第129話 小林泉という男⑥
エイトナインのスタッフ全員が涙して喜ぶこのプロジェクトを、エイトナインの中心人物の一人であるはずの自分が知りさえしなかった事実は僕をとてつもなく孤独にしていた。だからこそ、小林泉のこの言葉は、僕をその孤独から救い出してくれていた。
そしてそれによって僕は、自分自身の彼に対する評価が解らなくなり非常に戸惑ってもいた。
「とにかく良かった!」
菅ちゃんの声がしっとりと響き渡り、一瞬そわそわと浮足立っていた雰囲気は、いつものそれに変わりつつあった。
「まだ仕事も残っていますし、祝杯とはいきませんから、『祝コーヒー』といきましょうか!」
朗報に興奮した為か、うっすらと頬に赤みをさした真奈美が僕のそばを通りすぎる。
菅ちゃんはデスクへと戻り受話器を取りあげると、このあゆみちゃんプロジェクトに関わったであろう協力者へとこの朗報を伝え始めた。
何本目の電話を終えた時だろう。真奈美と軽く話を終えた小林泉が、ゆっくりと菅ちゃんのデスクへと近づくと、
「おやっ」という声をあげた。
「お子さんですか?」
暫く前からさりげなく菅ちゃんのデスクに飾られた写真を見て、小林が声をあげた。
「いやだな~菅原さん。水臭いじゃないですか。喜んでお祝いさせてもらったのに…。
奥様のご懐妊にも気付かずにすみません。」
彼の飾らない率直な言葉に、オフィスの空気が大きく変わった。なぜならばそれは僕らにとって、ここから外へは漏らす事のできない最大の秘密だったからだ。
別に菅ちゃんや洋子が頼んだ訳でもない。だが、縁あってオフィスエイトナインという舟に乗りこんだスタッフは、僕と真奈美の空回りにも似た菅ちゃんや洋子への想いをかたずを飲んで見守っていた。ともすれば全てが…そう、全てを失いかねない僕らそれぞれの日々を、そうだ…彼らは見守ってくれていた。そして全てがそれぞれの想いのままに、丸く収まったあの時、あれから…愛斗の事は僕らエイトナインが守りぬかなければならない大きなものへと変わっていったのだった。
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