これを『終わりの始まり』と言う
こんな姿を一番人気かつ有名な
俺が知る
窓から入った夕日が、固まっている
こんな絶望的な状況下でも、こちらから何か話せば印象みたいな物は変わるのだろう。だが生憎、彼女の事は噂でしか知らない。何かを間違った言葉を話せば、巨大な勢力に潰される。そんな気さえする。
感覚的に平均台の上を歩く俺は、ここから間違ってはならない選択肢がある、そう思っていた。その矢先の出来事である。
「これ、使いますか?」
それは、薄く四角い布状の物、ハンカチだった。
彼女が渡してきたハンカチの使い道を想像するのは容易い。しかし、汚して良いものか。あぁ、だけど使いますかと言われ受け取ったのだから遠慮するのもおかしいと。俺は2、3度の思考を重ね、結果的にそれで顔全体を覆い、涙を拭った。
ようやく、ぼやけていた視界はくっきりと
「その、あの、大丈夫です、ですか?うち、あ、私、偶々、ここに来ただけで、事情が、その、分からなくて」
情けない姿を晒す俺を心配してくれる、その優しさに、また涙が溢れ出してきた。
「あ゛ひ゛か゛と゛う゛こ゛さ゛い゛ま゛ふ゛ぅ」
恐らく、世界で一番汚い感謝であっただろう。その台詞は、彼女の反応を考えてから発したものではなく、純粋に出た言葉。一瞬彼女の表情が固まったのを見て、我に返り、俺も固まる。
彼女が善意で渡したであろうハンカチを、汚い顔面に押し当て、それでも尚汚い顔でこんな台詞を吐くのは冷静に考えて気持ちが悪い。
そして、それが引き金となって訪れた、この
「っぷぁ!あっはっは、ふへへ!」
彼女は、大声で笑ったのだ。
「ふひぃ、あはぁ、ご、ごめ、いや、笑うつもりは、なぁ、っふ、ふぅ。なぁかっ、たん。やぁ、っはっは」
何を言ってるのか分からないが、とにかく彼女は笑ったのだ。腹部を抑え、息を切らし、とても綺麗な顔で。正直、安心と不安が入り混じるが、ぎりぎり安心が勝つ。引かれるより、笑われる方が楽なのに気付いたからだ。
俺は安堵を深いため息で表現しながら、掃除ロッカーに寄りかかる。しかし、直ぐ新たな思考が生まれる。そろそろ、この状況をどうにかしないと、この先の間が持たないと感じたのだ。
「だ、はっふっ、だめ、だめ、私。今は、抑え、る、の!」
しかし、先程まで死ぬほどビビっていた相手は今、笑いを必死に堪えながら、後退りしている。死ぬんじゃ無いってぐらいにツボにハマっているのを呆然と眺めてしまった。
気が付けば彼女は近くにあった椅子に座っていた。既に笑いのピークを通り過ぎたのか真面目な顔をしてこちらを見ている。俺は固唾を飲み何を言われるのだろうかと、まだ不安になる。
しかし、その想いとは裏腹に彼女はとんでもない行動に出た。その行動とは、こちらを見ながら自分の頬を引っ張ると言うものだ。
「な、何してんの?」
その意図が全く分からない彼女の意味不明な行動に、思わず冷たい言葉が漏れてしまった。彼女はその言葉を聞いて、腕を組み2、3秒悩む。そして、口を開いた。
「・・・。君に笑わされたから、仕返してたんだけどなぁ。んー!つまらなかった?」
「あ、ごめん」
そんな意図があったとは、気付かなかった。それにしても、記憶上では彼女との一対一の会話は初である。そんな、初めて喋る人に対して、ここまで臨機応変に接することが出来る彼女。現在進行形で俺は、そんな彼女を尊敬してしまう。
彼女の気遣いに感心して、嫌と言うほど、尊敬の眼差しを彼女に向けていた俺であったが、彼女も何故かコチラをじっと見つめているのに気がついた。俺は、それが意味する事を理解したつもりで、歯切れの悪い様を見せてしまう。
「な、あ、ハンカチ。ごめん、すぐ返す」
彼女は恐らく、ハンカチの返却を待っているのだ。俺はハンカチを返す為に、まだ出られずにいた掃除ロッカーから出て、手渡しをできる距離まで近づく。そして、彼女にハンカチを差し出す直前に、俺は重大な事に気付いた。
「あ」
「どうしたの?」
思わず出た声に彼女が反応する。俺はそれに対する返事を返さず、黙って考えてしまった。彼女に返さなければならないはずのハンカチは、既に俺の涙が絞れば出るほど染みていたのだ。
果たして、このまま返して良いのだろうか。取り敢えず、洗濯をして返すのが人間として当たり前の行動じゃないのか。しかし、それを何と伝えようか、普通に伝えて良いものだろうか。
そのまま伝えた場合、彼女がこの事を学校中に広めてしまった時、俺のあだ名は『妖怪ハンカチ汚し』や『恩を汚物で返す男、略して汚とこ』などになってしまうのではないか?嫌、彼女はそんな人物が?と言うよりか、もしかしたら、俺にハンカチを貸したことで、彼女の築いてきた輝かしい学校での立場を陥れる一つの引き金になってしまうのではないか?
「おーい、大丈夫ですかー?」
唐突な彼女の声で我に帰る。彼女は、口元に手で円柱を作り、此方に呼び掛けていた。
「やっと、気付いた。3回ぐらい呼び掛けてたんですよ?」
「え、そうなの?」
「うん、急に『あっ』って声を上げたと思ったら黙るし。なんか大変そうですし。もしかして、話すのは初めてだから、緊張してるんですか?」
「え、まぁ、うん」
思考の中身を話せば気持ち悪がられるのが分かっている。だから、俺は彼女の話に合わせることで、この場を逃げ切る方向に変えた。
「同じクラスなんだし、そんな緊張しなくても良いですよ。取り敢えず立ちっぱなしもあれだし」
喋りながら立ち上がった彼女は、俺の背後に周った。そして、俺の背中を押して、目的の席まで無理矢理歩かせようとするが力が足りない。
「む、結構重いですね。自分で歩いて下さい」
「あ、うん。ごめん」
思った以上に力がなかった事に驚いた彼女は、自分の力瘤を確認しながら、さっきまで座っていた席に戻る。今度は案内を呼びかける形で、目的の席まで俺を誘導した。
「ほら、ここ、ここ!私の席の前の席。座って、座って」
俺は目的の席で腰を下ろし、彼女の方を向く。彼女は、座ったのを確認した後、机に手を置き、少し身を乗り出して喋り始める。
「取り敢えず、安心してください。さっき見たことは誰にも言いません」
疑念、生まれなくて良いものが生まれてしまう。彼女の言葉を信用できない訳では無いし、知り得る彼女はそんな人物では無い。口には出せない疑念を心にしまい、話を動かす。
「あ、ありがとう」
「それより、ごめんなさい。えーっと、あ、志磨君の事情を知らないのに笑ってしまって」
彼女は、笑った事についての謝罪をしてきた。
「え、全然気にして無い、と思う」
正直、笑われた瞬間の不安と安堵の波が激しかった。そのせいで、返事が曖昧になってしまう。
「どっちやねん!っあ、いや、本当に傷つけてたら、謝っても謝りきれないから。ここでもう一回だけ、謝らせて。本当にごめんなさいっ!」
彼女は二度目の謝罪を勢いよく額を机の上に頭をつけてした。
「あ、大丈夫だから!頭上げて?ってか、今の痛く無い?」
下げた頭は暫く上がらず、彼女は痛みを堪えるように足をバタバタとさせる。そして、1秒程経ってから、顔を膨らせながら上げて、涙目になりながら此方を見ている。
「っふ」
その姿に思わず笑いが溢れてしまった。
「あ、謝ってるのに、笑ってごめ」
直ぐに笑顔を取り消し、真剣な謝罪に対する反応では無かったのでは無いかと思い此方が謝ろうとした。しかし、彼女の顔を見ると、何故か明るい笑顔をこっちに振りまいているのだ。
「え、なんで笑ってるの?」
彼女に、何度目かの疑問を実直に質問する。
「やっと、笑ってくれたから」
彼女は嬉しさを言葉で、それが真実であることを表情で表していた。
「何で、泣いてたか何て私には分からないけどさ。小さい頃から、こうやって泣いてる人を笑顔にして見たいって思ってたんだ。ってか、笑顔の方が志磨君には似合うよ」
聞き入れる一言、また一言が、自分勝手な彼女の言い分なのだ。
「・・・そうかな?」
しかし、そんな言葉に慣れていない俺は、照れながらも彼女に再度確認してしまう。
「疑うねぇ。本当に笑顔が素敵だなって思いましたよ。いつも教室で、皆んなと絡んでいる志磨君よりいい笑顔でした。ただ、残念なのは一瞬だけしか見れなかったので。っよ!」
「っぷ、な、なぁにして、っははは」
彼女は、言葉の端で掛け声と同時に、掌で頬を後方に引っ張る変顔をした。
「2回連続笑ってくれました。やはり、無邪気な笑顔を振りまいていた方がいいですよ」
高校生になってから心の底から笑ったのは何回目だろうか。
もしかしたら、初めてかもしれない。彼女は此方の反応を見て、ちょくちょく変顔を挟む。元の顔がいいだけに変顔をした時のギャップが凄く、変顔を重ねれば重ねるほど、元の顔が際立ってよく見える。
「も、もう。や、めて。お腹痛い、ははは」
その言葉を聞いた彼女は、サラッとした顔に戻り、満足そうな表情をしていた。腹部を押さえながら、いつからこんなに腹筋が弱くなったのだろうかと思う。
「ねえ」
彼女が俺に声をかけた。
「な、なに?」
聞き返すと、何か躊躇っているのか、聞いたはいいけど言いづらいそうな素振りをする。なので、此方から仕掛けた。
「聞きづらいこと?」
「んー、そうですね」
額にシワを集め、目を瞑り、顔を斜め上に向け、眉間に指を当てる。2秒をほど喉の奥を猫のようにゴロゴロと鳴らすと、深く息を吐き此方を見る。その剣幕に、俺は一瞬体を硬らせる。そして、4秒の沈黙を破り、彼女は言葉を発した。
「お節介かもしれないん、や、あっ、ですけど。さっき、その、何で、泣いていたのかを教えていただけないですか?」
その言葉を聞いた俺は、また思考の波に落ちていく。
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