第96話 今日という日②

由香里は、達夫から目を離す事なく言った。

 「あの人が…、うちの人が命に代えてまで救った命が、達っちゃん達が…、どれだけおばさんの心を救ってくれたか分かるね?それを…。その命を自分で断とうとするげな…、あんた、うちの人を、2度殺すつもりね?」

 

「2度殺す…。」その言葉にハッとして、僕は真奈美を見たが、真奈美はただ黙って由香里を見ていた。

 「達っちゃん、あんた達が初めてうちに来てくれた日、あんた達3人の命がきらきらと、とてもきらきらと輝いとって、おばさんは本当に嬉しかったとよ。この命が、とおるさんが救った命かって思ったら、おばさん、嬉しくて嬉しくて、涙が出たとよ。」

 由香里は涙を流しながら達夫に言った。

 「もう二度と、命を無駄にしちゃいかん。達っちゃんの命は、達っちゃん一人だけの物じゃ無か。その命はとおるさんの命でもあるとよ…。」

 そう言って、達夫を強く抱きしめた。

 「達っちゃんが死なんで、本当に良かった。本当に良かった…。」

 僕には、とおるがそこにいる様に見えた。まるで由香里と一緒になって、とおるが達夫を抱きしめている様だった。


 「お父さんとお母さんがした事は、もう済んだ事たい。達っちゃんのせいじゃなか。誰恥じる事なく、精一杯生きて生きんしゃい。それが、おばさんととおるおじさんの望みたい。」


 由香里は、達夫を見て力強く頷いた。

 達夫はおいおい泣きながら、何度も何度も頷いた。

 それから由香里は再度真奈美に向かうと、

 「達夫が本当に…本当に大変な事をしてしまいました。本当に申し訳ありません」

もう一度深々と頭を下げた。

「どうお詫びすれば良いのか、それから…達夫を止めて下さって本当に…ありがとうございました。」

由香里の顔が、真奈美の両手に巻かれた血に染まった包帯を見つめながら段々と蒼白になっていくのがわかる。

真奈美はその両手を後ろに隠すと小さく由香里に頭を下げた。そして、なおも言葉を続けようとする由香里に対して、「もうこれ以上は聞きたくない」とばかりに大きく頭を左右に振り続けた。

その一種異様な光景に、由香里は大きく振り向いて僕を見つめた。

僕は…。この時一体どんな顔をしていたのだろう。でも由香里はしばらく僕を見つめた後に、ゆっくりと視線を落として、そのまま弧を描く様に真奈美に視線を戻した。

真奈美は小さくなって震えて泣きながら、なおも頭を左右に振り続けていた。

そんな真奈美をじっと見ていた由香里だったがふと何かに気がついたかの様に頭を上げると、今度は真奈美を見ながら、後ろにいる僕に話しかけた。

「こんな時にこんな状況でとても言える事じゃないんだけど…」

今度は僕に向き合うと、

「ごめんね、すぐるちゃん。私、これからすぐに帰らなければいけんたい。明日の朝、また東京に来て真奈美さんの病院に付き添わせてもらうけん、今日一日だけ達っちゃんの事お願いできんやろか?御両親には私から、“私の知人の手伝いをお願いしたから今日は帰れない”と上手く話をしとくから…。」

 「それならわざわざ帰らんでも、こっちに一泊していけば良かとに。」

 わざわざ東京まで来て、たった数分で帰ってしまうのかと僕の方が名残惜しくて由香里に声をかけた。

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