これを『コミュ力お化け』と言う
気が付けば家に着いていた。学校まで徒歩20分程度の所にある我が家。玄関前で鞄から財布を取り出し、その中にある鍵で家の施錠を解く。二階建てのアパートの一室は、誰もいない空間を色濃く演出していた。
少ない廊下を歩き、上から垂れ下がる紐を引っ張り電気を付ける。今いる一番広い和室は、母の寝床と家族が団らんをするリビングを兼任する場所。その部屋の中央においてあるローテーブルに茶色の封筒が乗っていた。
制服を着たままローテーブルの前で腰を下ろし、茶色の封筒を取る。その封筒の表面には『今月のお小遣い』と丸い字で書いてあり、中には1万円札が入っていた。俺はその封筒の封を閉め、それをもって自室に行った。
自室に着くと、ベッドの横にある最低限の私服が入ったタンスの一番下を開ける。そこには高校生になってから与えられた母からの小遣いが入っていた。丁度、今月で1年分、約10万円がタンス貯金されている。
封筒を所定の位置にしまい、部屋着に着替える為にズボンを脱ぎ、高校のジャージを履く。上も同様にジャージに着替えた。そして、ハンガーに袖を通し、ベッドの頭の方に掛ける。ズボンも同様にするが、その際、ポケットを調べた。そこには若干湿ったハンカチがあった。勿論これは、彼女のハンカチで、俺が返しそびれた代物だ。
それを見つめながら、3分程度悩む。
結果的に、洗濯物の中に入れる事にした。俺の家では、金曜日に洗濯物はまとめてコインランドリーに持っていっている。今日は木曜日なので、纏まっている洗濯物の中にハンカチ入れた。恐らく、このハンカチが彼女と話す最後のきっかけになるだろう。俺はそう思っていた。
次の日の事だ。いつもより早く学校に着いた。目覚めが良かったのと、母親が夜勤から帰ってくるので、早めに睡眠を取ってもらう為だ。
挨拶指導の先生もいない人も疎な昇降口で、上履きに履き替える。靴をしまい、下駄箱の戸を閉め、振り向くと思わぬ顔が1メートル先にあった。
「志磨君、おはようございます」
「え、あ」
言葉に詰まる。昨日あれだけ、怒らせてしまった彼女がそこに居た。
「志磨君?挨拶は人間関係の基本ですよ」
御もっともな発言をしている彼女に、昨日の面影を重ねてしまう。しかし、挨拶程度、この状況で俺だけしない訳にはいかない。
「そうだよね。おはようございます、
挨拶を返し、その場を離れようとする。
「ちょ、ちょいちょい!待ってください志磨君!」
彼女に鞄を掴まれ、巧く前に歩けなかった。
「な、何か用?」
用事を聞くために振り返ると、鞄から手を離した彼女が話す。
「私、いちごジュースが好きなんですよ。ほら、あの購買に売ってるやつあるじゃ無いですか」
彼女は話しながら自分の鞄を開けて中から財布を取り出した。
「へ、へぇ」
我ながらにコミュ障を極めている返事を返してしまった。昨日の事が脳にこびり付き、彼女の様に普通に接する事ができない。
「志磨君は飲んだことありますか?」
「い、いや。無いけど」
購買にあるジュースは割高だ。ちっちゃい紙パックで、100円もする。俺はいつも、スーパーで売っている2Lで110円の緑茶を水筒に詰めてもってきて、それを飲んでいる。
「お、それはいけませんね」
財布から小銭を取り出し、こっちを見ながらニヤニヤする彼女。確か、昨日、俺を笑わせようとしている時の表情は、こんな表情だったか。
「私、現在いちごジュース布教活動を行なっておりまして、是非飲んで欲しいので、はい」
彼女はそう言いながら、垂れ下がっていた僕の手の中に小銭を押し込む。
「え、なに」
「つまり、飲んでみて欲しいと言う訳です。しかし、年頃の高校生は金欠やらなにやらであのジュースを飲まない事が多くて多くて。下手をすれば来年から消えてしまうのでは無いかと、私は危惧をしています。なので、布教し学校中の人に飲んでもらう為に身近な所から私の奢りでいちごミルクジュースを飲んでいただいています」
この段階で大幅に彼女の印象が修正される。超がつくほどの多弁と、その強引さ、しかもユーモアも含まれている。この人物が学校内で人気な理由が分かった気がする。しかし、だからと言って人のお金で、飲み物を買うと言うのはどうなのか。
「あの、
「それじゃあ、先に教室に行ってますので!あ、私の分も含まれてますから買ってきてください!」
お金を返そうと声を掛けるが、悩んでいる間に彼女はその場を離れながら言葉を吐く。どっちが本音なのか分からないが、パシリに使われているのだろう。
それのお駄賃として、いちごジュースを飲んで見ろと言うことなのだろう。確認したいが頼まれた以上は、買って来なければならない。俺は、教室棟Bにある購買に向かった。
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