004

 深夜二時半を過ぎ、俺は先輩の住むマンションへ到着した。十五階建てのマンションは人の気配こそ無いものの、エントランスから上層階に至るまで煌々と電気がついている。

 一人暮らしをしているとは聞いていたが、どう見ても高校生が一人暮らしするマンションではない。家賃の相場はあまり知らないけど、十五万円以上はするのではないだろうか。

 さっきの悪徳企業でも思ったが、悪い事というのは俺が思っている以上に儲かるのかもしれない。できれば、この年齢でそんな事に気づきたくはなかった。

 オートロックのパネルに1501と入力し、呼び出しボタンを押す。すぐさま通話ランプが点灯したが、向こうからは一切何も言ってこない。

「あれ、先輩ですよね?時雨坂さんの御宅ですよね?」

「……」

 俺の呼びかけにも一切反応が無い。間違いならすぐ切るか、間違いだと言うだろう。通話中を維持したまま何も喋らないという事は、単純にスピーカーが壊れているのか、もしくは、繋がっていても声を出すことのできない状況。もし後者だとすれば、既に他の狩人が先輩の部屋に……。

 一瞬体が硬直するが、額から垂れら冷や汗を感じ我に返った。

「先輩!?無事なんですよね!?何とか言ってくださいよ!」

「ぷっ。焦っている服鳥君を見れるなんて。夜更かしは三文の得ね」

「……おい」

「近所迷惑だから早く上がって」

 うぃーん、という間抜けな音とともにオートロックのドアが開き、悶える心を押し殺してマンションに足を踏み入れた。

 エレベーターで昇っている最中、俺は先輩に入れるクレームを考えていた。「こんばんわ」より先にまずクレームだ。

 先輩は玄関で待っていたようで、インターフォンを鳴らすとすぐに戸が開いた。

「先輩!ふざけるのは時と場合を―――」

 さっそくクレームを入れようと口を開いたが、バスタオル一枚を巻いたあられもない姿の前に、開いた口は閉じ、ついでに扉も閉じてしまった。

「服鳥君どうしたの?入らないの?」

「俺の負けでいいんで、早く服着てください」

 今日が始まってまだ数時間しか経っていないが、今日はよく先を読まれる日だと思った。俺はがっくり肩を落とし、クレームを入れることを諦めた。

 数分後、「着替えてきました。どうぞ」と戸が開いた。先輩は白いジョラートピッケに着替え、紫色の眼鏡をかけている。さっきのような衝撃は無いが、何気に制服姿以外の先輩を見るのは初めてだったりする。これはこれで少し緊張するものだ。

 廊下を抜けると、広々としたリビングダイニングが広がっていたものの、部屋の中央にこたつ机が一つと座椅子が二つ置かれているだけで、それ以外家具らしい家具は見当たらない。

「適当に座ってて。今コーヒー淹れるから」

 先輩に促され、俺は座椅子に腰かけた。

 改めて部屋を見渡すと、部屋の隅に布団が畳まれており、その横に制服が掛けられていた。廊下の途中にも部屋らしき戸はあったし、こんなに広い家になのに寝室が無いわけがない。基本的にリビングだけで生活しているようだ。

「女の子の部屋がそんなに珍しい?」

 先輩はコーヒを僕の前に置きながら言う。僕は慌てて前を向いた。

「シンプルな部屋だなって思って。珍しいっていえば、今日は斬りかかってこないんですね。いつもなら会うたびに俺を殺しに来るのに」

「ん?」

「もう日付変わってるじゃないですか。俺はてっきり、家に入ったらいつもの大立ち回りをする羽目になるのかと思ってましたよ」

「あれはログインボーナスみたいなものだから。毎朝四時にリセットするって仕組みなの」

「配布アイテム感覚で殺されそうになってたの?」

「それに、こんな夜中に騒いだら近所迷惑でしょ。常識的に考えて」

 常識的に考えれて毎日殺しに来る方がよっぽど非常識だし、俺に対しての迷惑も考慮してほしいのだが、指摘したところで絶対に態度を改めることはないだろうと、俺は「そうですね」と適当に返事をした。

「で、夜中に一人暮らしの女の部屋に押し掛けて、挙句部屋をいやらしく見渡して何の用事かしら」

「半裸で玄関の戸を開ける人に、いやらしいと言う資格はないですよ」

「そうね。これからは秩序を持った発言と行動ができるように心がけるわ」

「わかってくれて嬉しいです。」

「それで、あと何分くらいで私を襲う予定なの?」

「わかってないじゃん」

 先輩はコーヒーを飲みながら「冗談よ」というものの、若干表情が曇ったような気がする。気のせいだと思いたい。

「早急に聞きたい事があって来ました」

「何?」

「さっき仕事先で、狩人の一人に襲われました」

 先輩は黙ってコーヒーを机に置いた。今度は気のせいなどでなはなく、明らかに表情が曇っていた。先輩は「そう」と悲しげに呟いた。

「誰も死んでないですよ。俺と一緒に行った人も。相手も」

「……どんな人だった?」

「背は俺より小さい男。声から察するに結構歳いってる人で、折り畳み式の槍を持ってた」

「黒槍さんね」

 先輩は残ったコーヒーを飲み干すと、申し訳なさそうに少し項垂れた。元気がないというより、純粋に気に病んでいるようだ。

「黒槍が戦ってる特に妙な事を言ったんです。俺に頼みがあるとかなんとか。あと、奴は何故か俺の名前を知っていた。これってもしかして―――」

「違う」

 食い気味に先輩は言った。先輩の表情はみるみる曇っていく。こんな顔の先輩を見たのは初めてだ。

「勘違いしないでください。別に先輩を疑ってるわけでもないし、責めてるつもりもないです」

「でも、現状を鑑みれば、私が情報を洩らしたと見るのが妥当でしょ。別に私たちは情報を洩らさない約束を結んでいるわけは無いのだから」

「それは無いです。その反応と表情が何よりの証拠ですよ。俺が聞きたかったのは、黒槍についてと、狩人そのものについてです。先輩だけならまだしも、他の奴にまで狙われるとなると、前情報無しではキツすぎるんで」

「そうね」と呟き、先輩は大きく一度息を吐いてこちらに目を向けた。

「最初に言っておくけど、私が知っている情報を全て開示したところで、あまり有益な情報は無いわ。別に濁しているわけじゃなくて、本当に知らない。それでもいい?」

 俺は黙って小さく首を縦に振った。

「狩人では基本的に集団で活動を行うことはありません。各々が自由に活動している感じ。あくまでも狩人という名前を共有しているに過ぎないの」

「それは仕事仲間からも聞きました。俺としてはそこから理解できないんですよね。集団活動しないグループに意味なんてあるんですか?」

「集団で活動しないというだけで、情報共有が必要ならコンタクトを取ることもあるわ。私はあまりしたこと無いけど。それに、この活動スタイルになったのは数年前からで、結成当初はチームワークも合ったらしい。もっとも、私が入ったとき、つまり、私の父が死んだときには、すでにこのスタイルになっていたから、どういう経緯でこうなったかは知らない」

「じゃあ、他の奴らはどんな活動してるんですか。黒槍は悪徳会社に用心棒として雇われていたみたいでしたけど」

 先輩は小さく首を横に振った。

「共有する情報はターゲットの所在なんかがほとんどで、他の人たちがどんな人なのか、普段何をやっているのかなんて検討もつかない。服鳥君と同じで、声から年齢と性別が何となく読み取れる程度」

「……そうですか」

「狩人のルールは、仕事仲間さんから教えてもらった?」

「ええ。メンバーが殺されたら一人補充する。そして、補充された後釜が、先代のメンバーを殺した奴を殺す。ってやつだけ聞きました。他にもルールがあるんですか」

「『外部に干渉するルール』はそれだけ。でも、『内部に干渉するルール』はいくつかある。例えば、メンバーの素性を探る行為、裏切り行為をした者、メンバーの情報を流した者は殺す。とか」

 その言葉を聞き、俺は思わずコーヒーをのどに詰まらせそうになり数回咳きこんだ。

「それって、今先輩が話してることもアウトなんじゃ」

「この家に盗聴器なんてないから、服鳥君が誰にも言わなければ平気……だと思う」

「自分から聞いておいてあれですけど、心臓に悪いことしないでください」

「後は、別にルールと呼べるものではないけど、変なポリシーを持っている人が数人いる。『一日一人、しかも夜にしか殺さない』だとか、『自分の愛用の武器でしか殺さない』だとか、『命令以外では殺さない』とか。最後のは黒槍さんね。一つ目のは抜刀さんで、二つ目は鉄扇さんのポリシー。自分ルール。制約と言い換えた方がしっくりくるかも」

「自分ルールね。まあ、忍者でも殺し屋でも、『裏』の人間はそういう拘りある人多いですからね。で、その人たちが使用する武器は?」

「抜刀さんは日本刀。戦っているところは見たこと無いけど、いつも腰にぶら下げてる。豪腕さんと鉄扇さんの武器は見たこと無いわね」

 予想以上に情報が隔離されている。単純に先輩だけ知らないという可能性も捨てきれないが、同じ組織に帰属していながらここまで情報が知られていないというのは非常に珍しいケースだ。

 先輩から話を聞くまで、同じ組織にいながら連携を取らないなら組織を名乗る必要はないとばかり考えていた。でもそれは、『連携する事で活動しやすくなる』というのを前提とした場合。あくまでも組織は情報共有のツールとして割り切り、個人個人で成果を積み上げていく。組織の名を上げることで、不要なメンバーを消した後、代わりに入ってくる人材がより上質なものとなり、より上質な情報ツールへ成長させる。

 狩人という殺し屋は、『殺人集団』というより、『仕事を円滑に進めるためのシステム』に近いという事か。

「今までの話の感じだと、黒槍が俺に何を頼もうとしていたのかも心当たりはないですよね?」

「……ごめんなさい。あまり力になれなくて」

「さっきも言いましたけど、先輩の事は責めてませんよ。気にしないでください」

 時刻は、間もなく午前四時になろうかとしている。落ち込んでいるのもあるのだろうが、顔色が優れない先輩を気遣い、俺は「そろそろ帰ります」といい席を立った。

 先輩は玄関まで見送りにきたものの、表情は暗いまま今にも泣きだしそうな顔をしている。本当にこのまま帰ってもいいのか不安になっててくる。

「今日って部活何時からですか」

 靴を履きながら、先輩に尋ねた。先輩は面食らったような顔でこちらを見ていた。

「部活なんて……狩人と服鳥君に接点ができた以上、しばらくはちょっと」

「駄目ですよ。一次通ったら、お願い聞いてくれるんでしょ。気晴らしにもなるし、初めての文芸部っぽい活動なんですからサボらずやりましょう」

「でも……」

「落ち込んでる先輩もレアで見ごたえがありますけど、俺はいつもみたいに面倒くさくて、変なことばっか言って、会うたびに俺を殺そうとしてくる、そんな先輩が一番いいです」

 先輩は後ろを向き、俯いたまま硬直した。泣いているのか、笑っているのか、はたまた俺のキモイ言葉にドン引きしているのかは分からないが、少しでも元気になってくれたのならそれでいい。

「じゃ、お邪魔しました」

 俺がドアノブに手をかけたと同時に、先輩は「四時」と小さく呟き、いきなり俺の腕を掴み、そのまま体を壁に押し付けた。俗にいう壁ドンの完成である。一般的なものと男女のポジションは逆だが。

「いつも通りの私がいいんでしょ?」

 その言葉と現在の体制で、さっきの「四時」という呟きの意味を理解した。

 つまり、これは『今日のログインボーナス』ってわけだ。一刻も早くログアウトしたい。

 体ごと密着させて押し付けられ、押し返せそうにない。かといって、先輩本人に攻撃をすることは避けたい。

「先輩!殺したいほど好きっていうのは錯覚みたいなもんですよ!一時の気の迷い!心の病気です!」

「服鳥君、朝からうるさいわ。近所迷惑でしょ」

「あんたのせいだろうが!」

「えいっ」

 先輩はゆっくり顔を近づけ、俺の口を口で塞いだ。

 むにゅっとした感触が唇に伝わった瞬間、押し返そうとしていた力が一気に抜けていき、数秒後には頭が真っ白になった。何秒くらいしていたのかは覚えていない。唇と唇が触れていた時、俺の中から時間という概念が完璧に消失していた。

 先輩はゆっくり顔を離し、何も言わないままじっとこっちを見つめてる。

 徐々に顔が熱くなり、鏡を見るまでもなく赤面していることを察知すると、先輩はいつもみたいに小さく笑った。

「今日は趣向を変えて、斬殺ではなく悩殺にしてみたの」

「えっ、あ、……えっ、悪くないと……思います」

 先輩は「そう」と言うと、くっついていた体を離し「じゃあ、あとで学校でね」と小さく手を振った。

 俺は赤面した顔を見られるのが恥ずかしく、そのまま逃げ去るように家を飛び出した。

 夏といっても、この時間の風は少し肌寒い。火照った顔に当たる風が心地よかった。

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