唇、岩塩、黒猫「どうぞ唇に岩塩を、どうか傷には黒猫を。」
あなたの言葉は塩に似ている。
そう言われたことがあるから、私はそれから、うまくしゃべれなくなった。
塩。生きていくのに、必要不可欠なモノでもある、けれど。
中高の女子校時代のシスターが、言ってた、塩は塩気がなければなんの役に立ちますか、みたいな。はあ、なに言ってんの? と私は思っただけだったけれども。繊細っぽい、あの子と違って。
そんなシスターのお話を六年間もお互い聴いてた仲だったから、私だって、……油断していたのかもしれない。
あの日、あのときあの
ステンドグラスから差し込む秋の光は、神も天使もいるかもって信じさせてくれるほど、美しく、そんな場所に六年来の親友から呼び出されて、なぜか、彼女がうちの女子校のブランドシンボルでもある制服の裾を、ぎゅっと握って、その手を震わせながら、それでもつよく、つよく、……被害者として、毅然と私に宣告した。
『あなたの言葉は塩に似ている』
慰めてほしいのに、ただただ言葉の武器で塩を塗って塗って塗りたくる。
ほしいのは、厳しさではない。いっときでもいい、心を慰め癒して救ってくれる、そういうなにかなのに、
ミカリに言うと、ぜんぶがぜんぶ、……塩になる、しかもその粒はゴリゴリしてて、大きくて、
『岩塩にでも例えればいいのかな。……それほど、強すぎるって――ことなんですよ』
語尾の妙な敬語。……あの子の、癖。
あの子は、つまり……私を裏切ったのだった。
そんな想いを秘めたまま、ああ、どうして、――高三の秋にまで私といっしょにつるんでいたの?
……でも、あの子があのとき、ほかのだれかをぞろぞろ引き連れては、こなかったから。
私は最後まで、あの子のこと、……嫌いになれなかった、いっそそのくらいのことを、してくれたらよかったのに、
せめて、嫌な女子に、なってほしかったよ。――私を途中でそうやって見棄てるくらいなら、さ、ああ、神よ神よ神のごとしわが親友よ、なぜ私を見棄てたもうや、なんて、――これも聖書科の授業の影響です。なんて……。
★
「ねえねえ。ミカリちゃんって、どうしてそんなにしゃべんないんですかー?」
や、その。
もう五限後の時間で、駅に向かう並木道で、
その男子、髪が金髪でいかにも派手ってタイプの軽そうなヤツ、
大学の学科がいっしょなだけの関係で、知り合ってまだ一か月も経ってなくて、そんで帰りがけの女子を捕まえといて気安く話しかけて、しっかも隣で並行して歩きはじめるとか、
いやいやアンタはどうしてそんなに無神経なんですかー? って、感じ。
「……べつに? 話してないわけじゃないよ」
「えー、嘘。話してないじゃん、ぜんぜん。俺ってそういうの意外と敏感なんだよねー」
……意外でも、なんでもないけど。キミみたいなタイプって、周りに媚び売ることだけ得意でしょう?
態度で拒絶を示してるのに、その男子はまだまだうざったくつきまとって、くる。
「ミカリちゃんってさー、ホントはいろんなこと考えてるタイプなんでしょー、でも黙っててさー、周りの顔色うかがいすぎだって――」
「いやどっちがよ!」
あっ、――と思ったときには、遅かった。
私は、思わず並木道の途中で立ち止まった。
彼は、ぽかんとして私の顔を見ていた。
だが、――すぐにげらげら笑いはじめると、あー腹痛いとかなんとか言いながら、私の腕をなかば強引に引っ張って並木通りのベンチのあたりに、寄せた。……木の影があのときのステンドグラスとおんなじくらい妙に美しい、けど。
「……ちょっ、セクハラ……!」
「あー、やっと本音っぽい顔した」
彼は――微笑んだ。
「や。ごめんね。失礼だったよね。でも、……ミカリちゃんひとりだけ、学科から浮いたらさ。俺、たまんなく嫌だなそれ、って思っちゃって」
「なによ。あなた……ヒーローなの?」
「あはは、そんなんじゃ、」
……ないない、と手を振った彼は、……派手系男子のくせに、どこか気弱だった。
「……ヒーローじゃなくて、まさかキリストにでもなりたいの?」
「もっと違うって! ……じつ言うとね。怖いんだ」
「怖い?」
「黒猫ちゃん、が集団から生まれてしまうのが」
「……黒猫?」
「まあ、仲間外れってこと。高校んときさ、アイツ黒猫みたいだなって、……笑われてたヤツがいたんだ。いつも孤高のひとりぼっちで」
「……余計なお世話でしょ。ひとりが好きなひともいる。私だって――」
「うん、そうかもしれない。でも、――俺はもう、集団から異質になって、孤高気取ってるようでただひとりぼっちで、……黒猫みたいで、だから、そのまま、……気高く自死を選んじゃうなんてひとを、ひとりも、出したくないんだ」
「……それ、自殺した、ってこと?」
「うん」
風が吹いて、木々を揺らした。
「俺はみんなと、ほんとみんなと仲よくなりたい。もう、にどと、……黒猫ちゃんみたいなひとを、出したくないんだ。ごめん、俺の都合で。いきなり気持ち悪いよな」
「……それって、いつのこと?」
「……高三の、秋」
「アンタ、現役入学?」
彼は、うなずいた。
「……そっか。私もね、……高三の秋、アンタの言葉は塩だとか、言われた」
「塩? なに? ……すべての生物に必要、ってこと?」
「そうじゃなくて! 口が悪い、ってことなんじゃない?」
気がつけば私は、自然に笑っていた。
……塩。その言葉の響きが彼にとって、私が聞いた黒猫って言葉くらいには、唐突に響いてるってことわかってる。けれどーー。
「私は、もう、……ひとの傷口に塩を塗りたくりたく、ないんだ。だから――」
彼を見据えた私はいったい、……どんな表情をしてたんだろうか。
「……あれ。黒猫ちゃんと雰囲気似てるなって思ったけど、ちょっと違う」
「で、このあとってすこし、時間あったりするの?」
「ん? まあ。バイト深夜からだし」
「えっ、大学生活はじまったばっかの、このタイミングで? うわー、信じられない。学生は学業を優先しなよ」
「悪かったですね。俺ん家、貧乏なの。バイトしないと学費どころか生活費さえも危ういの」
あ、……いま。
「……いま、私、塩塗りたくっちゃった?」
「……ミカリちゃんって、前から思ってたけどけっこうなお嬢さまだろ」
「そんなことないよ。ふつうの家」
「出た、庶民感覚とは異なる基準の、ふつう」
ひやっ、とした。
そうよ。
私の言葉は、似てるから――
「意外と繊細なミカリちゃんには、黒猫ちゃんのツラの皮の厚さを分けてあげたいって感じ」
「……黒猫ちゃんって、どんなひとなのよ? あ――っていうか、私、アンタのこと、」
「ショウ、でいいよ。ショウって呼んで」
あ。名前を覚えられてもいなかったこと、見透かされてた、かな……。
「どうも高校最後の秋にトラウマを負ったふたりらしいからね、俺たち」
「まあでも私のほうはひとが死ぬほどじゃ――」
「あはは、たしかにミカリちゃんって、……そういうとこかもしれない」
彼は――ショウは、すたすた、すたこらさっさと歩き出した。
私はその背中を追いかける。追いかけてみることに、したのだ。
――陽は暮れるのに、太陽は眩しく輝いている、……日暮れと夜明けなんて、じつはたいして区別がつかない。
終わりとはじまりの、……区別はとても、むつかしくって。
どうぞ唇に岩塩を、
どうか傷には黒猫を。
彼の背中と、振り向いたときのいたずらっぽい笑顔が。
いままでの高校生だった私と、これからはじまる大学生の私に、そんなふうに語りかけている気がしていたんだ。まるで、気障ったらしく。
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