罪の果実と風鈴と、まっすぐ進みたかった私
りんごは罪の果実だとか言われたところで、おいしいもんは、おいしいし。
風鈴が、ちりりん。うーん、夏休み。学生という存在の、かすかなる解放の期間よ。
というわけで私はその日も、しゃくしゃく、していた。
夏の縁側で食べるりんごは、最高だ。とか言うと、えっ、すいかじゃないの、とか、りんごって秋が旬なんじゃないの、とか言われたことを思い出すんだけど、そんなことは、どうでもいいのだ。わかってないなあ。風流では、ない。
縁側に寝転んで眺める景色は変わり映えしない。でも変化しないことが愛しいと、正しいと感じはじめたのは、いつからだっただろうか。前の学校を、卒業してから?
それまでは変わりたがっていた。風の速度で変化していくことが、愛しいことだと、正しいことだと、信じて疑ったこともなくって。ランドセルからセーラー服へ、セーラー服からブレザーの制服へ、変化していくことは私にとっては絶対的なことだった。
時間の流れはいろんな捉えかたがある、とそういえばはるかむかしの国語の授業で教わった。そのときの私は、国語教師に反発しか感じなかった。日本人は時間をめぐりとして捉えるのですよ。四季、それはめぐりゆくもの。春がきて、夏がきて、秋がきて、冬がくる……そしてまた、春がくる。それは日本人なりの、とってもしみついた、独特で特有で、そしてなにかとても
西洋一神教的な直線的な時間の流れに慣れてしまった。
その授業中、私はしかめっつらをしていたと思う。ひとは、進歩していってこそだ。変化しないなんて。永遠に、おんなじ季節がめぐるだなんて。循環構造。糞食らえだ、と思った。だいたい先生はわかってない。ふるいひとには、わかってない。おんなじ春も、夏も秋も冬も、こない、ほんとうは永遠にこないというのに。一回前の季節と季節は、べつものだ。たとえばアニメのクールは進む。たとえばスマホの値段はもっと安くなる。たとえば、私たちは学年が上がる。わかってない。わかってないのだ。ふるいひとだから――ほんとうにわかっていないんだ、と。
「……それが、罪だったってことかしらね」
ちりりん……風鈴が、鳴った。
もう、だれにも聞こえないはずのつぶやきを……風鈴は、拾ってくれる。
気がついたら、ここにいた。永遠の夏の縁側にいた。私は、たとえば亡くなってしまったのだろうか。あるいは、大きな事故にでもあって、本体はどっかで眠りこけているのだろうか。あるいは、あるいは単にこれは夢なのだろうか。目を覚ました私は、以前通りに、いつも通りに、進む時間に遅れまいと自分なりの社会性の道を、まっすぐ歩んでいるのだろうか。
わからないけど秋はこない。夏はずっと、終わらない。
私は毎日りんごをしゃくしゃくしている。
毎日、毎日。薄い存在のまま――。
……しゃく、しゃく。
今日の、りんごもおいしかった。
りんごは、罪の果実――。
それで食べるのを躊躇するどころか。この果実は、ほんとう、私にお似合いだから。ね?
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