第31話 別れ①

その電話は、年が明けて間もない1月5日、

菅ちゃんを含めた数人のスタッフと事務所で酒を交わしている時にかかってきた。たまたま電話の近くにいた菅ちゃんが電話を取った。

 「先生、監督の奥様からお電話です。」

 監督とは大晦日に食事をしたばかりだ。「年も明けた事だし、一緒に飲まないか」という電話だろうと思い受話器を取った。

 「すぐるちゃん?忙しい所ごめんなさい。実は今朝方主人が、亡くなりました。」

 僕は受話器を持ったままへなへなとその場にしゃがみ込んだ。

 「あんなにお元気そうだったのに、どうして急に。」

 「年が明けてから、あの人とてもしんどそうだったから、何となく覚悟はしていたのよ。「病院に行きましょう。」と言っても「どうせ病院に行っても入院させられてチューブだらけになるだけだ」と言い張って全く聞き入れなかったの。わかるでしょ?でも、以前から「死ぬ時は自宅で死にたい」と言っていたかから…。うちの人は幸せに死んでいけたわ。」

 意外にもしっかりした口調で奥さんは話した。

 「亡くなる前の日に「なあたつ子、俺が死んだらお通夜もお葬式もさっさと終わらせてくれ」って言ったのよ。「縁起でもない。辞めて下さい」って言ったら、「目に見えるもんがなくなれば、お前も早く諦めもつくだろう」って。彼から私への最後のプレゼントよ。私、それを聞き入れる事にしたわ。」

 監督はすでに斎場に運ばれていて今日のお通夜が終わった後、明日のお昼には、近くの斎場で荼毘に付される事になっていた。

 僕と菅ちゃんは、取るものも取らず斎場へと向かった。


監督は安らかな顔で眠っていた。

 「監督、来ましたよ。」

 僕は監督の頬をなでながらつぶやいた。言いたい事が、まだ、話したかった話が、心の奥につっかえて上手く話せない。止まらぬ涙を袖で拭い、僕らは監督が眠っている部屋の端にあるテーブルの脇に座った。

 監督の訃報を聞きつけて少しづつ人が集まり始めている。人々が交わし合う会話、線香の煙、僕にはその全てがセピア色に見え、これが夢である事を願いつつ、大きく頭を振った。

 「こんな事ならば、僕ももう少し監督と話をしておきたかったです。」

 菅ちゃんが赤い目をして言った。

監督との再会の後、僕が監督と会う時は菅ちゃんも必ず同席していた。彼自身野球部出身だった事もあり、監督とは初めから話があった。しかしそれよりも何よりも監督のにじみ出る優しさと強さに彼も惹かれたうちの一人だったに違いない。

二人とも、無言で監督の遺影を見つめた。

 と、入り口の方が騒がしくなる。目を向けると4,5人の男達が入ってきた。中でもスーツを着た体格の良い一人の男に目が止まった。入り口で奥さんと話をし、真っ直ぐに監督に向かって行った。そして、誰にでも聞こえる大声で

 「監督、来ましたよ。まだこの辺にいるんでしょ。僕です。小野寺が来ました!。」

 と言った。その様子が彼の雰囲気とは異なりとても可愛らしく、周りからクスクスと笑いが漏れた。

 それから彼は振り返って僕に気づくと、仲間をつれて僕の所までやってきた。

 「工藤先生ですよね?」

 はきはきとした大きな声で話しかけてくる。

 「ええ。」

 「初めまして、小野寺と申します。ここ、よろしいでしょうか?」

 と言ってテーブルを挟んだ僕の正面の席を指差した。

 「どうぞ」と手を伸ばすと全員が腰を下ろした。

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