きゅ、きゅ、救済、きゅきゅ、救済。

 僕は親友をロッカーにしまっている。


 ……なあ。ダイスの音、聞いたこと、ある? そう。サイコロ。ころころころってさ。転がすじゃん? あれさあ、どう聞こえる? や、いやいやいやいやだからそのまんまでいいから、聞こえるまんまで。……ああ。ころん、ころん。悪くない、いやいやその答えまったくもって悪くはないよ。

 けど俺の答えゆっていい?

 きゅ、きゅ、救済、ってきこえんの。きゅ、きゅ、きゅきゅ救済! ってさあ、鳴いてるみたいだぜ、女が喘ぐよりさあ、興奮するわ俺。えぇ? ほんと、ほんとだって。救済、救済、ってダイスがなくんだ、は、……ははっ、おもしれえと思わねえか? なあ?


 そんなことを言う、親友のことを、僕のロッカーに、後生だいじに、しまっているのだ。




 放課後の教室でああついで、とこの話を雑談ぶって提供してみると、学級委員長の彼女は、薄くわらった。知的で、それゆえどこかツンと曲がった笑み。女としての魅力を投げうった代わりに知性を手に入れたんだといつもククッと笑うそのときの、笑み。

「けどサイコロってそんなに意味があるの?」

「さあね。彼にとっては意味があったんじゃないかな」

 僕たちは委員会の仕事をやっていて、教室でふたりきりだし机で向かい合ってるし夕暮れだし、テンプレート的にパッケージングしやすい青春の時間を共有している。もっとも彼女は小説のヒロインになれるほど容姿に恵まれてなくて、すこしばかり突き出た顎と二ミリくらいの出っ歯が彼女のひそかで根本的なコンプレックスで、けど僕は彼女のそういうところが烈しく愛おしい。足りないところ。足りないがゆえに知性なんてつまらないものに全振りして生きていることの、逆説的な、かわいらしさ。

「でもその、甘(カン)くんの言うロッカーってなんなの。定義がよくわからない」

「たとえば。渚さんに、鼻もちならない人間がいたとする。どうする?」

「そんな人間は山ほどいるけどね……このクラスにも、学校にも、社会にも」

「うん。だからそういうときに、どうする?」

 渚さんはシャープペンシルを走らせて、いかにも思案していますよみたいな絶妙な間をつくった。

「……いや、まあ、でも。殺すわけには、いかないし?」

「そりゃそうだ。捕まっちゃうものね」

「うん、刑務所暮らしは私の夢ではない。……存在を抹殺するかなあ」

「いま殺すわけにいかないって自分で言ったじゃないか」

「や、だから殺さないってば。私のなかでの話よ。そんなやつはいなかった。そう思い込むことにする。そんで私の価値観をまもる。保守的でしょう? 自分でも、やんなっちゃうくらい」

「だからつまりそれとおなじことをしてるだけ。ロッカーっていうのはそういうことだ」

 彼女は顔を上げた。

 僕はにっこりした。

「僕は渚さんみたいにひとの存在を抹殺することができない。根が善良なんだろうね。だから、ロッカーにしまってる」

 彼女は、ふっ、と視線を下げた。

「……甘くんの言ってることってときどきよくわかんない」

「だろうね」

 僕は言った。

 そして空間はライト文芸チックな輝きを取り戻す、夕陽のシンプルなオレンジ色。



 サイコロ。そんなたとえを言ったことの理由くらい僕はわかっている、わかっているんだよ、わかってないと思ってただろ、それがおまえがサイコロに殺されたたったひとつの理由だ。

 おまえの口癖なんかいつでもどこでも僕は覚えてる、

 ――人生なんか、すごろくだろ。まさしく人生ゲームってワケ!

 あのころの僕は幼稚で馬鹿で無邪気だったからそんなおまえをとてもまぶしく思って憧れてあとをついていった。こんなやつの後ろにいれば僕の人生はきっと楽しいことばっかりだって、ああ、哀れだなあ、僕は本気でそう思っていたんだよ。

 おまえも僕のことかわいがってくれたよなあ、……優秀な信者として、さ。

 信者のひとり、とは言ってやんないよ? ――だっておまえに信者なんて僕のほかにいた? いたかい? なあ。

 おまえは僕のことをずっとずっとずっと格下だって見ていた。

 だから……僕が、教えてやろうか?


 人生は現場でしかないんだ、って。



「……しかし、甘くん。なんでいま、そんな話を?」

「うん。……僕にはね、親友がいてね。じつはきょうもこれからお見舞いなんだ」

「あら。そんな仲いいひとがいるんだ。意外」

「だいじな親友だ。だいじな……相手だ。あいつは外気にふれてないからずっと幼いままきれいだ……ロッカーにしまっているからね。つまりはそういうことなんだけど」

「女の子?」

「いやいや。男だよ。女子ってそういう話好きだよねえ」

「……や、私はそういうのはよくわかんないし」

「そう?」

 僕は、ふたたび、にっこりわらった。

 かんがえている。おまえのことを、かんがえている。

 僕がロッカーにきっちり保存してやっている彼の存在そのもののことを、……僕は。



 彼が彼であるがゆえに社会不適合、中退、引きこもり、暴力、入院のストレートスタンダードコース。いまもたぶんまっしろすぎるベッドのうえで見るともなしにこのまぶしすぎる夕陽を意味もなく見るしかない観賞用になったおまえを僕は、きゅ、きゅ、救済救済、しないって、いつくしむようにしてそうやって、わらっている、……おまえにはもうきっとダイスの音がそうきこえるわけないって僕は、知ってる。

 でも、だいじょうぶだよ、親友。

 ……僕がこれからずっとロッカーを覗き込み続けるから。いまのおまえがどんなにかただのゴミでも、ロッカーを開ければ、そこにはぱあっと光の残滓。

 きゅ、きゅ、救済。きゅ、救済。



 なあ、狂人。――おまえはなにをそんなに救いたがっていたのかねえ?

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