知る由もないその心に
一(にのまえ)
これを『ロッカーの泣き虫』と言う
絶望に一縷いちるの望みを見出す。きっとそれは、空音を謳う物語ならば起こり得る事。しかし、現実とは上手くは行かないものだ。
「志磨ぁ!これ買ってきて!」
高校2年に進級してから数日経った、4月15日の昼食時の事だ。教室内で大きな声を出し、俺の名前を呼ぶ1人の人物がいた。
そいつは宮内と言って、その傍若無人さ故に学校内でも有名な不良の1人。高校1年生の頃に彼と関わっていた人物が学校を辞めてしまうなどそのキャリアは余り華々しいもので無い。
1年生の頃、俺は表面上はごく平穏な生活を送っていた。しかし、2年生になり彼に目を付けられた後、昨年の関わりある人物は軒並み、俺との関わりを絶った。
パシリに使われることは違和感を感じつつも、俺は悪魔でも宮内を友達として振る舞う。そうする事しか出来なかった。
「うん、買ってくるよ」
二つ返事で了承する。すると宮内はさらに要件を付け加えてきた。
「代金はお前持ちでいい?今月お金なくてよぉ」
それは友達としてどうなのだろうか。金を貸し借りするにもちゃんとした頼み方や手筈があるのではないか。そもそも、本来ならば人に金を借りるのは簡単な事ではない。ましてや、奢ってもらうなんて。
「あ、うん。分かった行ってくるよ」
俺は教室を後にし、パンを売っている自動販売機まで向かった。
「志磨ぁ、まじでこれ酷くね?俺、何も悪いことしてないのにさあ」
宮内は俺が買ったパンをお礼の一つも言わず食べながら、自身のSNS上でのやりとりを自慢気に見せてくる。その画面には、女性らしき相手からのメッセージが映っていた。内容を読み解くに、昨日、宮内が別の女と歩いてたのを目撃したと言うことと、それに対する怒りがそこには綴られていた。
端的に述べれば、宮内はメッセージを送ってきた女性とは、宮内的に都合のいい女性である。しかし、宮内は他にも、複数の女性を自分の都合の良い事に操っており、メッセージの女性はその1人に過ぎない。恐らく宮内は、その都合の良い全ての女性に対して、上手い言葉で関係の釣り合いを持っている。
それは当然のことながら、現代的倫理観を逸脱した行動だ。本来ならば制してやるのが友達の務めであり、それをしないと言うことは、それに加担した事になる。人間関係の基本中の基本だ、言い方を考えればきっと宮内も納得してくれるはずだ。
たかが、高校2年生の若気の至り、簡単な言葉で片付く。画面を見せられた俺は、それに対する反応が嫌に遅かった。
「おーい、志磨、無視すんなよぉ」
宮内が俺のことを呼ぶ、その声に我に帰る。
「あ、ごめん。酷い言い分だね、あはは」
口からは先ほどの考えとは逆の言葉が溢れた。
「だよなぁ、言い方ってのがあるよなぁ」
それを聞いた宮内は、しみじみと納得した様子を見せる。
「ははは」
これで俺が見せた見事な作り笑顔は、宮内の心を満たしたのだろう。その後も続いた、放課後の教室でする雑談は、時間の進みがとても、遅かった。
一言、また一言、目の前の人物から放たれる言葉を解釈し、批判的思考で評価、その後に評価とは逆の言葉を出す。これは、いつのまにか俺の癖になってしまっていたのだ。
先程の宮内の発言に対しても同じ思考であった。注意すべき場所で、言葉は肯定する。表裏一体の感情や言動、恐らくいつも言葉に出すのは表の方だ。俺にとっての表とは、裏の裏であり、批判的思考の裏とは肯定であると言う考えだ。これら全てが自分で理解できていても、勝手に制御されてしまう。
「んじゃ、俺用事あっから帰るわ」
宮内は、散々愚痴を垂らした後、騒がしく帰って行った。それが、とてつも無く長く、そして、稚拙で、最後には何も意味をなさない内容であった事以外何も覚えていない。
しかし、俺はその宮内の発言を全て肯定していた。感情とは、思いとは、全て裏の発言をしていた。
何とかならないのかと、言われれば自覚は持っているので何とかなると信じている。だが、リスクの面で考えてみると、裏の発言をする必要などあるのか、作り笑いをした方が楽だと気付くはず。
俺がこんな感じに話す人物は宮内だけではない、殆ど関わりを持つ人全員が、その対象だ。友達全員が満足をするならば、笑顔をばら撒き。また、友達全員が頷いて欲しいと言うのならば、意に反してでもあかべこを演じて見せる。
完全下校時刻のチャイムが鳴る。部活動や委員会の活動を行なっていない生徒は、全員が帰宅する時間だ。
「志磨君ばいばーい」
「志磨、じゃあな」
「ばいばい」
少しだけぼんやりと椅子に座っていたら、クラスメイトのお喋り集団が帰宅を始め、俺へ帰宅の挨拶をする。俺もそれに返事をする。そして、しばらくして、誰もいない教室から出て、昇降口の方向とは反対に廊下を歩む。
まだ、まだだ、今はまだ、その時じゃないのだ。痛いのだ、心がとてつも無く、良いことも悪いことも、全部を肯定しなきゃいけないのが痛いのだ。下向きながら歩く、辿り着くべき場所はそう遠くはない。尋常じゃない程の汗が出てき始めた。
オーケストラ部の演奏、軽音楽部の演奏、野球部の掛け声、耳に入ってくる音が混じって、さらに思考を曇らせる。やがて聞こえるのは、自分の歩む音、木のタイルを弾力のある靴底で弾く音だけだ。
教室から、3分程歩き、辿り着く場所は、全ての音が遠く聞こえる、旧校舎一階の空き教室。その教室の建て付けが悪い扉を開けて、倒れ込む様にして前へ進む。目的の場所は、もう直ぐそこであった。俺は窓枠まで真っ直ぐ進み、それを伝う様に左へ進む。ゆっくりと歩を進め、俯く視界に現れる鉄の扉を開ける。
それは、掃除ロッカーだ。大人が1人は入れるぐらいのところで、俺はその中に入る。そして、扉を閉め、扉に背を向け、反対側の壁に頭をつけて下を向く。
やがて、自然に溢れ出てくる涙。止まる事のない、大粒の雨。一つ、また一つと雫は、鉄製の地面を叩く。
此処で泣いたのは、今日が最初ではない。高校に入ってから、定期的に来ていた。
随分と自分の首を絞めているのは涙の量から明白なのだ。ただ辞められない、意に反する言葉が出てくるのを止められない。周りに振り撒く偽善の笑顔、言動が嫌だ。またそれに相反する様、誰かに負担を掛けるのも嫌で、ならば自分を犠牲にしようと思っている。
だから、いつも1人で背負い込み、1人で誰にも迷惑をかけないで泣いているのだ。俺が泣いてる間に、この場所へ誰かが来た事など、一回も無い。誰もいない、来ない、知らない、そんな場所なのだ。それが、唯一、俺の全てを吐き出すことの出来る場所。
錆びた鉄に手を置き、出るだけの涙を流し、全てをもう一度リセットする。定期的に来る発作を抑える場所だったのだ。
しかし、その日は予想外のことが起きた。
俺は、なんの音も聴こうとせず、ぼんやりとした思考に陥っていた。それが仇となり、接近していた人物に気付かなかった。
俺がそれに気付いたのは、鉄の扉の隙間から光が入った時、つまりは開けられた時だ。驚きのあまり思考が停止し、扉の開放を許す。
潤む視線に存在したのは、見回りの先生でも、友達の宮内でも無い人物であった。その人物は、よりによって、俺が通う幕春高校内で、もっとも有名な生徒。同じクラスの女子生徒、
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