第63話 嵐の前の静けさ⑤

ドアを叩く音がして、真奈美が入ってきた。

 「先生、少しお疲れなんじゃないですか?

コーヒーをお入れしました。」

 そしてそれをテーブルの上にそっと置いた。

 「ありがとう。そうかも知れないな。今日は少し早めに帰らせてもらうよ。」

 そう言ってコーヒーを一口すすった。

 「生き返る様だな。」

 「まぁ、先生、何だかとっても大袈裟ですよ。」

 そう言って笑うと、真奈美は出て行った。

 飲み物にも相手の気持ちが伝わるらしい。真奈美が入れてくれたこの時のコーヒーは、千切れそうな僕の心を、温かく潤してくれた。

 コーヒーを見つめながら、この時僕は、ふと思った。

「真奈美の様な女性は、一体どんな男性に心を寄せるのだろう?」

 美しく、品があり、それでいて小野瀬会長をも魅了した自由さを持っている。こんな女性が思いを寄せる男性は一体どんな人だろうか?しかし、プライベートな事は一切口にしない真奈美の事だ。きっと聞いても、笑って答えてはくれまい。

 そんな事を考えていた時に、菅ちゃんから電話が入った。

 「遅くなってすみません。打ち合わせが長引きまして。先生から携帯にお電話があるなんて滅多にないものですから…。何かありましたか?。」

 「あぁ、いや。今日は少々疲れているみたいでね。早めに帰ろうと思って連絡してみたんだ。」

 「そうでしたか。最近は休みも取られてませんし、どうぞ早くお帰りになって、久しぶりにゆっくり休まれて下さい。」

 「あぁ、そうさせてもらうよ。菅ちゃんも、たまには早く帰るといい。」

 「有難うございます。これからオフィスに戻って、2,3仕事を終わらせたら帰ります。では…。」

 電話を切りかけた菅ちゃんに、

 「洋子に宜しく伝えてくれな。」

 と、声を掛けた。

一瞬の沈黙の後、お礼を言って電話が切れた。


 それから暫くは、僕にとって洋子のあの姿を振り払うだけで精一杯だった。こうしている間に、本当に洋子が壊れてしまうのではないか、手遅れになってしまうのではないか…。そんな恐怖と闘う日々だった。

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