第86話 心の蓋②

真奈美はそれを聞くと、両手で顔を覆ったまま、「あぁ。」という絶望の声をあげて泣き出した。

真奈美を見つめる菅ちゃんの目もみるみるうちに赤くなり、彼はとうとう、こらえきれずに涙をこぼした。

「真奈美。僕は…。…到底無理な話だが…、僕はその時に戻って、君を助け出してあげたかった。何故…、何故もっと昔に…真奈美が助けを求めたあの時代(とき)に、僕と先生とが真奈美に出会う事が出来なかったのか…。僕はただ悔やまれてならない。僕はただ、そこにいておまえを助けてあげたかった…。」

 彼は、抑えきれない感情を押し殺す様にして、ようやく声を絞り出した。

 「真奈美、すまない。」

そして、今や菅ちゃんに顔を向ける事すらできない真奈美にゆっくりと近づくと、力いっぱい抱きしめた。

 「僕らがあの時、君のそばにいてあげる事ができずに、本当にすまなかった…。」

 彼は真奈美の両手を自分の掌に乗せ、彼の右手で優しく包んだ。それはまるで、吹きすさぶ風から命のロウソクを、必死に守りぬいている様でもあった。

 

 

「あれは四月、まだ雪の残る寒い日の事でした。町の中心を流れる川で、心中遺体が発見されたというニュースが私の元に飛び込んできました。発見したのは、たまたま釣りに来ていた老夫婦で、それが雪野の旦那様とその愛人だとわかるのに、そう時間はかかりませんでした。二人は、死んでもなお一緒にいれる様にと考えたのか、その両手両足はしっかりと紐で結んであったと聞きました。そして、そのご遺体を確認なさったのは、当時まだ高校生だった真奈美お嬢さんでした。」

尾脇さんは、がっくりと肩を落とすと、

「社長、私は今でもわかりません。あれほどの人物であった旦那様が、あの旦那さまが、残された者達のその後も考える事なく、ご自身の心情だけでなぜ死を選ばれたのか…。

死ぬ事はなかったんですよ。社長…。真っ青な顔をしてびしょ濡れになった旦那様を見た時、僕の心は凍りつきました。これが、あの旦那様が選んだ幸せな最後なのか、これが旦那様のたどるべき道だったのかと…。」


そして彼は、その場に泣き崩れてしまいました。

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