もしも潮が痛むときは

架橋 椋香

もしも潮が痛むときは

 この声はどこへ逃げようか。サイコロのなかに、わたしの逃げ場はないのだ。

 遠いあなたがまたジャイアントモアを狩り、わたしはまた鈴と小鳥と比較される。逃げ場のない声たちは惑星に充満して、温室効果を高めた。標高はどんどん高くなる。

 白い花が咲いている。トタンの箱の中だ。超然と反射するそれはまるでマリオネットの蛙のように、頬杖ほおづえをついている。

 合言葉へと伸びる最新の宇宙エレベーターは、目的地へ到着するまで止まらない。そのなかで、花に愛だけを注ぐわたしと、花に水だけを注ぐあなたは、薄くなる大気にアゲハチョウを吐き出しながら、共に合言葉を見ている。言い訳を忘れるまで。

 また意識は箱の中。久しぶりの大気だ。それは春の白紙のように温かい。ずっとここに居られたら。でも、合言葉はもう遠くない。

 合言葉に近づく。ネコを見下ろす。ネコが青いのは本当だったようだ。

 青は海の色だ。青は痛みの色だ。ふたつが重なって、潮は痛む。

 帰りたくなる。痛くなる。こんな色、見なければよかった。

 プリンをすくっているあなたはとても熱伝導率が低い。だけどそれはスプーンの銀の反動だ。雲を被った山頂だ。本当は大気が足りないのだ。容赦ない紫外線がわたしの肌を、臓を破壊する。紫外線が生んだオーロラはアコーディオンを連想させた。だがその暖かい音は鳴らない。渇いたチューブがと泣くだけだ。

 「止めて。ください。」

 人工痴脳じんこうちのうが予め録音された音声を再生する。

 チューブの音が止んだ。最新鋭の8Kカメラはオーロラに向けられ、人柱のように静かに濡れている。

 「思い出してしまったから。ごめん。もう、いいよ」

 エレベーターから飛び降り、人権のような引力に、お手玉にされながら、私はと破裂した。


 同乗していた彼は私を横目に見て、同情することもなく、実際の意味ので大きい喉を少しだけ揺らしてから、宇宙服を着てエレベーターから降りていった。

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もしも潮が痛むときは 架橋 椋香 @mukunokinokaori

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