第69話 嵐の始まり③

「祖母の顔に刻まれた深い皺を伝って、小さな涙が流れ落ちました。」

 

「あん時、幹夫が借金の保証人ば頼まんやったら、そしたらとおるさんは今、どげな生活ば、しよらっしゃったやろうか?吉村の家は、どうやったやろうかって、ばあちゃんは、いつもいつも考えよるよ。優しか人やったけん。じいちゃんが死んだ時も、真っ先にかけつけてくれらっしゃったけん…。」

 

「祖母はそう言うと、しゃがみ込んで顔を押えて泣いていました。その姿を見て、僕がその事実を知らなかった事を祖母に伝える事はできませんでした。」


 達夫は唇を震わせながら、祈る様に言った。

 「先生、僕は弱虫で卑怯者です。こうして僕が事実を知った事を、祖母にも両親にも話す事ができず…。そして僕には、吉村のおばさんを訪ねて謝る勇気すらありません。僕の両親が、吉村の家をずたずたに壊したくせに、僕の家が壊れてしまう事が怖くて、僕は…、僕は誰にも、誰にもこの事を言えませんでした。そして…、だから僕は、見ず知らずの先生の所に来ました。生きているとおるさんを探しに来ました。吉村のおばさんは、とおるさんを殺した僕達家族を、いつも、まるで本当の家族の様に迎えてくれました。僕は、吉村の家に遊びに行く度に、僕のお金が、僕が働いたお金がこの家の役に立っていると、わずかながら、優越感を抱いていました。得意になっていたんです。先生、伸ちゃんには、お父さんがいません、いつだったか妹と弟が楽しそうに父の背中に乗って遊んでいるのを、伸ちゃんは寂しそうに見つめていました。父が、父が奪ってしまったんです。伸ちゃんの幸せも、吉村のおばさんの幸せも、そして、とおるさんの命も…。先生、僕は…、僕達は、生きていてはいけない存在です。それでも僕は卑怯です。父や母が死ねば、妹や弟が生きていけません。父や母や妹や弟の代わりに、僕が…、僕がとおるさんの親友だった先生の目の前で、死を選びます。とおるさん、先生、吉村のおばさん、どうか、僕達家族を許して下さい。」

達夫は、顔を歪めて、絞り出す様に声をあげると、ポケットからナイフを取り出した。

 あまりの出来事に声も出せずに突っ立っている僕に、達夫はゆっくりと頭を下げた。

 「先生、これで神様も、少しは許して下さいますよね?。」

 そして、ゆっくりとナイフを首筋に当てると、それを大きく振り上げ、首筋めがけて勢い良く振り下ろした。

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