第64話 予兆①

その日は、3月も半ばにさしかかったというのに、朝から底冷えのする寒い日だった。後から考えれば、これからそれぞれの身に起こる、凍りつきそうな出来事を暗示していたのかもしれない。


 「寒いな…。」

コートの襟を立てながらオフィスに入って行くと、いつもは5,6人いるはずのオフィスに、真奈美だけが座っていた。

 「おはよう。他のみんなはどうした?。」

 「おはようございます。今日はお早いですね。みんなは、先日セットした撮影現場の機材が大丈夫かどうか、チェックに出かけました。この寒さでしょ。天気予報では、夜には季節はずれの大雪が降るかもしれないって言っていました。野外スタジオでトラブルが起きなければいいのですが…。」

 「そうか。僕は部屋で少しだけ原稿をチェックする事にするよ。何かあったら声をかけてくれ。あ、それから、悪いがコーヒーを持ってきてくれないか。熱くて濃いのがいい。」

 「はい。すぐにお持ちします。」

 真奈美は二コリと笑うと頭を下げた。

 もともと特別な用があって立ち寄った訳ではなかった。朝方の急な冷え込みのせいか、早くに目が覚めてしまい、家にいたところで他にこれといってやる事もなかった為、今朝はたまたま早目に出社したまでだった。時計を見ると、まだ9時半をまわったばかりだ。ここ数年でこんなに早くにオフィスに顔を出したのは数える程しかない。

 暫くすると、真奈美がコーヒーを運んできた。温かいコーヒーを時間をかけて飲み干した丁度その時だった。

 真奈美が控えめにノックをして部屋に入ってきた。

 「あのぅ。吉澤達夫さんという方が、先生に会いたいといらっしゃっていますが…。」

 「吉澤達夫?うーん、知らないなぁ。」

 「見た感じ、まだ中学生くらいなのですが…。」

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