いつか、月もつくれる

 風景、というのはじつにふしぎなもので、いつでも自分のなかによみがえってくる。あのときの風景。そのときの風景。

 いま、自分はなんの風景を見ているのだろうか。

 むかし見ていた風景と、いま見ている風景は違う?



 都会にも、自然はある。自然というのはしばしば大森林や大海原やあるいは四元素的な物質としてイメージされるけど、それだけではない。自然というのは、もっともっと、広い意味と定義を含んでいるものなのだ。人工物さえも、含んでくれる。思えば自然と人工物を極端に二分する二十世紀のやりかたが、功を奏したことなどあっただろうか。



 私は、歩く。

 都会の、自然のなかを。

 歩く歩く歩く。


 ここは、名も知れぬ街。そういうことに、しておこう。じっさいには地下鉄がひとつ通っていて、その地下鉄の名前を言えばこの自治体に暮らす人間はたいていああ、と、名前は知ってるとうなずくところだけれど、そういうのはいまは一切無視をして。ここは、名も知れぬ街。ここは、あくまで名も知れぬ街。



 はてなきライトの点滅する街。四車線の道路には車やトラックが猛スピードで進んでいき、高架の線路では気持ちよさそうに電車が進んでいく。

 共通点は、一直線ってこと。

 

 チェーン店のカフェ。いつでもやってるパチンコ屋。ここでは人々が生活している。しかしそんなことなんら関係ないみたいに、宣伝の明かりはびかびかと光る。資本主義に裏づけられた光が眩しいことに、ここのひとたちは疑問を抱かないのだろうか。でも、私だって、たぶんそんなこと自分の街に対して思っていなかった。


 すこし人気のないほうに入ると、公園がある。

 すっかり散り終えた桜の木。それ以上に目立つのは、人間のつくったぶらんこ、すべり台、ベンチ。



 ――人間は、

 いつから、自然をつくるようになったのか。




 私はベンチに座り、スマホでこの街の名前を記録する。これでまたひとつ、行ってない街が減った。あとは、いくつだろう。

 空を見上げた。新月はとても鋭くて、ふれたら怪我してしまいそう。人間は、いつか、月もつくれる?

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