。
「すぐご飯作るから、それ食べて元気出せ。…それまで、ちょっとは休んでろよ。」
いつも通り、言葉遣いはぶっきらぼうになってしまうけど。
自分に出来ることで、少しでも主を元気に出来るなら…。そんな思いでリオは長い黒髪をまとめて結び、エプロンを纏う。
一つ結びの黒髪と大きな尻尾が揺れる後ろ姿。
…ティアはそっと、その後ろ姿に声をかけた。
「…リオ。」
「…ん。」
「ありがとうございます。」
「………ん。」
そっとティアが紡いだ感謝の言葉に、短かな返事だけを返してリオはキッチンへ歩いていく。
表情は、後ろ姿では分からないけれど…ぶんぶんと尻尾が振られているのは、ティアにも見えていた。
微笑ましい後ろ姿を見送って、ティアはゆっくり部屋を後にする。
胸を覆っていた雨雲はもういない。
代わりに、暖かさが胸に宿った気がした。
ちょうどそのとき玄関が開かれ、三対の獣耳が室内に飛び込んできた。
「ご主人ただいまー!」
「お腹空いたぁ…リオ、ご飯まだー?」
「まだに決まってるだろ…着替えして、大人しく待ってろよ。」
クートとユナは早速ぱたぱたと室内を駆け回り、途端に屋敷が活気を取り戻してゆく。
それを見て、ティアは静かに目を細めた。
「…ご主人さん?」
高く、小さな声がしてティアは下を見る。
真っ白な髪と兎耳を垂らしたフィユが、不思議そうに見上げていた。
ティアはふっと微笑み、その頭を優しく撫でる。
「お帰りなさい、フィユ。…みんなも。」
その言葉にクートとユナも振り返り、すぐににっと笑顔を浮かべた。
「うん、ただいま!」
「ただいまー。」
「えへへ…ただいま、ご主人さん。」
「……ただいま。」
クートが、ユナが、フィユが、リオが。
それぞれに嬉しそうに、返事をしてきた。
その光景をゆっくり見回すティアを見て、一番近くにいたフィユがまた首を傾げた。
「ご主人さん…何かあったんですか?」
少しだけ、心配がるような声。
フィユの持ち前の敏感さで、自分の心がいつもと違ったことも気づかれたのだろうか…。
そう考えながらも、ティアはもう一度フィユの頭に手を乗せて、毛並みに沿って手のひらを動かした。
「…はい、ちょっとだけ。…でも、みんなのお陰で大丈夫になりました。」
にっこりと微笑むティア。
それを見て、フィユの表情もふわりと和らいだ。
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