002

 八畳の部屋に机が二つ、椅子が二つ、ノートパソコンが二台。左右の壁には大きな本棚は、隙間なく漫画と小説で埋め尽くされている。クーラーは無いが二階なので風通しは良好で、風鈴の音と吹き抜ける風がとても心地いい。

 自慢したくなるほどの快適スポットなのだが、ここが文芸部の部室である以上、先輩との接点が生まれてしまうというのが最大のネックだ。

「小説を書きます」

「ふーん。書けばいいんじゃないっすか」

 朝の喧騒から早数時間。俺は疲れた体を癒すため、いつも通り部室で漫画を読み漁っていた。部活で疲れた体を家で癒すのではなく、家で疲れた体を部活で癒すというのは、おかしな話である。おかしな先輩とおかしな姉が身近にいる人間にしか起こることはないだろう。

 俺の返答が気に入らなかったようで、先輩は俺から漫画を取り上げた。

「ふーん。『狩人』の目の前でハンターハンターを読むなんて。いい度胸ね。貴方も冨樫のようにしてやろうかしら」

「冨樫先生の名前を『動かない体』みたいな言葉の代わりに使うな」

「先輩にタメ口とは、服鳥君は本当に可愛い後輩ね。いつの日か本当にハントしてしまおうかしら」

「いつの日かって。会うたびにハントしてくるじゃないですか。今朝みたいに」

「いえ、狩るのは冨樫の方よ」

「なんでだよ!」

「『先輩の提案を適当に受け流してしまうほど、後輩を楽しませた漫画を描いたから罪』に処す」

「ほとんど俺の匙加減じゃねーか!」

「じゃあ今から行ってくるから。ハンターハンターの連載が再開するのは、だいぶ先の事になりそうね。行ってきます」

「待って待って!ちゃんと聞きます!聞くから行かないで!」

 すぐさま机の上を片付け、出していた本を棚に収納する。これ以上話をややこしくしないため、そして、これ以上ハンターハンターの休載を長引かせないため、俺は観念して先輩の話に耳を傾けることにした。

「文芸部の活動として、小説を書きます。私たち二人で」

「あー、はい」

 久しぶりに先輩の口から真面目な話を聞いたためか、心の内壁に胃もたれのような感覚が生じる。先輩と出会ってからの数か月の間、こんな感覚を何度か味わったが、どれもロクな用事ではなかった。この感覚は、俺の体が自然に身に着けた危機感地センサーのようなものなのだろう。心なしか腹が痛い。

「夏休み前に思ったの。私たちは文芸部員でありながら、一切文芸部っぽいことをしていない。これではいけないのではないか、ってね」

「三か月くらい気付くの遅いですけどね。まあ、俺も面倒だったんで特に指摘はしませんでしたが。去年も小説とか書いてたんですか」

「いいえ」

「じゃあ、去年何してたんですか?」

「寝てた」

「遅刻の言い訳かよ!一年以上も気づかなかったの!?」

「去年は私一人だったから、特に活動したいとも思わなかったの。でも今年は服鳥君がいるから。服鳥君に『文芸部に入ってよかった』って言わせたいから。だから活動するの」

 いい先輩風の事を言っているが、会うたびに殺されかけている時点で『入らなければよかった』という思いの方が圧倒的に強い。もっとも、さっきみたいに物騒なことを言い出しかねないので、口にすることは絶対に無いが。

「ま、まあ、小説書くのは面白そうなんですけど、俺あんまり小説とか読まないんですけど書けますかね?」

「大丈夫。私は服鳥君の無能さも計算に入れているから」

「おい」

「一人ずつ書くのではなく、私たち二人で作業を分担して一つの小説を書くの。そうすればフォローしやすいでしょ」

「あーなら何とか書けるかもですね。テーマとかは決まってるんですか?」

「大まかなジャンルはね。これを見て頂戴」

 先輩はノートパソコンの画面をこちらに向ける。画面には『第二回 高校生恋愛小説大賞』と表示されていた。

「え。小説を書くって、これに応募するんですか」

「もちろん」

「マジか。いや、俺はてっきり、二学期の文化祭で発表するんだと思ってましたよ」

「誰がそんな一銭にもならない事やるもんですか」

―――ええぇ。

 文学少女は何処に行ったよ。詐欺じゃん。

 文芸部部長にあるまじき発言に一度驚くが、時雨坂黎明という人はこういう人だったなあと再確認し発言を控えた。薄々感づいてはいたが、この部は文芸部を語っているだけで文芸部ではない。決して。

「でも恋愛小説ですか。俺全然読んだこと無いです。先輩は?」

「無いわ」

「無いわって……じゃあ何か小説にできるネタでもあるんですか?」

「そうね。『後輩忍者に恋する殺し屋の先輩』の話なんてどうかしら」

「どうかしてると思います」

「あっ、もしかして今のネタ自分の事だと思った?自分が私に好かれてると思った?フフッ。ほんと、絵に描いたような童貞の反応ね。虫唾が走るわ」

「言いすぎだろ。」

「大丈夫。私の気持ちはネタではなくてガチだから。殺したいほど好きなだけ」

「……そうですか」

 言い切った先輩はニヤニヤと笑みを浮かべ、ご機嫌な様子だ。きっと家で考えてきたセリフなんだろうな。

 先輩には一度『殺されながら好かれる側』の立場も考えてみてほしいものだ。

 もっとも、殺されそうになる事に文句こそ言えど、逆に俺が先輩を殺すこと無いと願いたい。

 先輩が俺を殺したいほど好きならば、俺はその都度、何千回でも攻撃を防ぐだけ。俺から攻撃をすることは絶対に許されない。それは時雨坂黎明にあった時から決め制約であり、俺が彼女にできる最大限の謝罪なのだから。

「まあ、ネタが無いなら一から考えればいいだけよ。服鳥君はなにかアイディア無いのかしら」

「アイディアって、いきなり言われても。あっ、恋愛小説は読んだこと無いですけど、ラブコメだったら結構読んでるんで活かせるかも」

「なるほど。パクればいいのね」

「あんた本当に文芸部の部長か?」

「勘違いしないで。パクるというのは、頭の悪い服鳥君に分かりやすく説明するためのレトリックよ」

「いちいち罵倒しないでもらえますか。斬りかかってくるより効くんだが」

「漫画にしろ小説にしろ、好きな作品の影響を少なからず受けているのだから、少なからず片鱗が混ざっている事は否めないでしょ。大好きな先輩を妄想する事以外に、もう少し頭を使って生きた方がいいと思うの」

「まあ、そう言うことになるんですかね」

 いちいち罵倒しないで欲しいという要望は、受け入れてもらえなかったらしい。また、先輩から見た俺は相当変態のようだ。誠に遺憾である。

 腑に落ちない部分があるものの、先輩の言い分もまったく理解できないわけではない。何より、ここで変に反論して先輩の気を損ねては面倒だ。

「あっ。早速いいネタ思いついちゃった。私天才かも」

「どういう話っすか」

「立ち入り禁止の屋上に行くと、いちご柄のパンツを穿いた女の子が上から降ってきてね」

「片鱗どころか丸パクリじゃねーか。いちごが100%の奴じゃん」

「早とちりしないで。これにアレンジを加えるの。じゃあ、100%繋がりでアキラ柄のパンツにするのはどうかしら」

「アキラ柄って何んだよ!あの人にパンツ穿かせたらダメだろ!」

「アキラはアキラでも、鳥山明の方よ」

「鳥山先生に土下座して謝れ!」

 反論しないつもりだったが、どうも口論は避けられないらしい。

 その後も先輩は聞いたことのあるネタを投げかけ、俺は一つ一つ丁寧に打ち返していった。一応文芸部なのに気分は野球部である。

 約三十分ほど言葉のバッティングは続き、俺はとうとう会話に終止符を打つべく口を開いた。

「やっぱり無理ですよ。ネタ考える時点でこれですもん」

「随分とやる気がない発言ね。文芸部員とは思えないわ」

 自分の事は棚上げである。

 先輩は「しょうがないわね」と言い、立ち上がって隣にやって来た。「なんですか」と声を掛ける間もなく、先輩は「えい」と言い俺の膝の上に座り、右手を首の後ろに回して、抱きつく様に顔を耳元へ近づけた。

「ちょっ!」

 中学生まで冷静に特化した生き方をしていた俺だが、高校に入学し砕けた性格に変わってしまったせいなのか、情けない声を上げ金縛りのように体が硬直した。

 先輩は耳元で「動かないで」一言いうと、何をするわけでもなく、俺と同じように硬直して動かない。

 先輩の吐息が肩で跳ね返り、耳の中へ入っていく。冷静になろうと一定のリズムで呼吸を試みるが、息を吐き出すたびに先輩の胸が俺の胸に触れ、逆に心音が早くなった。

 ―――やばい。やばい、やばいやばいやばい!

 忍者的にこの状況を俯瞰すれば、最悪なのは間違いない。先輩が右手に小さな得物でも持っていたなら、殺気を感じ取ったところで対処のしようがない。まさしく積みの状態だ。

 しかし、男子高校生としてこの状況を俯瞰すると、これは最高の状況だといって間違いない。先輩の性格は『あれ』だが、外見だけ見れば美少女と言っても過言ではない。それこそ、黒髪の文学少女を自称できるレベルで。

 ―――めっちゃ良い匂いする!俺も腕を回した方がいいのか!?気の利いた事言った方がいいのか!?

 呼吸は荒くなり、間もなく呼吸困難で死ぬだろうというところで、先輩が「決めました」と口にした。

「いっ、一体何を決めたんでしょう?」

「もし応募して一次を通過したら、服鳥君の願い事をなんでも一つ叶えてあげます」

「ね、願い事?」

 さっきの鳥山明先生の件から引っ張ってきたのか、先輩がいきなり神龍みたいなことを言い出した。

「そう。なんでも叶えてあげる、もっとも、現実的で私ができる範囲に限るけど」

「そりゃそうですね」

 こんな状況でそんなことを言われてしまったら、ほとんどの男子高校生は本物の神龍以上に価値があるように誤認してしまうだろう。というか俺自身誤認してる。

 先輩は短く笑うと、何事もなかったように自分の席に戻り、先ほどと同じようにパソコンをいじりだした。

「少しはやるき気出たかしら?」

「え、いや。まあ。でも、それを言うだけなら、別に抱きつかなくてもよかったんじゃ」

「顔を赤くして言われても、説得力がないわね」

「……」

 何も言い返せない。今日はとことん説得力が無い日のようだ。

「あれはオマケよ。今夜忍者の仕事があるのでしょ。服鳥君が頑張れるようにサービス」

「べ、別に大した仕事じゃないですよ。『仕込み』の仕事は基本戦ったりしませんし。叔父と一緒に行きますから」

「あっそ。でも万が一服鳥君が死んだら、明日から会えなくなるじゃない。だから充電しようと思って」

「物騒な事言わんでください」

 俺赤くなった顔を隠すように、俯き気味に小説のネタ作りを開始した。時折、気づかれないように先輩の顔をチラリと見ると、心なしかいつもより可愛く感じる。

 いくら好意を寄せられても、なぜ好かれているのか分からないので鬱陶しいだけだったが、今は少しだけ、ほんの少しだけ、ちょっぴり、嬉しく思っているのかもしれない。

「あっ、ところで、この賞って期限いつまでなんですか?八月末とか?」

「いいえ。七月末。あと七日よ」

「……やっぱり、先輩が最初に言ったネタでいきますか」

 面倒な事になってしまったが、少しだけ、ほんの少しだけ先輩の事が好きになった夏休みの初日だった。

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