第87話 心の蓋③

「水でも頼みましょうか?」 

そう言う僕の言葉を遮ぎり、彼はそこにあった焼酎を乱暴にグラスに注ぐと、

「それからが、真奈美さんの本当の地獄の始まりでした。」

と、一気にそれを飲み干しました。

 

「雪野家がいくら名家であっても、お金は湧いて出るものではありません。旦那様の死後、奥様の知らない旦那様の借金が多数出てきました。それらはもちろん、旦那様が正式に銀行から融資を受けられた物でしたが、その多くは私どもの様な若い力に援助をする為のいわば育成資金でした。旦那様が応援し、力を貸した人達の中には事業に成功する者もいれば、当然、失敗する者もいました。そして当然の事ながら、気持ちや心はいくらあっても、旦那様が用立てて下さった資金を返済する事ができなくなってしまった人たちを、僕は数多く知っています。結果的に、旦那様名義の銀行からの融資はそのまま雪野家の負債へとつながりました。主(あるじ)を亡くして負債を負った旧家が転がり落ちるのはあっと言う間でした。奥様は雪野家を守り抜く為に、当時闇金で財を成して事業を拡大させたある男に借入を頼みに行きました。この男は金の為なら人を人とも思わない、善(ぜん)という言葉すら知らない男でした。この男は二つ返事で五千万を雪野家に貸し出しました。しかも膨大な利子をつけてです。お嬢様育ちの奥さまは、その本当の恐ろしさを知らずに印(はん)を押してしまいました。その当時、何とか事業の成功を収めつつあった僕を含めた数十人で、あるだけのお金をかき集めて雪野家に届けに行きました。しかしもう、時すでに遅しでした。奥様が借りられたお金は、利子が利子を呼び、もう太刀打ちできない金額へと膨らんでいました。もう、私達には、どうする事もできませんでした。」


彼は一気に話し終えると、

「私は結局、旦那様に何一つ御恩返しをする事ができませんでした。そればかりか、旦那様が愛してやまなかったお嬢様すら守ってあげる事ができませんでした。」

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