第6話 よくも私の御主人様をコケにしてくれたわね!!!


 ダンは取り巻きたちと一緒に、僕たちの隣のテーブルに腰を下ろした。


 そこにウェイトレスが駆け寄る。


「とりあえずビールを三つ、大樽で。あとは肉料理を適当に持ってきてくれ」


「かしこまりました! 少々お待ちください!」


 ウェイトレスが厨房に引っ込むと、見計らったようにダンが声を張る。


「おいおい、なんか臭くねぇか!? 生乾きの雑巾みてぇな匂いがするぜ! いったいこの匂いの出どころはどこなん……うわっ、こんなところに獣人がいるじゃねぇか! どうりでクセェはずだぜ!」


 わざとらしく聞こえよがしに喋る。


「私、臭くないもん! ちゃんとお風呂入ってるもん!」


 エリザが僕に届くくらいの小声で抗議する。


「そうだね。エリザはちっとも臭くなんかないよ。むしろ、とってもいい香りがするよ」


「はぅ……あ、ありがとう……ございます」


 僕がフォローすると、エリザは赤面して下を向いた。


「お待たせしました! お料理になります!」


 そうこうしているうちに頼んだ料理がやってきたので、僕はそれらを口に運ぶ作業を開始した。


 もぐもぐ、ぱくぱく、むしゃむしゃ、ゴクゴク……ぷはぁ!


 うまし!


 たくさん食べられるっていうのは幸せだなぁ。


 それもこれも、全部エリザのおかげだ。


 ホント、いくら感謝しても足りないよ。


 そう考えて、今日は服をプレゼントしたんだ。


 でも、それだって結局はエリザがクエストをこなして得た報酬を使っているわけだから、意味がないんだよね。


 いつか、僕だけでクエストを達成できるようになったら、今までの分に利子をつけて返さないとな。


「お待たせしました! 大樽ビール三つです!」


 僕が考え事をしながら料理に舌鼓をうっていると、隣のテーブルにウェイトレスがやってきた。


 ダンが運ばれてきた樽に手をかけ、一気にあおる。


「っかぁぁぁ!!!」


 あっという間に飲み干すと、二つ目の樽に手をつけた。


 他の二つは取り巻きの分だと思っていたら、どうやら三つともダンのものだったらしい。


 あの二人はアルコールが苦手なのかな?


 いや、物欲しそうな顔を見る限り、どうやらそうではなさそうだ。


 となると、ダンが食べ終わるまで何も口にできないとかいうルールでもあるのかな?


 だとしたら、かわいそうだな。


「なに見てんだよ、クソザコ!」


 やばっ!


 気づかれた!


 僕は慌てて料理を口に詰め込んで誤魔化そうとした。


「言いてぇことがあるならハッキリ言いやがれ!」


 でも、ダメだった。


 ダンがビールの入った樽を片手に、こちらへ歩いてくる。


 僕の横で立ち止まると、おもむろに顔を近づけてきた。


「おいアルト、言ってみろよ!? 俺に文句があんだろ!? スライムすら倒せねぇクソザコの分際で、一流の冒険者である俺に意見があるんだろ!? おぉん!?」


 アルコール臭い息を吐くとともに、僕に言いがかりをつけてくる。


「ちょっとあんた! 御主人様から離れなさいよ!」


「うるせぇ! クセェ獣人は黙ってろ!」


「なんですって!?」


 エリザはテーブルを叩いて立ち上がった。


「エリザ、待って!」


 ダンに詰め寄ろうとする彼女を制する。


「でも!」


 食ってかかろうとするエリザに、僕は尖った視線を送る。


 ここで揉め事を起こすわけにはいかないんだ。


 頼む、分かってくれ。


「っ!」


 エリザは奥歯を噛みしめ、ギリギリと拳を握りしめながら席へ戻った。


 それでいい。


 よく耐えてくれた。


「はっ! よく躾けられてるな! いっちょまえに御主人様してるじゃねぇか!? そういやテメェ、ここ数日で冒険者レベルがどんどん上がってたな! そこの獣人のおかげだろ!? うまいことたぶらかしたじゃねぇか! 弱いくせに畜生を手なずける才能はあるんだな! ズルいよなあ! 冒険者ってのは皆、必死に努力して自分の力だけで魔物と戦ってレベルを上げていくってのによお! なあ、お前らもズルいと思うよな!?」


 ダンが店内に大声で同意を求めると、その場にいた大半の冒険者たちが「そうだ、そうだ!」と呼応した。


 やがて周囲のざわめきが収まると、ダンは僕の耳元で囁いた。


「ほらな? 分かっただろ? みんな不快に思ってんだよ、テメェらの存在をよお」


 ダンが言い終わると同時に、にわかに僕の頭へ冷たいものがかかった。


 それは顔や肩や胸を通って全身を濡らしていく。


 その独特な匂いで、僕はビールを被せられたのだと分かった。


 途端に、視界がゆがんで平衡感覚がなくなった。


 世界がグルグル回っている。


 あ、あれ?


 目の前が暗く―――




◆ ◇ ◆




「御主人様!?」


 エリザは、急にテーブルへ突っ伏したアルトに駆け寄った。


「大丈夫ですか!?」


「きゅ~~~」


 エリザが抱え起こすと、アルトは顔全体を真っ赤にして目を回していた。


「なんだこいつ、ビールなんかで酔ったのか!? スライムすら倒せねぇクソザコの上に下戸だってんなら、いよいよ救いようがねぇな!」


 ダンが嘲笑すると、周りの冒険者たちも同調するように爆笑する。


「……さない」


「あぁん? なんか言ったか獣人?」


 エリザは、アルトの上体をテーブルにそっと戻すと、緩慢な動作でユラリと立ち上がった。


 そして、金色の瞳を鈍く輝かせ、低い声で呟いた。


「あんたは、許さない」


「あぁん? がはぁ!?」


 突然、ダンの巨体が宙を舞い、酒場の壁を破壊して外へ飛び出していった。


 けたたましい音に、店内は一時、水を打ったように静まり返る。


 やがて、ポツリポツリと雨が水たまりに波紋を広げるように、冒険者たちは騒ぎ出した。


 壁にポッカリ開いた穴の方へ集まっていく。


 すると、出来たばかりの人垣をかき分けて、ダンが姿を現した。


 その顔は苦悶と怒りに彩られていた。


「畜生ごときが、ナメたことしてくれるじゃねぇか!!!」


「それはこっちのセリフよ!!! よくも私の御主人様をコケにしてくれたわね!!! 例え御主人様が許しても、私は絶対にあんたを許さない!!! ボッコボコにしてやる!!!」


「おもしれぇ!!! やれるもんならやってみやがれ畜生がっ!!!」


 言葉尻に合わせて、ダンが床を蹴った。


 弓から放たれた矢のごとき速度でエリザへ迫る。


 さすがは街一番の冒険者である。


 一瞬にしてエリザとの距離を縮め―――


「ぐはぁ!?」


 ―――たかに見えたが、またしても弾き飛ばされてしまった。


 エリザが片足を水平に上げた状態で停止している様子から判断するに、ダンは蹴り飛ばされたようだ。


 恐ろしく速い蹴撃である。


 その場にいる誰一人として、彼女の攻撃を目視することができなかった。


「ぐっ、げぇっ!」


 ダンは四つん這いになって、床に胃の内容物を吐瀉としゃした。


「あら、もう終わり? いきがっていた割に、ずいぶんとあっけないわね。私はまだ、ちっとも本気じゃないのに」


「ぐっ、ぐぬぬぬぬぬぬ、うぎぃぃぃぃぃぃ!!! もうキレたぜ俺は!!! “スキル”を使ってやる!!!」


「へぇ、あんた、スキル持ちだったのね」


 この世には、魔法とは別に、スキルと呼ばれる特殊な能力が存在している。


 効果や効能は様々で、その利便性や超常性などによってF~Sまでランクづけされている。


 スキルを所持している人間は数が少なく、特にDランク以上のスキルを持っている者は滅多にいない。


「聞いて驚け! 俺のスキルは“巨大化ハルク”だ! 身体の大きさ、力、速度が二倍になるっつーDランクのスキルだぜ! どうだ、恐れ入ったか!? ガハハハッ!」


 ダンは勝利を確信し、ひとしきり高笑いしてから続けた。


「おい畜生、いまさら命乞いしても遅ぇからな!?」


「はぁ~、弱い奴ほどよく喋るわね」


「……は? はあ!? なんだと!?」


「元が大したことないのに、たかが二倍になった程度で私に勝てるつもり? とんだお笑いぐさだわ。あんたみたいなのを井の中の蛙っていうのよね」


 微塵も怯えた様子を見せないエリザに、ダンは苛立った。


 そこは無様に泣きべそをかいて、土下座しながら助命じょめい嘆願たんがんするところだろう。


 つまらない意地を張らず、素直に負けを認めて謝るのなら寛大に恩赦おんしゃを与えてやろうと考えていたが、予想外にふてぶてしい態度をとられ、彼はカッとなった。


「せいぜい、後悔しろよ!!! 教会の棺桶の中でなぁ!!!」


 ダンは続けて「巨大化ハルク!」と叫んだ。


 すると、彼の身体はみるみる膨れ上がり、吹き抜けになっている二階部分をゆうに越えてしまった。


 付近の冒険者たちは蜘蛛の子を散らすように外へ避難した。


「潰れろや!!!」


 ダンがエリザを掌底で圧し潰そうとする。


 しかし、エリザはそれを難なくかわして跳躍すると、強烈な膝蹴りをダンの顎へ喰らわせた。


「へぶっ!?」


 ダンの頭が反り返り、次いで膝から力が抜けた。


 風船が萎むように身体を縮めながら、ダンは床にへたり込んだ。


 白目を剥いている。


 どうやら気を失っているようだ。


「弱っ。どっちがクソザコなのよ」


 しばしエリザは呆れ顔でダンを見下ろしていたが、ほどなくして、遠巻きに成り行きを見守っていた冒険者たちへと視線を移した。


 彼らが息を呑む。


「さてと、次は誰が相手をしてくれるのかしら?」


 その言葉に、一同は戦慄した。


 街で最も強い冒険者であるダンを無造作に倒したエリザ。


 彼女の別次元な力を目の当たりにして、彼らはその場から一歩も動くことができず、わなわなと震えるばかりだった。


 だが、彼らは気づいていなかった。


 本当の恐怖が、そこから始まるということを……

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