終わりと始まりー最後の時、あなたは気持ちを伝えられましたかー

長居佑介

終わりと始まりー最後の時、あなたは気持ちを伝えられましたかー

「ソウちゃんとも当分会えなくなるのかな」


 夕日が照らす埠頭の先端。

 俺、桜庭宗助と幼馴染の天道恵は二人で会っていた。


「ああ」

「歯切れが悪いなー」


 恵の乾いた笑い声が響く。快活な乾きではなく、情を絞り出してしまった故の乾いた声だった。

 どんな顔をしているのだろうか。

 恵の顔は俺からは見えない。俺が埠頭の先端で座っていて、恵は二、三歩の距離で立っているからだ。


「まあ、な」

「もう!当分会えなくなる幼馴染と話す態度じゃないよ……!」

「すまん……」


 それは何に対する謝罪なのだろうか、と自問する。単純に空気を悪くしていることにだろうか。それとも、上手い言葉を言うことができないことにだろうか。あるいは、幼馴染の気持ちをうすうす気づきながらも無視して、この排他的な島に置いていくことにだろうか。

 あるいは……。


「もう……」

「……恵とはよくここに来たな」


 俺のつぶやきに恵は口をつぐんだ。


「初めて二人で来たのはいつだったんだろうな」

「……ソウちゃんは小さいころからここが好きだよね」


 埠頭の先端から完全な水平線が見える。

 水平線はこの島が世界から隔絶されていることを突き付けているように感じる。ひどい時には水平線の上に檻を幻視した。だからか、水平線は小さいころから好きではなかった。それでも、時々目にする船を見るために埠頭の先端に座っていた。俺にとって、船は自由の象徴であった。

 束縛と自由を感じられるのがこの埠頭だった。


「まあ、な」

「ソウちゃんは私がここに来るときどういう時か知ってる?」

「恵からは聞いたことはないな」

「想像でいいから当ててみてよ」


 俺に会いたいから、だろう。

 けれど、この質問は正解するべきなのだろうか。俺がこの問題を正解したとして、恵が未練を残すと考えてしまうのはうぬぼれなのだろうか。


「……ノーコメント」


 玉虫色の答え。玉虫色、都合のいい色。

 はたしてあいまいにしたのは恵のためなのか、俺のためなのか。


「……ノーコメントかぁ……」

「ああ」

「ずるくない?」

「いいだろ。最後くらい」


 いつもなら踏み込んでくる距離感にお互いが足踏みをする。

 喧嘩なんていつものことだった。気に入らないことがあれば言う。言わないほうがお互いに気持ち悪いからとりあえず言う。

 けれど、今はそれができなかった。俺が旅立つのが明日の朝だから。仲直りする時間があるか分からなかったから。


「ん……。わかった」


 いつもなら食い下がらない場面で、食い下がる恵。

 その小さな差異が今はとても気になる。


「ソウちゃんの家にいこっか。もう送迎会の準備は整ってるだろうから」


 何でもないような声が今日はとても痛々しく聞こえた。

 それは俺の妄想だろうか。それとも。



 ◇◇◇



「お兄ちゃん。何をやってるの?」


 縁側に一人で腰掛けていた俺に妹の茜が声をかけてきた。


「なんだろうなぁ……」

「なにそれ。馬鹿にしてる?」


 茜のいらだちをこもった声を聞いて、くく、と自然と笑ってしまった。茜は当分会えなくなる兄にずかずかと踏み込んでくる。まるで嫌われることを一切想定していないその姿は今の俺には痛快だった。


「してない。してない。茜はこんな日でもかわらないなぁって思っただけ」

「変える必要ある?」


 きょとんとした声だった。


「ないよ。ないない」


 また、くく、と笑ってしまう。


「そう?それならいいけど……」


 結局、最後まで俺が何を言っているのか理解していない声だった。

 それでも、茜は俺の隣に腰掛けた。


「いつでも帰ってきていいから」


 理由もなく俺の隣に座ることはないから何か用があるのだろうと身構えていたが、これが言いたかったのだろう。


「俺の後ろをいつもついてきてた子がよく成長したもんだな」

「なにそれ。お母さんみたいなこと言わないでよ」

「まあ、俺は茜のお母さんではないけど一番茜の世話をしたのは俺だからな。茜の成長には感慨深いものがあるんだよ」

「……うるさい。……あと、ありがと」


 ほほを赤く染めながら茜はそういう。


「かか。妹が一丁前に恐縮するものじゃないよ」

「うるさいなぁ。感謝の気持ちくらい素直に受け取りなよ」


 二人ともほほは赤いだろう。夜の空を見上げているけれどそれくらいはわかる。


「兄さんには本当に感謝しているんだよ。同年代の友達に馬鹿にされても私のことを大事にしてくれたから」


 俺と茜は5歳の年の差がある。だから、茜が2歳の頃、俺は小学一年生だった。つまり、俺にとって多感な時期が茜にとって兄にべったりの時期だったということだ。


「私が公園に行きたいと言えばぐちぐち言いながらも絶対ついてきてくれたし。風邪を引いた日はすぐ学校から帰ってきてくれたもん」

「……覚えてないな。だから、茜もそんなこと覚えてなくてもいいんだ」

「はいはい」


 軽くあしらわれたが、茜の顔には絶対忘れないと書いてあった。


「……忘れてほしいなぁ……」


 むず痒いから忘れてほしい。


「嫌よ」

「……そう。まあ、勝手にしてくれ」


 縁側から見える代り映えのない景色。月光が海を照らし、点々とした人工灯が島を彩る。


「……それで?恵さんと何があったの?」

「いい加減恵のことさん付けするのやめれば?」


 茜が幼いころは恵のことを『メグちゃん』って言っていたのにいつの間にかその呼び方をすることはなくなった。


「誤魔化さないで。お兄ちゃんも恵さんもおかしいよ」

「そう?気のせいじゃない?」

「む……。まあ、恵さんは気のせいかも」


 茜は顔をしかめた。痛いところを突かれたという表情をしている。

 それにしても、恵は、か。


「それでもお兄ちゃんは絶対おかしいよ」

「明日から知らない土地に行くわけだからな。そりゃ、おかしくなるんじゃない?」


 かか、と笑う。嗤う。薄っぺらい自分の言葉に嗤う。

 恵はその乾いた笑いに何を思うのだろうか。


「それもあるのかもね。けど、妹の眼は誤魔化せないよ」

「それも、ね」

「うん。恵さんがどう思っているのかはわからないけど、お兄ちゃんが恵さんに含むところがあるってことくらいはわかる」


 誤魔化せない。誤魔化したくない。

 だから、俺は無言。あいまいな笑みを浮かべることで話を変えるように訴える。

 けれど、茜は、妹は踏み込んでくる。あくまで俺のために。


「ここからは私の予感だけど、お兄ちゃんは恵さんとのあやふやな関係を清算したほうがいい」


 確信のこもった声だった。よちよち歩きのあの赤子が、俺の後ろについて回ることが好きだったあの幼子が、こんなに成長していたなんて知らなかった。


「関係を清算、ね」


 清算。後始末をつけること。

 はたして俺と恵の関係に清算すべきものなどあるのだろうか。


「うん。関係を清算」


 視線を後ろにやる。主演不在の送迎会に目を向ける。


「ま、茜の忠告には従うことにするよ」


 茜の、妹のあたまをなでながらそんなことをつぶやく。

 外を見ている茜の顔は見えない。聞こえただろうか。そして、聞こえたのならどのような顔をしているのだろうか。



 ◇◇◇



「茜ちゃんと何を話してたの?」

「何だと思う?」


 恵は考えるそぶりを見せる。けれど、それは一瞬だった。


「わかんないや」

「なら、俺と茜の秘密だ」


 そう言われて初めて恵は考え始めた。

 わからないならとりあえず聞く関係。そのため俺も恵もは返事を聞いてから考える。

「うーん……」


 恵は腕を組みながらあーでもない、こーでもないと悩み続ける。


「前から聞こうと思ってたんだけど、恵と茜の間に何かあったの?」


 毎日顔を合わせているがゆえに聞けなかった、どうでもいい質問。明日聞こう、明日聞こうと繰り返していくうちに聞くことすら忘れ始める。そんなたわいもない質問。

 恵と茜の関係が悪化すれば聞いたのかもしれない。けれど、徐々に距離を置いていったため質問の機会を逃してしまった。


「んー。それを教えたら教えてくれる?」

「ああ。いいよ」

「なんだよー……。そんなに簡単に教えるなら秘密にするなよー……」


 机に突っ伏しながら恵はうめき声をあげる。顔は見えないが、苦々しい顔をしているのだろう。秘密でもなんでもなく、ただ考えさせることが目的であることを察したから。

 俺はそのうめき声を聞きながらくつくつと笑う。


「もー……」

「わるいわるい」


 さらにくつくつと笑う。


「笑ってるし!絶対悪いって思ってないでしょ!!」


 恵はがばっと姿勢を起こし、びしっと俺に人差し指で指す。その動きは芝居がかっていていた。


「……まあまあ、とりあえずお話をどうぞ」

「うざー。……まあ、話すんだけどさー」


 うざいけどうざくない。恵の『うざー』はそんな感じだった。


「えっと、ソウちゃんの質問は何だっけ?」

「恵と茜の間に何かあったのって質問」

「ああ、それか」


 恵は顎に人差し指を置いて考える。


「うーん……。何もなかったけど何かあったって感じ?」


 恵は言葉を選びながらしゃべっていた。


「よくわからないな」

「だろうね。えっと、私と茜ちゃんの間に仲が悪くなるようなイベントはなかったけど自然と距離を置いたって感じ」

「なぜ?」

「年の差、かな」

「ああ、5歳下じゃいろいろ違うからな」

「そうだね。小さな頃みたいに三人で一緒に遊んでられる時間も減ったからね」


 小学生と幼児の関係が、中学生と小学生の関係に変われば距離を置くのだろうか。

 ライフサイクルが違う、自由時間が違う。違う。違う。違う。

 けれど、その違いは今と昔で何が変わってのだろうか。


「呼び方まで変えたよな」

「そうだね。いつからか茜ちゃんが私のことを『メグちゃん』じゃなくて、『恵さん』って言い始めたんだよ。それで私も『茜』から『茜ちゃん』って呼ぶようになったね」


 子供が年功を気にせず、無邪気に甘えられるのは何歳までなのだろうか。


「そんな感じで自然と距離を置くようになったね」


 恵は一息ついた。


「さて、まあ私の方はこんな理由でした。次はソウちゃんの番だよ」


 恵はさみしそうな顔を一転させ、破顔した。

 はつらつな笑みではあったが、含みのある笑みでもあった。


「俺と茜が何を話してたか、だよな」

「うん」

「ちなみに、なんで気になったんだ?俺と茜が話すのなんていつものことだろうに」

「そりゃ、兄妹だからね。ただ、今日は二人とも真剣な顔で話してたか、さ」


 嘘でもないけど、本当でもない。

 恵は親しき中にも礼儀ありを十分にわきまえている。だから、軽薄な好奇心で俺と恵の真剣な話に首を突っ込んでこない。


「まあ、俺と恵も真剣な話をすることもあるさ。それこそ明日から俺はこの島に気軽に来れるわけじゃないからな」


 恵は無言だった。

 ただ、その一対の眼が俺の真意を測るために煌々と輝いてた。

 その眼と俺の眼があった時、自分の軽薄さに恥じた。


「わるい。今の返事はなしで」

「わかった」

「昔の話を、さ、してたんだよ」

「……昔の話?そんな雰囲気には見えなかったけど……」


 恵は口を濁しながらも先を促した。

 なぜ、この先を聞きたいのか。何の話をしていてほしかったのか。想像はつくが想像でしかない。


「ほんとに昔の話さ。茜が5歳になるまでの話だ」

「私たちが小学生の時の話、ね」


 恵の顔には微妙な落胆が混じった。話していてほしかった内容ではなかったのだろう。


「ああ。昔はいいお兄ちゃんだったって話」

「確かに。ソウちゃんは茜ちゃんにとってはいいお兄ちゃんだったよね」


 いいお兄ちゃん。『良い』お兄ちゃん、か。

 今の俺は妹に堂々と顔向けができるのだろうか。


「らしいな。それで、ついでにシャキッとしろって言われたよ」

「シャキッと?」

「ああ。だから、恵に話がある」

「私に……?」

「明日の早朝、埠頭で話したい」

「今じゃダメなの?」


 俺は家族の方を指さして、肩をすくめた。

 恵はその仕草で何かを感じ取ったのかそれ以上の質問はしなかった。



 ◇◇◇



 太陽が水平線と共に顔を出す。早朝だ。


「よう」


 今日は海に背を向ける。海の先のことより島に目を向けなければならないから。


「うん。おはよう」


 おはようと言いながら恵は顔を正面に向けることはなかった。


「ひどい隈だな」

「うるさいなぁ……」


 俺がくく、と笑ってると恵はため息をついた。

 顔を隠すことをあきらめて俺の顔を見た瞬間、半眼になった。


「……ソウちゃんもおなじじゃん……」


 恵は再度ため息を吐いた。


「それで?こんな朝早くにこんなところに呼び出して何の用?」

「この島でやり残したことをなくそうと思ってな」

「……うん」

「まあ、つまり恵と俺の関係についてだ」


 恵は目を少しだけ見開いた。


「茜ちゃん、か」

「ああ。後押しをしてもらった」

「借りができちゃったね」


 自問自答のようで、俺にも投げかけているようでもあった。

 その問いには答えず、俺は新たな質問を恵に投げかける。


「俺たちの関係ってなに?」


 恵は無言だった。


「幼馴染。親友。お隣さん。同級生。クラスメイト。昔馴染み。どれも当てはまるけど、どれもしっくりこない」

「そう?」


 視線を通わせてもわかるようでわからない。


「ああ。俺は恵のことが好きだから」


 その言葉が来ることを悟っていたのだろう。恵はたいして驚かなかった。驚かなかったが、恥ずかしかったのか視線をさまよわせ始めた。


「そ、そう……」

「確か意識したのは中学生の頃だったと思う」

「うぇ……?」


 恵はあたふたとし始めた。


「えっと、なんで……?」

「なんでだろうな」

「ええ……」

 好きに理由が必要なのだろうか。『好き』は『好き』だろう。


「恵が好きなんだよ。恵って人が好きなんだよ」

「んん……」


 恵は何度もわざとらしい咳をした。

 必死に落ち着かせようとしているのがまるわかりだった。


「……わかった。けど、なんでいままで告白しなかったの?」

「俺がこの島から離れることは決めていたから、かな。けど、茜に告白をしないままはダメって言われたよ」


 今でも迷いがないかと言われれば嘘になる。

 自分の夢のために俺は恵のそばから離れる。本当に好きならばこの島を離れないのではないのだろうか。


 その迷いを持ちながら告白したのはなぜだろうか。


「返事を聞いてもいいか?」


 俺が恵をあきらめきれないからなのだろう。

 ここで告白をせずに、恵は他の人と付き合う未来が耐えきれないからだろう。


「わがままだね。この島で待たされてる私の気持ちは無視か」

「ごめん」


 恵は俺の横を通り過ぎて、埠頭の先端に立つ。

 昨日とは俺と恵の位置が違う。けれど、二人とも立っている。


「あーあ……。ソウちゃんなんか好きにならなければもっと簡単に幸せになったのになー」


 ポツリと恵はつぶやいた。


「そうだな。俺も恵を好きにならなければもっと簡単な幸せを手に入れられてのかもな」


 島の外で好きな人を見つけて、結婚する。とても簡単なステレオタイプ。


「でも、好きになっちゃったもん」


 諦観が多分に含んだつぶやきだった。


「いいやい。十年でも、二十年でも待ってあげる」

「ああ。必ず恵をもらいに来る」

「バカ」


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