相愛

 奴国なこくが太陽の国と称されるのには二つの由縁ゆえんがある。


 一つ目は領地が太陽がくまなく降り注ぐ豊かな平野に囲まれているためだ。

 奴の国で栽培された作物はとても瑞々しく栄養価が高いためそれらの作物を食べて生きていた奴国なこくの民はとても長生きだったという。


 二つ目は奴国なこくの宮室の祭壇に太陽の光を集めることが出来る神器が納められているためである。


 神器の名を陽神鏡ひしんきょうと言った。

 陽神鏡ひしんきょうは清らかな魂を持つ巫女にしか扱うことの出来ぬとされる神器で、陽神鏡ひしんきょうを扱うことの出来る巫女は通称、陽巫女ひみこと呼ばれた。

 陽神鏡ひしんきょうは集めた太陽の力を解放することで人知を超える絶大な力を陽巫女ひみこに与えた。

 陽神鏡ひしんきょうに選ばれた陽巫女ひみこは天候を自在に操れる他、百発百中の預言など実に妖術じみた能力を用いて奴国なこくの繁栄に大きく貢献した。


 故に奴国なこくはこれまでの戦で一度足りとも敗戦を経験したことは無い。

 いかに絶対的な兵力差のある国が相手であろうとも奴国なこくの太陽が没することは決して無かった。


 それは単に国王イサナの率いる国兵が屈強だっただけではなく、それを陰で支える陽巫女ひみこの存在がまさしく太陽のように神々しく絶大だったためである。








 日が没し、奴国なこくにも一度ひとたびの静寂が訪れる。


 日中の市場の賑わいが嘘だったかのように鈴虫が夜風が奏でる葉音とともに一晩限りの演奏会に興じていた。


「ミコトよ、入るぞ」


 イサナが部屋の扉を開けると、着替えの最中であったのか着物をはだけた妙齢の美女が一人。


「あら、イサナ様」


「す、すまん…着替えの最中であったか」


「いえ、問題はありません…むしろミコトは嬉しいのでございます。今晩も来て頂けたんですね」


「たわけ…妻の身体を労らぬ夫が居る訳がなかろう」


「ふふっ」


 現在の陽巫女ひみこは国王イサナの実妻——ミコトだった。


 ミコトは人見知りな上、体も弱いためあまり人前には姿を見せることもなく一日中部屋から出ない日もあった。


 ミコトのことを知る者は実夫のイサナとその子供達を除けば、屋敷に住まうある程度の地位の人間に限られていた。


 ミコトの容姿は太陽の生写しと称される程に光輝く艶やかな美女であったとされている。

 しかし美人薄命という言葉があるように、ミコトの身体は今、不治の病魔に侵されていた。


 陽神鏡ひしんきょうという過ぎた力の行使し続けたことによる代償により体の衰弱も著しくそれが病魔の進行を早めていたのだ。


「痛むのか…その胸は」


「はい。最初は胸にしこりを感じるだけでしたけれど段々と肌が焼けるような痛みが出てきましてね。今じゃ女子おなごの証が見て分かるほどに腫れていますでしょう」


 ミコトの左乳房は痛々しい程に腫れ上がり左右非対称になっていた。

 イサナも苦しそうなミコトの様子に酷く心を痛めていた。


奴国このくに一番の薬屋に処方された薬を毎日飲み続けておりますが未だ回復の兆しはありません。何となくですが感じています。奴国の土に還る日もそう遠くないのだと」


「もしも……叶うのなら俺がその苦しみを代わってやりたい。こんな腕っぷしだけが自慢の王なんかより陽巫女ひみこであるお前の方が奴国ここには必要なのに……」


「ふふっ…イサナ様は未だ御自分の魅力を理解しておられないのですね…」


「イサナ様が戦の先陣を切ることで兵は死に臆することなく立ち向かっていけたのではないのですか?貴方の逞しい背中に、貴方が血反吐を吐きながらも命賭けで掴みとった勝利に奴国なこくの民は勇気を貰っていたのですよ」


「ミコト…」


「わたくしだってその民の一人です。奴婢ぬひの生まれであった私に陽巫女ひみことして役割を見出してくれただけではなく女としてありったけの幸せをくれたのは紛れもない…イサナ様でした」


「それは俺だって同じことだ…お前がいたから俺はまことの王になれたのだ」


「よもや両手で抱えきれないほどの幸せをイサナ様から頂いたのにも関わらずまだそのお返しが出来ておりません…もっと奴国なこくのため陽神鏡ひしんきょうの力を使いたかった…でもわたくしにはもうあまり時間もないみたいですから…」


「もうどうすることも出来ないのだな、俺には」


 ミコトは力の無い笑顔を貼り付けた。

 それはイサナの問いに対する答えであり彼女なりの気遣いでもあった。


「そういえば先程…陽神鏡ひしんきょうを通して陽神ひのかみより三つの預言がありましたよ」


「もういい…やめろ。これ以上陽神鏡ひしんきょうの力を使えばお前の命が更に縮むだけだ」


「それでもわたくしは己の天分てんぶんを全うしなければなりませんから…陽巫女ひみことして…王の伴侶として…」


「………わかった、申せ。どんな預言を賜ったのだ?」


 イサナは渋々聞き入れた。

 気弱な見た目に反してミコトが王である自分以上に強情な性分なのはイサナが一番良く分かっていたからだ。

 ミコトは預言の内容を鮮明に思い出すため目を閉じ深く呼吸をし、唇を静かに震わせるように言葉を発した。


「アマミコはきっと私以上…いいえ歴代のどの巫女にも勝る偉大な陽巫女ひみこになります。だからわたくし亡き後の後釜はどうかあの子に…」


「あぁ」


「メイはあなたに似て屈強な武人になることでしょう。ですが力に溺れ道を誤ることが無い様に貴方があの子に道を示してあげてください」


「分かった」


「そして最後の預言です」


 ミコトは閉じていたまぶたを開き、イナサの顔をしっかりと見据えた。


「今から一月後…禍国まがこくとの大戦おおいくさになります」


禍国まがこく…とうとうあの大国が相手とは…」


 鋼鉄の国——禍国まがこく

 自国が所有する鉱山から掘り出される金銀銅などの豊富な資源と大陸の大国より伝来した高度な鋳造技術によって次々と強力な武器や防具が作られ、それを利用し数々の小国を滅ぼしていった大国だ。


 戦がない時でも禍国まがこくの兵は鉱夫として過酷な労働環境の中、自が体を限界まで鍛え上げた猛者ばかり。


 つわものの中のつわもの

 大国の中の大国。

 最強の中の最強。


 両国の兵力差は歴然であった。

 しかし同時に天下統一を大成する上で避けては通れない宿敵でもあった。


「大戦の最中…あなたは戦地で孤児みなしごの少年と…出会います。その少年を養子にして…実子同然の愛情を…注いであげてください」


 ミコトはかなり無理をしているようだった。

 預言を二三行っただけではあったものの、既に息が弾み口調が辿々しくなってしまっている。


「その少年が…いずれ訪れる…亡国の危機を救う…一筋の光と…なるでしょう」


「わかったもういいこれ以上は無理をするな」


「そうですね…少しわたくしも…疲れました」


「あぁ…もう疲れたろう……ゆっくりと休むがよい」


「イサナ様…どうかわたくしの手を…握っていて下さいませんか?わたくしが眠りに着くまでの間だけで構いません」


 イサナは弱弱しく差し出されたミコトの手をそっと握った。

 生人の手と思えぬほどにミコトの手は冷えきっていた。

 命の灯火が消えることを如実に示していたひ弱な体温にイサナは込み上げてくる感情をグッと塞き止め、気丈に振る舞った。


「いくらでも握っていてやる…眠りにつくまでと言わずずっと一緒にいてやるさ」


 一枚の布団に二人の大人。

 側から見れば些か窮屈に見えるだろう。

 ところが当の本人達の姿は幸せに満ち溢れていた。

 永遠の愛を誓った日を思い出すかのように。


「あぁ…温かい…今宵に限っては…良き夢が見れそうです」


「おやすみ…ミコト」


「おやすみなさいませイサナ様」


くにに…陽神ひのかみの祝福があらんことを」


 今宵の月は欠けの一切無い満月で、月明かりが満遍なく身分の差もなく平等に奴国なこくの地に降り注いでいたという。


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