これを『見栄を張る』と言う
大きく波を打つ状況に戸惑いを隠せなかった。そんな俺は、戸惑いを覆い隠す為に、まず、彼女が何故そんなことを聞くのかを考えた。先程の会話から、彼女のその発言、それが人助けの一環だったり、同情だったり、その類いの感情であるのには違いないだろう。
しかし、ただの偽善か、それともただの善かを判断するのに足らないぐらい、ほんの一瞬の出会いだ。ただ、彼女との些細な会話を経て、はっきりと分かる。この人は、『良い人』だ。俺は過去にも何度か、彼女の様な人物とは会って来た。
今までの場合は、俺が関わっている人物と、俺の様相が釣り合わない事や、若干のパシリ的な立場にあると言うところが、話しかけてくる口実であった。
俺は本来ならば早い段階で、その『良い人』に頼るべきであった。しかし、人に頼るのに強い罪悪感を感じてしまう俺は、差し伸べられそうな手を引っ込める様に誘導する。
助けて貰えているのに何故そう感じるのか。それは俺が、俺を助けると言うことの裏には大きな期待があったり、俺を助けることでその人達が傷を受ける事に繋がると思っているからだ。
そして、今まで出会ってきたその人達は、俺の事情と、確固たる証拠を持たない状態。つまりは、勘を頼りに声をかけて来ていたのだ。そんな『良い人』に対して俺は、ケースバイケースの処理でその人達を突き放し、平静を装う。
もはやそれは、何かの能力だと自負したい。大丈夫と突き放せば、証拠も無いのに踏み込む事をその人達はやらない。何故ならば『良い人』だからだ。
それ以上の詮索は、俺をかえって傷つけるだけだと、理解して行動をやめる。だからこそ、誰にも事情を話さないし、誰にも頼ることはなかった。
しかし、今目の前にいる、彼女は少し事情が違う『良い人』だ。号泣の言い訳、笑顔に対する反応。正直に話してしまった方が良いのではないか。そう思い、5秒の間を開けて言葉を発する。
「泣いてるフリしてただけだよ。ほら、演劇に憧れてて、普通の教室でやってたら、本当に泣いてる様に見えちゃうでしょ?」
その言葉を聞いた彼女は、少しだけ眉毛を揺らす。
「心配させてごめんね。俺の演技結構うまかったでしょ?」
俺は彼女の反応を見ながら、続けて戯ける。少しの沈黙、本当に普通の会話にもある刹那の沈黙。先程の状況と違い、正常な判断と、その場その場の対処ができる自信がある分、心は楽だ。
「そうですか?私には、本当に泣いている様にしか見えなかったですよ」
彼女の眼は、僕の水晶体を覗いている気がした。しかし、ここまで拗らせたからにはこっちも引く訳にはいかない。彼女が今までの人達と同じならば、あと一押しだろう。
「そこまで褒められると、こっちも照れちゃうよ」
一度でも演じたならば、誰も本心から必要としない道化師だとしても、貫くのだ。今までだってそうして生きてきた。最後の台詞を言ってこの場から去る。これで終わりだ。
「それじゃあ、そろそろ俺は帰るよ。演技の評価をしてくれてありがとうね。
彼女に罪はない。あってはならない。俺が勝手に背負っているだけなのだから。俺は台詞が終わってから、その場から立ち上がり、出口に向かおうとした。
その瞬間だ、大きな音がなる。
それは、椅子の背面と教室の床がぶつかる音。俺はそんな雑な椅子のずらし方はしていない。そして、その直後、誰もいない部屋で落ちる雨漏りの様な、彼女の声が聞こえた。
「そんな嘘信じられるわけないやろ…」
その音が鳴った方を見る。そこには、勢いをつけて立ち上がった彼女がいた。表情は顔が机の上の手の甲を向いているので、読み取ることはできない。
「嘘じゃない」
言葉に困った俺は親に叱られる子供の様な反論をした。
「絶対嘘や、うちにはわかんねん。あんた、さっき!廊下でも同じ様な顔しとったやん!誰か、気付いてって!助けてって言う様な顔やった!」
心臓が血液循環を嫌に早くする。それは隠せる動揺だが、時同じくして右の手が細かく揺れた。この人は、全て、仮定があって、それを決定付ける確信があって、それでも尚、俺に話しかけてきた。今までの『良い人』とは、違う。
下向きながら、静かな怒りを見せる彼女。そんな彼女に俺は言葉を、助けを求めようとする。そして、口を第一関節分開き、声帯を震わせた。
「大丈夫」
違う、その言葉じゃない。俺が彼女に言うべきなのは、もっと短くて、簡単な言葉のはずだ。流石に自分への呆れを感じる。言葉が自然と出たあと、俺は彼女の側から走って去った。
否、逃げたのだ。次に出てくる言葉に恐怖を抱いた。彼女の優しさを受け止められない自分を恥じた。彼女の優しさを踏みにじった自分を恨んだ。遠く聞こえる、彼女の俺を呼ぶ声は、学校内に響く青春の音にかき消された。
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